石ころ

思い煩い(2020.5.1.デボーション)

 

天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。
あなたがたの心が、放蕩や深酒や生活の思い煩いで押しつぶされていて、その日が罠のように、突然あなたがたに臨むことにならないように、よく気をつけなさい。(ルカ21:33~34)新改訳2017

 

キリスト者に対する終末の警告である。キリスト者が放蕩や深酒に溺れることはなく、最大の警告は思い煩いにあろう。終末には、あらゆる価値観が覆されて、世にあっては頼りとするものを見失って行くようになる。

 

今もあらゆるメディアが、朝から晩まで生活の思い煩いを語り続ける。キリスト者も世で生きている限り、感情や理性がそれらの支配を受けてしまうことがあり、また実際に生活を脅かす出来事も大なり小なり出て来て、立っている所が揺すぶられることもある。しかも聖書を読む限り、今のことなどはほんの序の口と思える。

 

それゆえ、イエスさまはこのように警告しておられるが、それはあっけないほど単純なことであった。
「みことばを選び取って、思い煩うことなく主に信頼していなさい。」である。そこでは、私たちの「髪の毛一本も失われることはない」とあるのだ。

 

全財産であるレプタ銅貨二枚を捧げたやもめをほめられた主が、彼女を生かしてくださらないわけがなく、主にすべてを預けているキリスト者には、なおさら愛惜しみ守ってくださるであろう。

 

ただ、その日が突然ゆえに日々みことばの平安に居ないなら、携挙に名を呼ばれても、心配で押しつぶされてしまった耳には御声は届かない。

 

あなたがたは、必ず起こるこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈っていなさい。(21:36)

 

「絶えず祈りなさい。」という言葉は、すべての出来事において、みことばの約束に拠り頼む生き方であり、絶えず神からのものによって生きる者は、すべてが祈りと感謝となる。

キリストのうちにはみことばの備えがあり、此処に居ることこそキリスト者の特権である。

 

此処は永遠へと真っ直ぐにつながっている場所であるから、再臨は何時かと心配したり、携挙の時はどのようであろうかと、そのような心配はまったく不要である。すべての備えは今いるキリストのうちにあるのだから。


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