主はカインに言われた。「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」カインは言った。「私は知りません。私は弟の番人なのでしょうか。」(9)
カインは神に対して自分のしたことを誤魔化している。そんなことが出来るのは彼が神を知らないからである。それは彼が犯した殺人以上に重い罪であった。
主は言われた。「いったい、あなたは何ということをしたのか。声がする。あなたの弟の血が、その大地からわたしに向かって叫んでいる。
今や、あなたはのろわれている。そして、口を開けてあなたの手から弟の血を受けた大地から、あなたは追い出される。
あなたが耕しても、大地はもはや、あなたのために作物を生じさせない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となる。」(10~12)
みことばを無視して互いに争い大地に血を流し続けて来た人類は、そののろいによって貧しくなり、大地にあらゆる災害を招いている。災いは神が準備したものではなく、人類の我儘や貪欲の罪の結果なのである。
それゆえ、神によってキリストが罪の地に来てくださり、無実の十字架に置いて罪をあがない、聖い血潮によってのろいの代価を支払って、滅びからいのちを買い戻してくださったのである。
カインは主に言った。「私の咎は大きすぎて、負いきれません。
あなたが、今日、私を大地の面から追い出されたので、私はあなたの御顔を避けて隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人となります。私を見つけた人は、だれでも私を殺すでしょう。」
主は彼に言われた。「それゆえ、わたしは言う。だれであれ、カインを殺す者は七倍の復讐を受ける。」主は、彼を見つけた人が、だれも彼を打ち殺すことのないように、カインに一つのしるしをつけられた(13~15)
神に言い逆らっていたカインは、自分の行為がどういう結果を招いたのかを悟ったとき、アベルのために後悔したのでもなく、神の前に罪をわびたのでもなく、自分のために泣き言を言った。
イエスは彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」(マルコ2:17)
イエスの言葉は神から出た言葉であり、愛と憐みは神のご性質である。
キリストの十字架のあがないは過去、現在、未来の罪に及び、カインの罪もキリストによってあがなわれた。
それゆえ、神はカインに完全な守りを約束してくだされた。彼が主に寄り頼んだからである。
神を知らぬままに自らの罪を悔い改めることは出来ない。それは聖霊に触れられ、キリストの信仰に在って悟ることである。
主を知ることによって心が砕かれ、手段ではない真の悔い改めに導かれるのである。それを生きることは、うちに居られるキリストから流れ来る力によるのである。