昭和の爺の独り言

住みづらくなった世の中で、日々思うこと、感じることを書き連ねてみたい。
「もの言はずは腹ふくるる思ひ」・・・・。

首相、マイナ保険証を「積極的に促進」12月に一本化の方針

2024-05-20 10:50:11 | 日記

岸田政権の連中は、国民の望むことはやらないのに、国民が望まないことだけはさっさとやってくれる。

一体どんな神経をしているのか?

国民の声が聞こえないのか、それとも聞こえていて敢えて無視しているかわからないが、こういう政治家がのさばっている間は、国民の幸せなどない。

次期衆院選では、こういう国民を愚弄する政治家たちに、しっかりとお灸を据えてやらねば。

いくら我慢強い日本国民でも、我慢の限界というものがあるのだ。

しっかりと思い知らせてやろうではないか!!

選挙制度が政治家を去勢してしまった・・・・?

2024-04-30 08:49:25 | 日記
衆院補選、自民は全敗。

島根では惨敗。

長崎、東京では不戦敗。勝負すらできなかった。


かつての自民党なら、早々に「岸田おろし」が起こっていただろうなあ。

かつての元気のある自民党だったら、党内の志ある面々が、脱党して新党を旗揚げしていただろうに。

今の議員たちは、去勢された猫のように大人しいというか覇気がないというか。

金と保身に凝り固まってしまい、政治家という体をなしていない。

こんな議員に高い報酬など払うことなどない。


こうなったのも、小選挙区制という悪制のせいだろう。

候補者がろくに汗もかかず、勉強もせず、ただ党の七光りで議員になれるのだから・・・・。

金がかかると言って小選挙区にしたが、中選挙区時代よりも政治家が金に汚くなっている。

どうせなら、以前の中選挙区の方が有権者にとっては、選択の幅が広くてメリットが大きいのではないか?

選挙制度の在り方を、検討してほしいものだ。


勲章って何のためのあるんろう??

2024-04-29 11:29:13 | 日記
今年も叙勲者が発表された。

この人なら・・・と納得する人物もいれば、なんでこんな奴が・・・と思う御仁も。

その中の一人が、黒田春彦前日銀総裁。

それなりの功績はあるんだろうが、安倍晋三とグルになって異次元の金融緩和をした張本人。

そのお陰で、今のような超のつくほどの円安を招き、その結果庶民の暮らしをひどく圧迫しているのだ。

こんな人物が、国民の税金を使って勲章を授与しなければならないのだ。

その前に、金融政策の失敗を国民に詫びてほしいものだ。

日々の暮らしに青息吐息のド庶民としては、なんとも納得できない。


ついでに一言。

なぜ勲章にランク付けがあるのだ??

国が人をランク付けしているようで、違和感を覚える。

こんなおかしな制度は、廃止してはどうか??と・・・・。




野党の証人喚問要求、自民は否定的「重たい。慎重に考えるべき」

2024-03-22 16:11:41 | 日記

政治家の面々は、自分たちは法律の穴を巧みに利用して、甘い汁を吸っているくせに、いざその罪を追及されると、法律を「盾」にして保身をはかる。

何と汚い輩であろう。

疚しいことがあれば、証人喚問に応じて、正直に真実を述べるべきであろう。

これが人として取るべき唯一の道。

国民が法令違反をすれば、即刻司直の手が及び、「逮捕」だの「起訴」だのと言って大騒ぎだ。

いくら弁明しようと、信じてもらえないことが多々あるのに・・・・・。

政治家たちには、この世間のルールは適用されないのか?

私は、政治家であるからこそ、国民の代表であるからこそ、法を『厳正』に遵守し、適用せらるべきだと思うが・・・・・。

国民の税金で飯を食う限りは、国民をバカにし、足蹴にするような行為は慎むことだ。

近い将来、このような不届きな政治家には、きっちりときつ~いお灸がすえられるであろう。

首を洗って待ってることだ。

何か変だ!

2024-03-05 16:17:50 | 日記
給食で一人の児童の命が失われた。

うずらの卵をのどに詰まらせたのが原因だという。

大人からしたら何でもないことが、子供にとっては大変なことなのだろう。

しかし、よく考えると、うずらの卵はそんなに固いものではない。

ちょっと噛めばのどに詰まることはないのでは・・・・・と。

ひょっとして、普段からものをよく噛んで食べる習慣がなかったのだろうか・・・・とも思える。

たかがうずらの卵で命が失われたこと、非常に残念で悲しい思いである。


もう一つ残念なことは、この事故を受けて教育委員会が発表したのは、『今後うずらの卵の止める』と言うこと。

これはおかしい、絶対におかしい。

うずらの卵には罪はないのだ。

「うずらの卵」を悪者にするな・・・・である。

今、うずらの卵を排除しても、子供たちが将来にわたってそれを食べる機会がなくなるわけではない。

大人として子供たちに必要なことを指導・監督するべき義務・責任を放棄することではないか?

また今後の非難・批判を逃れるための保身ではないのか?

食材云云の前に、児童たちに「ものの食べ方や注意点」を日頃からしっかり指導するのが先であろう。

これは家庭でも然りである。

ただ危険だからそのものの使用をやめる・・・と言うなら、車も危険だから使用を止めなければならない・・・・ということになりはしないか?

スマホも危ないから使用禁止にすべき・・・と言う道理になる。

もう一つ問題は、給食時間のこと。

聞くところによると、本来なら45分ほどある給食時間が、色々な事情で10分から15分くらいしかなくなる・・・という状況もあるそうだ。

食べるのを急がせれば、食物をのどに詰まらせる事故も起きて当たり前かも・・・・。

この点も、しっかり検討し改善すべきであろう。


昭和35年に、社会党の浅沼委員長が演説の途中で、暴漢に刺されて死亡するという事件があった。

この時から、小刀などの使用を禁止したという記憶がある。

その結果、当時のこどもは自分で鉛筆削りなどが出来なくなった。(当時は鉛筆削り器と言うものはなかった)

危ないから、何でもかんでも禁止だというよりも、その者に対する正しい知識や処方箋を子供たちに提供するのが大人の責任でだと思える。


今の時代、何か事件や事故があると、その原因を改善する努力を避けそのものを排除したり、文明の利器に代用させようとする。

これでは、ますます人間の本来持っている能力や知恵を減退させるだけ。

はっきり言うと、人間が劣化するだけであろう。

ひょっとしたら、現代人の人間力や知恵は、縄文人のそれには及ばないのかもしれない。