石ころ

不正な管理人のたとえ (2020.4.29.デボーション)

 

イエスは、弟子たちにも、こういう話をされた。「ある金持ちにひとりの管理人がいた。この管理人が主人の財産を乱費している、という訴えが出された。
主人は、彼を呼んで言った。『おまえについてこんなことを聞いたが、何ということをしてくれたのだ。もう管理を任せておくことはできないから、会計の報告を出しなさい。』(ルカ16:1~2)

 

人は、主人である神の財産を任された管理人である。神の財産とは神の作品である自分の命であり、それこそ神の大切な財産である。御子の命が支払われるほどの・・。

 

託されている私たちが、正しく管理して主人の目的に沿って用いるべき命である。それを深く考えもせず、漫然と流れに任せて生き、無駄遣いをしていると神が指摘されたのは、命にある神のご計画を行うためである。

 

管理人は心の中で言った。『主人にこの管理の仕事を取り上げられるが、さてどうしよう。土を掘るには力がないし、物ごいをするのは恥ずかしいし。
ああ、わかった。こうしよう。こうしておけば、いつ管理の仕事をやめさせられても、人がその家に私を迎えてくれるだろう。』(3~4)

 

世で終わることでさえも、人は身の処し方については真剣に考えるものである。まして、永遠のいのちに係わることについて、どれほどの思索が必要であろうかと、イエスさまが弟子たちに言われた。今、私たちにも・・。

 

そこで彼は、主人の債務者たちをひとりひとり呼んで、まず最初の者に、『私の主人に、いくら借りがありますか』と言うと、
その人は、『油百バテ』と言った。すると彼は、『さあ、あなたの証文だ。すぐにすわって五十と書きなさい』と言った。(5~6)

 

例えの中にある手段は誤魔化しであり不正である。それが許されているのは、主に向きを変える熱心には、手段は問われないのだ。
義理立てをして、だらだらと一生引きずられないために、知恵を使って手段を選ぶなということである。

 

この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがないものなので、主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた。(8)

 

非難されることを恐れずに、ただ、主人に褒められることを選ぶ。それは永遠のいのちを勝ち取るための戦いであり、はっきりと方向転換することが必要だからである。

 

そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。(9)

 

それは、世に対しては裏切りや不正に見えても、キリストという最高の友を得て正しい選択である。

人間関係や情に付け込み、また、ほめ言葉を用いたり、宗教心や言い伝えによって絡みつく仕組みから脱出しない限り、残りの命を主人に捧げて仕えることはできない。

 

小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。(10)

 

それは小さなことに思えるのだ。些細な違いに思えるが、神のことばには拠らない事柄があり、聖霊を否定している言葉がある時に、戸惑う心は神に忠実でありたいという願いからのものである。


ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。
また、あなたがたが他人のものに忠実でなかったら、だれがあなたがたに、あなたがたのものを持たせるでしょう。(11~12)

 

聖霊の小さな声に耳を貸さないことは神への不忠実であり、残りの命の警告にも悟ることはなく、命の富を得ることはないだろう。
他人のものとは、主人の財産である命。その命をみこころに沿って用いる時、主は、やがて、千年王国にて多くのものを管理させなさるだろう。

 

しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(13)

 

生き方は一つである。あれもこれもは選べない。神に私たちはひとり子をたまわったのだ。
生き方の向きを変えることは簡単ではないけれど、それまでの拠り所を捨てて、キリストを第一とすることを心で決定した時、神はすべての必要を備えてくださる。

 

さて、金の好きなパリサイ人たちが、一部始終を聞いて、イエスをあざ笑っていた。
イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、人の前で自分を正しいとする者です。しかし神は、あなたがたの心をご存じです。人間の間であがめられるものは、神の前で憎まれ、きらわれます。(14~15)

 

世に終始する彼らは、神を作者と知りながらそのみこころを悟らず、預かった命の管理もしない者であるから嫌われている。
預かった自分の命を正しく管理する者は、第一に今日の命を用いて神を求める。

主よ。今日の命を何に用いるべきですか。あなたの財産であるこの命を、今、正しく用いることができますように。


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