石ころ

初めの愛から離れる(黙示録2章)

 

わたしの右の手の中に見えた七つの星と、七つの金の燭台について、その秘められた意味を言えば、七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会である。(1:20)

 

七つの教会はすべての教会のモデルであり、七つの教会に伝えられたみことばは、今、私たちにも警告となり、勧めと慰めとなり励ましである。

 

エペソにある教会の御使いに書き送れ。「右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が言われる。」(1)

 

キリストが教会を巡っておられるかのようにすべてを知っておられる。今私たちもあらゆる問題の中で、すべてを知っていて下さるみことばによって、守られ、慰めや励まし、平安をたまわっている。

 

「わたしは、あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。
あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。(2~3)

 

教会のために十字架で命をたまわったキリストの「あなたの労苦と忍耐を知っている」というお言葉は、「聞き及んでいる」というような知識としてではなく、私たちをはるかに超えて、労苦と忍耐を経験してくださった神の御子のことばである。

 

エペソ教会が、偽使徒を見抜いて教会を守ることができたのは、パウロのあらかじめの勧めによることであろう。

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。(エペソ6:12~13)

 

しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。
それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。(4~5)

初めの愛は自分のすべてをキリストに捧げて、心を空っぽに明け渡して従った日の愛であり、その低いところから始まった信仰が、何時からか・・祝福の中に紛れ込んで来たもろもろによって自分自身を建て上げていて、初めの聖さを失い、神を愛する愛から落ちていたのであろう。

 

しかし、神の警告は赦しへの導きであり、教会を取り去るためのものではない。
今、私たちはいのちの警告をいち早く受けるためにも、みことばに親しみキリストに近しく聞き続けることが、世に生きる中でどれほど大切であるか分かる言葉である。

 

しかし、あなたにはこのことがある。あなたはニコライ派の人々の行いを憎んでいる。わたしもそれを憎んでいる。(6)

 

神が憎まれるものを憎み、神が愛されるものを愛することができることは、大きな恵みであり守りである。
それを知るのは、みことばを導かれる聖霊の導きによることである。教会がいかにみことばにのみ立っているかがその分かれ目である。

 

耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。(7)

 

誰も完全ではなく教会も同じである。それゆえ、聖霊の導きによってみことばに聴きつつ、キリストの従順のうちに歩んで勝利をたまわり、やがて、パラダイスにて滅びることのないいのちの木の実を共に分かち合うのである。
さあ、このゴール目指して駆けよう!


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