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石ころ

ダビデとウザ

神の箱を運び上ろうとしたとき、ウザの割り込みによって神が怒りを発せられた事を知って、ダビデは激したとある。ダビデには神の怒りの理由が分かったのだろう。
ウザの不敬の罪を知ることはとても大切。殺されなければならないほどの神の怒りとは、ウザが神の箱をただの箱のように扱ったからではないのだろうか。

神の箱だからこそ落ちないように手を出した?いや、それは人の賢い判断ですることであり、どんな積み荷の時にもする行動である。人間が手を出して守ることは。
人は偶像にはすべてそのようにする。人間が造り、人間が食べ物を供えて食べさせ、盗まれないように守る。

ウザは、自分の判断で神の箱の価値を計った。人は無意識にそういうことをする。みことばを割り引いて計ったり・・。
「聖書にはこのように書いてはあるけれど、実際にこの世を生きる時、私たちのがんばりというものが大切である。」そんなふうに、常に自分の判断を優先してしまうことがある。

それは、死に価するようなことだとウザの死は教えているのだと思う。
神のご計画をどうして私たちが知ることが出来るだろう・・。どうして計ることが出来るだろう。

ダビデが再び神の箱を運ぶとき、王の権威を脱ぎ捨てて、ダビデのそれまでの働きによって得た評価のすべてを脱ぎ捨てて、まるで子供のように無心に喜び踊って迎えた。
その謙遜な信仰によって、彼は主に受け入れられ、主はとこしえの祝福を約束された。

しかし、その姿は神には受け入れられたけれども、もっとも身近な妻からはさげすまれた。神の前に正しい行いが人の評価を得るとは限らない。いや、きっと純粋であればあるほど、愚かしく映るだろう。


ダビデはミカルに言った。「あなたの父よりも、その全家よりも、むしろ私を選んで主の民イスラエルの君主に任じられた主の前なのだ。私はその主の前で喜び踊るのだ。私はこれより、もっと卑しめられよう。あなたの目に卑しく見えても、あなたの言うそのはしためたちに、敬われたいのだ。」(Ⅱサムエル6:21、22)

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