羽生結弦選手 応援ブログ~kosumo70

日々の出来事や、フィギュアスケート、羽生選手の情報や感想など。
楽しく羽生選手を語りたいと思います。

花になれ特集

2015-08-20 14:26:24 | 日記
 羽生結弦選手とMJCが22日に共演 24時間テレビ
 
 相双地区の女声合唱団MJCアンサンブルが22日、日本テレビ系
 「24時間テレビ38愛は地球を救う」に出演、フィギュアスケート男子で
 ソチ冬季五輪金メダリストの羽生結弦選手と共演する。メンバーは練習を
 重ね、本番に臨む。
 
 羽生選手は、MJCと歌手指田郁也さんが歌う「花になれ」に合わせて演技を披露、
 被災地へ勇気と元気を届ける。
 MJCは2011(平成23)年に続き、羽生さんは昨年に続き同番組に出演する。
 MJCの金子洋一代表は「羽生さんは復興への願いや亡くなった人への追悼の
 気持ちを持って演技している。羽生選手と同じ思いで歌ってほしい」と話した。
 MJCは13年に、全国の地方新聞社と共同通信社が創設した第3回地域再生大賞の
 特別賞を受賞、福島民友新聞社が主催する第23回みんゆう県民大賞も同年受けている。
 (福島民友から) 

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 フィギュアまとめ零さんのサイトより

 NHKのテレビ・ラジオ情報誌、ステラの最新号の番組欄に
 28日のあさイチは「トーク・羽生結弦」と「音楽・サラオレイン生歌歌唱披露」!

 そのほかに、羽生選手とそっくりの男子が~~ 

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 ツール・ド・東北 チャリティーオークション

 フィギュアスケーターの羽生結弦さんから、今年5月に行われた、
 ツール・ド・東北 2015の記者会見用にビデオメッセージをいただきました。
 このビデオメッセージの中でご着用いただいた
 「サイン入り ツール・ド・東北 オリジナルジャージ」を、Yahoo! JAPANが
 運営するオークションサイト「ヤフオク!」に、チャリティーオークションとして
 出品いたします。

 落札金額は、自転車を活用した東北地方の観光振興など、東日本大震災の被災地域の
 復興に関する活動への助成金として活用する、「ツール・ド・東北 基金」へ寄付いたします。
 くわしくは、こちらです。

 ヤフオク(今のところ30万2千になってます)

 

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 羽生選手のPR動画です!

 こちらへ、リンクしてください。

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 150819 24hTVまであと3日
 YzRIKOさんが動画をあげてくださいました。

 こちらの動画になります!! 

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 鎮魂の「翼をください」 クリス・ハートさん共演 福島

 海外でも活躍する南相馬市の少女合唱団「MJCアンサンブル」
 (金子洋一代表、30人)が、米国出身の歌手クリス・ハートさんの新アルバムで
 共演している。交通事故でなくなった友への鎮魂の思いを込め、南相馬に
 駆け付けたクリスさんと一緒に「翼をください」を合唱した。

 公演でウィーンや台湾にも招かれてきたMJC。
 クリスさんとの初共演は、昨年8月に東京都内で開かれたテレビ局のイベントだった。
 その後もクリスさん側から「また一緒にやりたいね」という意向が伝えられていた。
 朝日デジタルより

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 盛岡市アイスリンク「盛岡市アイスリンクオープン記念基礎スケート教室」

 5歳以上の方ならどなたでも参加できます。

 詳しくは、こちらです。

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 ナインティナインが一流アスリートを直撃取材。
 怪物・大谷翔平を支える○○とは?

 フィギュアスケートの羽生結弦、浅田真央らの
 「えっ!?そんな事してたんですか!」という驚きのエピソードを
 貴重映像とともに紹介するバラエティー。

 詳しくは、こちらです。

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 <過去の記事>

 [18]ショーナンバーを作る

 世界選手権の激闘を乗り越えて。

 左膝を痛めた羽生結弦は、まる1カ月氷に乗らず、仙台の実家で静養。
 スケート連盟表彰式などの行事に参加した後、4月下旬、カナダ・トロントに戻った。

 足のケガに不安を残し、体調も不安定。
 そんななかでも5月は、デイビッド・ウィルソンとともに新しいプログラムの
 振り付けにも着手している。
 そして5月末には、アイスショー「アート・オン・アイス」出演のため帰国。
 藤井フミヤの名曲「TRUE LOVE」に乗り、約2カ月ぶりに元気に
 滑る姿を見せてくれるはずだ。

 しばらくはアイスショーで彼のスケートを楽しめるオフシーズン。
 2012年は初めてミュージシャンの生演奏とコラボレートしたナンバーを
 披露し、ショーマンとしての新たな魅力に気づかせてくれた。

