ウオーキングの道には、沢山の美しいアザミが咲いている。それを見るのはこの季節の喜びだけど、いつも遠い日を思い出させられる。
まだ若かった頃、社長の一人息子のお見合いの席に生ける花を買ってくるようにと頼まれたことがあった。私は自分の好みのアザミを買って帰った。息子は怒ってその花を捨ててしまった。そのとき私は知らんぷりをしていたけれど、彼の怒る意味を本当は知っていた。アザミの花言葉は「復讐」お見合いの席に飾る花ではなかった。
別に私はその息子のお見合いを邪魔する気持ちなどまったく無かった。ただ、今から思えば生まれながらの跡取り息子として、大学を卒業して何不自由なく将来が約束されているそんな身分に、心の深いところで反抗していたのかも知れない。
確かに、あの頃、親のない私はあらゆるものに復讐したがっていた。でも、本当に復讐したかったのは善人にも悪人にもなれず、中途半端で失敗ばかりしている自分自身に対してだった。
アザミは棘ある身を悲しみもせず、憎みもしない。私は今でもこの花が好き。毎年この季節になると紅紫の花色を楽しみにこの道を歩く。ただ、棘があるので手折ることはなく、通りすがりに見て楽しむだけ。
花言葉は誰が決めたのか・・昔は花言葉の「復讐」に惹かれていたのかも知れないけれど、今は、素直にアザミの花を美しいと愛でている。
私は、イエス様を知った今はもう自分を嘆くことはない。いや、むしろ喜んでいる。どうしょうもない者だから、病人を癒すために来てくださったイエス様のお目に止まり、無条件で罪を赦され心も癒された。強くなくて良かったと。
コメント一覧
石ころ
tieko
石ころ
ラベンダー♪
最新の画像もっと見る
最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事