石ころ

ユダの後悔

 

ユダはイエスの光の部屋から出て、闇を通ってサタンの支配に身を寄せ、たいまつの明かりによって兵士たちを導き、イエスを捕らえに来たのだった。
なぜ彼は、使う当てもない銀貨30枚のために、そんなことをしたのか・・。

 

彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。(ヨハネ12:6)

 

彼は財布の金を盗み続けていたが、責めることのないイエスを侮った。彼はイエスを試していたのかも知れないが、主の忍耐を侮っている者が主を知ることはない。そのような者にはイエスはご自身を隠される。

 

たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。(ヨハネ13:5)

 

足を洗って頂いても、ユダが聖さに留まれないのは、みことばを持っていなかったからである。
イエスの御側で、みことばのパンによって養われていても、ひとつのみことばも彼には留まらず、彼がイエス・キリストを知ることはなかった。

 

イエスは、これらのことを話されたとき、霊の激動を感じ、あかしして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ります。」(ヨハネ13:21)

 

聴く耳を持たなかったユダには、イエスの警告も届かなかった。お側に、いつもみことばの近くにいても、聴き従う謙遜のない者にはサタンが忍び寄る。

 

彼がパン切れを受けると、そのとき、サタンが彼に入った。そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。」(ヨハネ13:27)

 

自分自身を何に捧げるかの選択は、神が、御子をたまわるほどに重んじてくださったことであり、それぞれに任されている。それゆえ、神に従うことが神の栄光となるのである。

 

わたしは彼らといっしょにいたとき、あなたがわたしに下さっている御名の中に彼らを保ち、また守りました。彼らのうちだれも滅びた者はなく、ただ滅びの子が滅びました。それは、聖書が成就するためです。(17:12)

 

イエスは彼を「滅びの子」と呼ばれた。御側に置かれながらキリストを知らず、滅びに向かってまっしぐらに生きたからである。そうして、最悪の役割を果たす者となった。

 

捕らえに来た者に「誰をさがしているのか」と言われた。ユダに「何のために探しているのか」と・・、
みことばを生きるためではなく、いのちを得るためでもなく、銀貨30枚を持って永遠に滅びるためであった。

 

自分のたいまつを掲げるユダには、まことの光であるキリストを探し当てることはできない。すぐに燃え尽きるたいまつは、一寸先の自分の運命さえ見つけることはできなかった。

 

イエスは彼の思いを遂げることを許され、出て行った計画の通りに、イエスがおめおめと捕らえられた時、「生まれてこなかった方が良かった」とイエスが言われた、彼の人生は終わった。

 

我に返って後悔しても、彼にはもう帰るべきイエスはおられなかった。
彼が真にキリストを知ることは最後まで無く、それは救いのことばの一つも持っていなかったからである。
イエスが与えたパンを食べながら、キリストに気づかない恥の中で滅びて行ったのだ。

 

ユダにはなるまじ 我が主よ 我が主よ
ユダにはなるまじ 我が主よ 
心の底から ユダにはなるまじ 我が主よ


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