石ころ

任職式(レビ記8章)

 

モーセはアロンとその子らを近づかせ、彼らを水で洗った。
そしてアロンに長服を着せ、飾り帯を締め、その上に青服をまとわせ、さらにその上にエポデを着せた。すなわち、エポデのあや織りの帯で締めて、彼にエポデを着せた。(6~7)

 

主が命じられるままに、モーセはアロンと息子たちを聖別して祭司の任職式を行った。彼らはモーセに洗ってもらって祭司の勤めを果すのである。
弟子たちがイエスに足を洗ってもらったように、幼子のように身を委ねて洗われるなら、きよめられるのである。従順によらなければ、自分の行いで神の御前に出ることは出来ないのだ。

 

次に、彼に胸当てを着け、その胸当てにウリムとトンミムを入れた。
また、彼の頭にかぶり物をかぶらせ、さらに、そのかぶり物の前面に金の札すなわち聖なる記章を付けた。主がモーセに命じられたとおりである。(8~9)

 

祭司のすべての装束は神の命によって準備されたものであり、聖なる装束を着せられている時、アロンは金の子牛を作ったことを忘れ去っていたのだろうか・・。
彼はただモーセに従順して、次々と着せられる聖なる装束を頂いていたのであろう。そうすることが彼の献身であったから。

 

モーセはアロンとその子らに言った。「会見の天幕の入り口で、その肉を煮なさい。そしてそこで、それを任職のささげ物のかごの中にあるパンと一緒に食べなさい。私が、アロンとその子らはそれを食べよ、と命じたとおりに。(31)

 

罪を洗われて祭司を着せられ、彼らは命じられるままに主に仕えるための食事をとった。自分の資格ついては完全に主に委ねてのことである。神の選びに従って何も口出しないことは、何よりも聖なることである。主に従う時は自分を省みることさえ出来ない。すべてをご存じの神がお決めになったことである。

 

「あなたがたは会見の天幕の入り口で七日の間、昼も夜もとどまり、主への務めを果たさなければならない。自分たちが死ぬことのないようにするためである。私はそのように命じられたのである。」
アロンとその子らは、主がモーセを通して命じられたことすべてを行った。(35~36)

 

選ばれた者の成すべきは、昼も夜も主と共に居ることがすべてである。その身は主に捧げたものであり主のものだかである。

クリスチャンはキリストのものである。キリストの十字架の血によって買い取られた者であり、新しく生まれた者として主に仕える祭司である。それゆえ、キリストを離れては何も出来ないからである。


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