 ショーナンバーながら昨シーズン、大きな印象を残した「花になれ」。
 アイスショーシーズンの今、改めて振り返ってみよう。
 
 「結弦君とは、当日まで全然面識がなかったんですよ。
  福井で初めて会って、最初にふたりでちょこっと話して、
  『まずはなんも意識しないで、一回やってみましょう』ってことになりました。

  とにかく最初は自由にね、ってリハーサルをやってみたら……
  もうなんだか、歌っていてすごく気持ちが良かった! 
  それが僕だけじゃなく、結弦君もだったんです。
  リハの後に彼が来てくれて、『わあああ。もう、ヤバいっす!』と(笑)」

 「花になれ」を歌うシンガー・指田郁也氏は、羽生結弦との出会いを
 こんなふうに振り返る。

 もともとこのナンバーは、2012年9月に福井で開催されたアイスショー、
 「ファンタジー・オン・アイス」のために指田氏の楽曲の中から選ばれ、
 振りつ付けられたものだ。

 当時の羽生はショー出演のため、トロントから8月末に帰国し、振付師の
 宮本賢二氏とともにプログラムを作成。
 12-13シーズンは、デイビッド・ウィルソン、ジェフリー・バトル、
 カート・ブラウニングと、3人のカナダ人振付師と初めて手合わせをした羽生だが、
 実は宮本賢二氏の作品を滑るのも、「花になれ」が初めてだった。

 「とにかく羽生君は、真面目に練習する選手ですね。
  振りを覚えるのも、とにかく早い。

  僕としては、彼の手足が長く顔も小さく、形が整っているところを
  存分に生かせたらな、と思って振り付けたんですよ」(宮本氏)

 「賢二先生とのプログラム作り、すごくやりやすかったです。
  まずひとつひとつの振りについて、すごく詳しく教えてくれる。

  たとえばすごく印象的なところで入ってるイーグルは、

  『これは羽で跳ぶイメージだよ』と。

  歌詞に対してどんな意味を動きに持たせていくのか、深いところまで
  教えてくれる。かゆい所に手が届く、みたいな感じかな(笑)」(羽生結弦)

 「彼もすごくこの曲を気にいっていましたし、歌詞には風や空や太陽が出てきて、
  透明感があります。

  その雰囲気に合うように、スピード感のあるプログラムにしてみました。
  僕から見ても、気持ちよさそうに滑ってますよね」(宮本氏)

 宮本氏の指導は厳しい、と多くの選手たちが嘆くが、羽生との共同作業は
 真剣ながらもぶつかり合うことなく、和やかな雰囲気で進んだ。
 ふたりの動きを見ていると、宮本氏の動きや指示を、羽生があっという間に
 こなしてしまうカンどころの良さに驚く。

 また、「もうちょっとこうしたら?」という宮本氏の指示も的確で、
 ひとつのアドバイスでぐっと動きが良くなっていく様も面白い。

 その動きも、羽生結弦の良さを巧く生かして振り付けられていることに、
 多くの人が気づいただろう。
 素直に動く身体と気持ちのままに、スムーズにでき上がって行くプログラム――
 振り付けは滞りなく、3日で終了。そのまま福井入りし、冒頭の指田氏との
 顔合わせとなった。

 実は羽生は、生歌との共演をかなり楽しみにしていたようだ。
 
 もともと音楽が大好きで、日々、iPodが手放せないタイプ。

 また2011年にも同じショーに出演したのだが、そのときは願っていた
 コラボレーションを実現できない悔しさがあったのだ。
 2011年のゲストアーティストは、仙台在住のロックバンド、
 MONKEY MAJIK。
 ファンならご存知の通り、彼はそれ以前の09-10年に
 MONKEY MAJIKの楽曲「Change」を通常のエキシビションナンバー
 として滑っている。

 「『Change』、本格的にボーカルの入った曲で滑るのが初めてで、
  すごく新鮮だったし、滑っていて楽しいプログラムでした。
  世界ジュニアで優勝した年に作ったもので、僕のエキシビションナンバー
  としては代表作になりそうなもの。
  この曲の生演奏で滑れたら、嬉しかったのになあ。

  ミュージシャンとの共演って、ほんとうに憧れなんですよ」
  (羽生、2011年のコメント)

 しかし「Change」は、MONKEY MAJIKの楽曲に
 三味線の吉田兄弟が参加したもので、彼らがいなければライブでの演奏は
 難しかったこと。
 そして何より、まだ世界選手権に出場もしていなかった羽生は、
 メインのスケーターたちのようにミュージシャンと競演するにはまだ
 時機尚早と見られていたのだ。

 だが今度は、誰にも文句を言わせない世界選手権銅メダリスト。

 彼を目当てに来場するお客さんも多いなか、堂々とショーのハイライト
 となるコラボレーションナンバーを滑ることができる。

 「そのうれしさは、僕も同じです。
  もちろん結弦君の名前は知っていましたが、ミュージシャンがアイスショーで
  歌う機会があるなんてことは、知りませんでした。
  スケート選手とコラボできるなんて思ったこともなかったので、ちょっとびっくり。
  そしてうれしくて、『これはちゃんと歌わなきゃな!』と(笑)。

