昭和の爺の独り言

住みづらくなった世の中で、日々思うこと、感じることを書き連ねてみたい。
「もの言はずは腹ふくるる思ひ」・・・・。

何か変だ!

2024-03-05 16:17:50 | 日記
給食で一人の児童の命が失われた。

うずらの卵をのどに詰まらせたのが原因だという。

大人からしたら何でもないことが、子供にとっては大変なことなのだろう。

しかし、よく考えると、うずらの卵はそんなに固いものではない。

ちょっと噛めばのどに詰まることはないのでは・・・・・と。

ひょっとして、普段からものをよく噛んで食べる習慣がなかったのだろうか・・・・とも思える。

たかがうずらの卵で命が失われたこと、非常に残念で悲しい思いである。


もう一つ残念なことは、この事故を受けて教育委員会が発表したのは、『今後うずらの卵の止める』と言うこと。

これはおかしい、絶対におかしい。

うずらの卵には罪はないのだ。

「うずらの卵」を悪者にするな・・・・である。

今、うずらの卵を排除しても、子供たちが将来にわたってそれを食べる機会がなくなるわけではない。

大人として子供たちに必要なことを指導・監督するべき義務・責任を放棄することではないか?

また今後の非難・批判を逃れるための保身ではないのか?

食材云云の前に、児童たちに「ものの食べ方や注意点」を日頃からしっかり指導するのが先であろう。

これは家庭でも然りである。

ただ危険だからそのものの使用をやめる・・・と言うなら、車も危険だから使用を止めなければならない・・・・ということになりはしないか?

スマホも危ないから使用禁止にすべき・・・と言う道理になる。

もう一つ問題は、給食時間のこと。

聞くところによると、本来なら45分ほどある給食時間が、色々な事情で10分から15分くらいしかなくなる・・・という状況もあるそうだ。

食べるのを急がせれば、食物をのどに詰まらせる事故も起きて当たり前かも・・・・。

この点も、しっかり検討し改善すべきであろう。


昭和35年に、社会党の浅沼委員長が演説の途中で、暴漢に刺されて死亡するという事件があった。

この時から、小刀などの使用を禁止したという記憶がある。

その結果、当時のこどもは自分で鉛筆削りなどが出来なくなった。(当時は鉛筆削り器と言うものはなかった)

危ないから、何でもかんでも禁止だというよりも、その者に対する正しい知識や処方箋を子供たちに提供するのが大人の責任でだと思える。


今の時代、何か事件や事故があると、その原因を改善する努力を避けそのものを排除したり、文明の利器に代用させようとする。

これでは、ますます人間の本来持っている能力や知恵を減退させるだけ。

はっきり言うと、人間が劣化するだけであろう。

ひょっとしたら、現代人の人間力や知恵は、縄文人のそれには及ばないのかもしれない。