二つの腎臓と、それに付いている腰のあたりの脂肪、さらに腎臓とともに取り除いた、肝臓の上の小葉である。
祭司はそれらを祭壇の上で、主への食物のささげ物として、焼いて煙にしなければならない。これは代償のささげ物である。
祭司の家系に属する男子はみな、これを食べることができる。それは聖なる所で食べなければならない。これは最も聖なるものである。(4~6)
これは主の食卓である。祭司が招かれる聖なる食卓である。この食卓は主の交わりなのだ。
今キリスト者は男も女も子どもでも、キリストを愛する者が招かれている神の家族の食卓である。此処には聖霊の臨在がある。
感謝のための交わりのいけにえと一緒に、種入りの輪形パンを献げる。
そして、それぞれのささげ物から一つずつを取り、主への奉納物として献げる。これは、交わりのいけにえの血を振りかける祭司のものとなる。
感謝のための交わりのいけにえの肉は、それが献げられるその日に食べ、少しでも朝まで残しておいてはならない。(13~15)
ふわふわのドーナッツが振舞われる。神を喜ぶ感謝の交わりは、主のご馳走を分かち合う宴会だ。そう、明日を思い煩って残すなんて考えないで、主が振舞ってくださるご馳走はは、出されるままに感謝にあふれて頂く。
主が祭司を喜ばせてくださるお交わり。喜んでいることはみこころなのである。それは主にたまわっている己の幸を、御前で賛美していることであるから。
主はそのために備えてくださったのである。神の豊かさを味わって、主の備えに充足して、安息していることは祭司のあるべき姿である。
わたしが、奉献物の胸肉と奉納物のもも肉をイスラエルの子らから、その交わりのいけにえから取り、それらを祭司アロンとその子らに、イスラエルの子らから受け取るべき永遠の割り当てとして与えたからである。」
これは、アロンとその子らが祭司として主に仕えるようになった日に、主への食物のささげ物のうちから彼らが受け取る分となった。(34~35)
祭司は主が養われる。その取り分は世々にわたる永遠の約束、主の祭司たちよ。神のあふれる豊かさに在って安息があるように。
私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を喜んでいます。キリストによって、今や、私たちは和解させていただいたのです。(コロサイ5;11)
主がやわらかなパンを準備してくださったら、みんなで喜んで主をほめつつ食べ、甘いパンをくださったら賛美しつつ食べ、堅いパンをくださった時は、一人でじっくりと噛みしめて食べよう。