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石ころ

アザミ


 ウオーキングの道には、沢山の美しいアザミが咲いている。それを見るのはこの季節の喜びだけど、いつも遠い日を思い出させられる。

 まだ若かった頃、社長の一人息子のお見合いの席に生ける花を買ってくるようにと頼まれたことがあった。私は自分の好みのアザミを買って帰った。息子は怒ってその花を捨ててしまった。そのとき私は知らんぷりをしていたけれど、彼の怒る意味を本当は知っていた。アザミの花言葉は「復讐」お見合いの席に飾る花ではなかった。

 別に私はその息子のお見合いを邪魔する気持ちなどまったく無かった。ただ、今から思えば生まれながらの跡取り息子として、大学を卒業して何不自由なく将来が約束されているそんな身分に、心の深いところで反抗していたのかも知れない。

 確かに、あの頃、親のない私はあらゆるものに復讐したがっていた。でも、本当に復讐したかったのは善人にも悪人にもなれず、中途半端で失敗ばかりしている自分自身に対してだった。


 アザミは棘ある身を悲しみもせず、憎みもしない。私は今でもこの花が好き。毎年この季節になると紅紫の花色を楽しみにこの道を歩く。ただ、棘があるので手折ることはなく、通りすがりに見て楽しむだけ。

花言葉は誰が決めたのか・・昔は花言葉の「復讐」に惹かれていたのかも知れないけれど、今は、素直にアザミの花を美しいと愛でている。

 私は、イエス様を知った今はもう自分を嘆くことはない。いや、むしろ喜んでいる。どうしょうもない者だから、病人を癒すために来てくださったイエス様のお目に止まり、無条件で罪を赦され心も癒された。強くなくて良かったと。

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コメント一覧

石ころ
枯れあざみ
tieko様 
見ていてくださってありがとうございます。励まされます。

「わが神よ。彼らを吹きころがされる枯れあざみのように、風の前の、わらのようにしてください。」詩編83にこうありますね。
私は、「えっ?」と思っていたのですが、そうだったのですか。教えてくださって嬉しいです。

心にズシーン・・・
そうですね・・・。

おみそ汁の実にも興味があります。
tieko
あざみ
はじめまして。ずっと見せていただいています。主にある老姉妹です。
岩手では、あざみの若葉を食用にします。
嫁さんの実家が岩手なので、食べさせてもらったことがあります。若葉を味噌汁の具にします。美味しかったです。
いつか見たイスラエルの景色の中に、あざみの花が咲いたまま、枯れて立っている姿がありました。エリコの風景だったかも知れません。
心にズシーンと来たことでした。
石ころ
アザミらしい言葉ですね
そうなんですか、「独立」にも「ふれないで」にも本当にアザミらしい花言葉ですね。

でも、アザミは神様に決められたとおりに、置かれた場所で精一杯咲いているのですよね。
濃い緑の中で咲いている姿は、ハッとするほど美しいです。

聖書では、アザミは罪が入ったために咲いた呪いの花、そんな宿命を負ったちょっと可哀想な花。
ラベンダー♪
アザミ
アザミの花言葉には、他にも「独立」とか「ふれないで」
なんていうのもあるそうですね。
美しい花だけど、そのトゲの姿からそんな言葉が
付けられてしまったのでしょうか。

確かに、トゲで一生懸命自分を守っているようにも見えますが、
アザミはきっと何も気にせず、ただ喜んで風に揺られているのでしょうね。
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