石ころ

ただひとつの望み (マタイ15章)




 「娘を助けてください」というカナンの女の叫びに、イエスさまは沈黙された。彼女は叫びつつ何処までも付いて来た。
イエスさまは群衆の求めに対して、数々の癒しをいとも簡単に行われている。即座に叶えられる願いと、じっくり時間をかけられる願いがあるのは、信頼関係によるように見える。

主は人の心にあるものをすでに知って居られる。必ず女が付いてくることを知っておられる。群衆の一人のようにその場で癒されなかったのは、交わりによって彼女を導きその信仰をほめたかったからである。

娘を救うことができるのは、イエスさまのおことばだけであることを女は知っていた。
だから主は、人の目前でどんどん交わりの深みに導いて行かれる。付いて行く女も深みに入り込んで行く。もう後戻りなどできないほどに・・。

すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです」と言われた。
しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」
すると、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。(マタイ15:26~28)


 信仰生活の中で、主が祈りに答えをくださらないと感じることがある。それでも主の他に寄る辺のない者は何処までも付いて行く。
その力は、主のみことばだけが唯一の望みだと知っているからである。その時はどんなに厳しい言葉にも耐えることができるのだ。その人を主は通りすがりの群衆とは分けて育ててくださる。

みことばをいただいた者は必死で追っていたものが、ある時振り返ると自分を追ってくるのを発見するようになる。

まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。(詩編23:6)

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