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石ころ

「アルジャーノンに花束を」

 妹が箱いっぱいの本を持ってきてくれたので、最近はせっせとそれを取り出しては読んでいる。それらの本は幸いなことに、実に種々雑多で、時代物あり、サスペンス、SF、最近のベストセラーあり・・だからその時々の気分でジャンルの違うものを掛け持ちで読んだりしている。

 なかでも今日読み終えた「アルジャーノンに花束を」は、読後に深い悲しみが残った。私の息子に聴覚障害があり、主人公チャーリィの障害と中身は違っていても、大多数の「普通」という枠からははみ出ており、その事実を受け入れる試練は主人公の家族と共通している。

 主人公の家族は彼の障害を受け入れることが出来ず、彼の母親は惚けてもなを、外聞を気にして家を磨き続け、賢くなって会いに来たチャーリィを、ナイフを振りかざして追い出そうとし、どうしても受け入れることが出来ないのだけれど・・。
チャーリィは家族に愛されたいという一心で、賢くなると言う研究に自分が選ばれたことを喜ぶ。彼が選ばれた理由は障害を持ってはいても、いつもポジティブで学習意欲に満ちているからだった。このままで彼は完璧だったのに・・。

手術は成功したかに見えて、彼は短期間に天才として変貌してゆく。増してゆく知恵に従って開けてくる事実は、今まで疑うことを知らずに信じてきた人々が、どのように自分を嘲っていたかということであり、科学者の知恵を彼が超えたときに、彼等が尊敬に値しないことを知って、高慢になってゆく自分だったり、自分自身に対する家族の冷酷な仕打ちによる心の傷との葛藤だった。そうして不信感は彼をどんどん孤独に追い込んでゆく。

知能が上がるに従って彼が失ってゆくものは人間性であり、逆に白痴の彼の中にあった素晴らしいものがクローズアップされてゆく。彼は多くの言語、多くの知識を得て同じ障害をもった人々のために懸命に働き続けるが、彼が成し得たことは自分自身の滅びによって、この実験が失敗であったことを証明したに過ぎなかったのじゃないかな・・。人にとって知能とは何なのだろうと、知恵が増すとはなんと不幸なことだろうとさえ思えてくる。

 
「実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す。」(伝道1:18)
「そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。」(創世記3:6)

 アダムとエバの昔から人は賢くなりたいという欲望をもっていたんだ。彼等はすべての生きものに名をつけるほどの賢さをもっていたのに、それでは満足しなかった。

 
 イエスさまにお出会いした今は、神様は等しく子育てを楽しむことが出来るようにして下さっていると思うようになった。障害の有る無しに関わらず、白痴であろうと天才であろうと、人と比べるというむなしい基準をもって計ることをしなければ、子育ての喜びは沢山備えられてあると思う。

覚えるのに時間のかかる子、手間暇のかかる子にじっくりと関わった親には、たった一つの事ができるようになったということさえ、大きな喜びや感動を味わうことができる。
病弱な子をはらはらと育てている親には、今日一日のいのちの重さを誰よりも知っていることだろうし、その一日はとても中身の濃い時間だと思う。


 チャーリィは彼と同じ手術をした先輩、アルジャーノンという天才ネズミを唯一の友達とするけれど、そのネズミの壊れてゆく様子を見て、自分の中に起こる脳の崩壊を予想する。彼は自分の末路をはっきりと予想できる知能をその時持っていたから。

 彼がこだわったのは白痴のチャーリィをひとりの人間と認めない者への怒りだった。科学者はチャーリィを人とした天才として生み出したと思っている。その傲慢が彼をいらだたせる。天才の彼も障害者のチャーリィも同じひとりの人間として認めて欲しかったのだ。結局どちらの彼も本当には人として認められることはなかった・・。

 人はたとえ自分の子供であっても、ありのままで受け入れることは易しくはない。自分好みの条件をいろいろとつけて、それを満たし、自分を有利にする材料を持つ者を望む。どう見ても不利に見えるあれこれを子供に見るとき、受け入れることが出来なくなってしまうことがある。
仮に、受け入れているように見えても、その心の底には「改善」という自我があり、それはそのまま人として受け入れるということからは遠い。

人はある時イエスさまに出会い、生まれて初めての無条件の愛の存在に触れ、罪にまみれたままで受け入れられるという、そのような愛があるということを知らなければ、真実に愛することなどできないのじゃないかと思う。
チャーリィの母親も教会に行っていた。しかし彼女はイエスさまに出会ってはいなかった。

「アルジャーノンの墓に花束を」と言い残して、ひとりで施設に向かう最後は胸を締め付ける。けれどその時に残した手紙
「ひとがわらたり友だちがなくてもきげんをわりくしないでください。ひとにわらわせておけば友だちをつくるのはわりとかんたんです。ぼくはこれから行くところで友だちをいっぱいつくるつもりです。」
再び元に戻り、書くこともままならなくなったチャーリィの言葉を、私も覚えておこうと思っている。

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コメント一覧

エシュコル
http://hswofach-wtl.jugem.jp/
アーメン!!
石ころ
「yazawaと911の真実を思い描きました。」
すみません。私にはあまりよくわかりません。


いかに、余計なものを捨てるかだと思いました。
エシュコル
http://hswofach-wtl.jugem.jp/
yazawaと911の真実を思い描きました。
自身においても葛藤の日々であり、いかに十字架をもっと身近に感じられるかが課題でしょうか。
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