トロアスでパウロたちと人々は夜中まで語り合った。パウロは主を語り続け、人々は聴き続けた。うたた寝をした青年が窓から落ちて死ぬようなことが起こり、パウロによって生き返るような奇跡の一大事が起こっても、何事もなかったかのように、パウロは語り続け人々は聴き続けた。
それほどにパウロの存在は彼らには必要であったのだと思う。彼らは渇きパウロはそれを知っていた。パウロは去るとき、彼らを神様とみことばに委ねている。どんなに頼られても、引き留められても、パウロは自分の役割を知っていたのだと思う。もっとも大切なパウロの役割は彼らを主にお委ねすること。そして、ひとりでイエス様の御足跡を行くことを彼らに教えること。
「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」(ヘブル12:1)
「いっさいの重荷」を抱えたままでは、イエス様の後を行くことも家族を主にお委ねすることもできない。私が抱えていては主も導くことが出来ない。信仰はひとりひとりが主に向き合うことだから。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:31)みことばの約束に信頼して、まず、イエス様に出会った者が、イエス様に向かってまっすぐに進まなければならない。みことばの実現は、家族や残された者が問題ではなくて、私と主との関係によると思うから。
パウロがまっすぐにイエス様の御足跡を歩んだことで、今日こんなに感動をもってパウロの真実な信仰を、聖書によって多くの人々が学ぶことができる。これこそ神様のみこころの実現であり、当時の兄弟達の喜びでもあろうと思う。私たちは目先のことから情に訴えられるととても弱いけれど、一番愛するものがイエス様であるなら間違うことはないと思う。そして神様の愛を信じることが出来れば。
「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。」(イザヤ49:15)
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石ころ
Rita
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