石ころ

使徒の働き㉘ (使徒15~16章)

 

聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。
すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。以上。(15:28~29)
それを読んだ人々は、その励ましによって喜んだ。(31)

 

会議の結果である命令が、人の妥協の産物ではなく、第一に聖霊なる神によることを明記していた。真実なものは神から出たことであり、神の権威のもとに在ることである。
そこに、読んだ人々に励ましと喜びが広がって、確かな主の平安をもたらせる。

 

 パウロは、このテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、彼に割礼を受けさせた。彼の父がギリシヤ人であることを、みなが知っていたからである。(16:3)

 

割礼が救いの条件とはならない。ただ、彼らには律法を守る自由もある。すべてのことが、聖霊の導きにあれば祝福となるのは、神は何にも縛られないからである。

 

ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。(Ⅰコリント9:20)

 

しかし、妥協のように見えることには、救いのはっきりとした目的と、キリストの愛から出ている確信が必要である。

 

こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。
それでムシヤを通って、トロアスに下った。(16:7~8)

 

熱心な働きより大切なことは、主に在って何時でも、その良き計画を捨てる従順である。
何をしている時でも、霊はいつも主に聴いており、先立つ火の柱、雲の柱を見ているのである。
すべての状況が開かれていても、主の警告を見失うなら、それは決して神の栄光にはならないが、導きの中に在れば、主が備えて居られる勝利を経験する。

 

すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。(ローマ11:36)

 

教会が力に満ちて調子の良い時に、繰り返し立ち止まって確認し、小さな細い御声を静まり聴くことである。
ご計画の成就によって私たちが、真に神を知り神を恐れることを学ぶために・・。
 


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