主のいのりを聖書から直接祈らないのはなぜなのだろう・・。イエスさまが教えてくださったお祈りを、そのまま聖書から祈ることにどの様な不都合があるのだろう。
教会で聖書を開かないで、一々聖書を開くという面倒な手順を踏む訓練を何処で受けるのだろう。キリスト者が一番最初に身に着けることなのに・・。
信仰の初めに、証しのように高価で重い聖書を買って、分厚く真新しいページの繰り難さと格闘するような期間を経て、何時しか手に馴染んで開き易くなって行き、開き慣れたページが増えるに従って、印刷された言葉が自分の霊の倉に移される様に蓄えられ、開いた聖書を祈る時生きて働く神の力を経験して行くのである。
「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕(マタイ6:19~13)
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