石ころ

「モーセの息子」の中の誤り



「 神の人モーセの子孫は、レビ部族の者として名を呼ばれた。」(Ⅰ歴代23:14)

油菜さんに教えられて探し見つけたみことば。モーセの子孫に対しての記事があった。先日書いた記事は早とちりだった。
「モーセさん。ごめんなさい。」
それから、見てくださっていた方にもごめんなさい。ご存じだったかも知れませんが・・間違いに忍耐していてくださったのでしょう。


 それでサラは心の中で笑ってこう言った。「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」(創世記18:12)

年老いた不妊のサラは、「来年男の子ができる」と告げられた主の言葉を聞いていて笑った。彼女は不信仰に笑ったのだ。しかし、神様の評価はこうである。

「信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。」(ヘブル11:11)

 主は私たちの不信仰を覆ってくださる。そうでなければ、いったい誰に完全な信仰などあるだろう・・。
まことに、主は私たちが塵に過ぎない事を知って居てくださるのだ。

アブラハムも、モーセも、バプテスマのヨハネも不完全な人に過ぎなかった。しかし、彼らは主に選ばれ、主によって立てられ、主にその足りなさを覆われて用いられたのだった。


 みことばは本当に甘い。神様の一方的な恵みに満ちて、御子を賜るほどの愛が何処にも満ちていて、みことばの森を散策する時は心楽しい。

時に早とちりしたり、勘違いしたり・・そんなこともあるけれど、主はご自身の御真実によって必ず間違いは教えてくださるから、恐れることはない。
「パンを下さい」と言っている者に、「石を与える事などない」との主の御約束があるのだから・・。

油菜さんと共に、みことばを指し示して語り合う事はとても楽しい。間違いは教えてくださると信じているところに、何でも語れる自由がある。
モーセの息子の事を書いたとき、「間違いがあったら、誰かを通して教えてください」と祈っていたのだった。

すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。(エペソ3:18~19

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