  僕にとっても新しい挑戦ができるんだ、とすごく嬉しくなりましたね」(指田氏)

 17歳(当時)と、26歳。

 年齢もジャンルも違えど、それぞれの世界でのニュースター同士、
 ほんとうにわくわくする顔合わせとなった。

 「歌にタイミングがあるように、スケートにもジャンプするタイミングとか、
  ありますよね。そんなところを合わせたほうがいいんじゃないかな、
  なんて最初は思ったんです。

  でも結局、特には意識せず、とにかくふたりともが気持ちよく、って
  ことを大前提にやっていきました。

  だから僕はただ、いつものライブ通りに。

  結弦君は、『歌詞の中に入りこんで滑ります』と。
  おかげで最初の公演から、緊張して『やばい、どうしよう……』って
  こともなく、気持ちよくできましたね。

 そのとき遠目で彼を見ていて思ったんですが、プログラムの動きは、
 すごくシンプル。でもシンプルなものほど、すごく難しいはずです。
 そんな動きに、あそこまで感情移入して表現できるのは、すごいな……と。

 しかも彼は18歳、先日18歳になったばかりだという。

 いや、これはすごいことです」(指田氏)

 羽生自身も、滑りながら曲を聞いて泣きそうになるほど入りこんで
 いたと言い、そんな彼の言葉も指田氏はとてもうれしかったそうだ。

 「2公演目も同じテンションで行けたし、3公演目はラストで、
  ふたりともめちゃめちゃ気合いが入っていました。
  やる前から、『今までも気持ちよくやったけど、最後は今まで以上に
  気持ちよくやろう!』

 『じゃあもう、ふたりとも陶酔するまでやっちゃおう!』と。
  かなりテンションが上がっていたので、
 『もう一曲くらい、やっちゃいません?』なんて、結弦君が
  言いだしたくらいです。

 『じゃあ、やっちゃおうか!』となって、

  実際に『〈花になれ〉が終わった後、ふたりで何かやってもいいですか?』
  と掛け合ってもみました。
  それは結局時間の都合で難しかったんですが、そのくらいふたりとも
  ノリノリだった。ラストの3公演目では、すべてを出しきった! 
  という感じでしたね」(指田氏)

  実際この公演中、羽生結弦は面白いくらいハイテンション ・・・ 
  (WEBRONZAより)

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 【震災を乗り越えて ソチにかける羽生結弦選手(上)】

 仙台のリンクで被災…絶望からの復活を支えたのは地元の人々だった。

 氷上に右手を着き、「ロミオとジュリエット」の曲に合わせてピタリと止めたスピン。
 一瞬の静寂の後、割れんばかりの歓声に包まれた。
 昨年12月22日、さいたま市のさいたまスーパーアリーナ。
 フィギュアスケートの全日本選手権で、19歳になったばかりの
 羽生結弦(はにゅう・ゆづる)選手が、ソチ五輪出場を確実にした瞬間だった。

 代表に決まった後のインタビューでは

 「五輪に向けてしっかりがんばりたい。完璧な演技を目指したい」
 と気を引き締めた。

 「震災を乗り越えてよくここまで戦ってくれた」。

 前橋市の自宅のテレビで羽生選手の演技を見つめていた群馬県総合スポーツセンターの
 スケートリンク管理者、新井照生さん(50)は感慨にひたった。

 このときから約2年9カ月前の平成23年3月11日。
 羽生選手は、新井さんが当時支配人だった地元の仙台市泉区のスケート場
 「アイスリンク仙台」で練習していた。
 突如、東日本大震災の激しい揺れに襲われ、施設内は停電に。
 氷は波打ち、壁一面には大きな「く」の字の亀裂が入った。

 羽生選手は一緒に練習していた選手に助けられ、やっとの思いで施設外に逃げた。
 スケート選手の「命」とされるスケート靴の刃にカバーをつけないままでの避難。
 この靴は使えなくなり、練習拠点も失った。

 「こんな苦しい思いをしたうえに、スケートで苦しい戦いなんて、
  もうしなくていいよ」。
 
 このときの心境を羽生選手は著書『蒼い炎』(扶桑社)にこう書いた。

 被災時の恐怖心に加え、朝晩欠かさず練習してきた大切な場所を失った喪失感…。
 震災直前のシニアの国際大会で2位になるなど、ソチ五輪に向かって急成長を
 遂げてきた競技人生は大きく揺さぶられた。

 ◇リンクは16年12月に経営難で一度閉鎖したことがある。
  しかし、このリンクで育った荒川静香さん(32)が2年後のトリノ五輪で
  金メダルを獲得したのを機に、19年3月に再開。
  そのときから支配人になった新井さんは
 「前回閉鎖したときとは、まるで状況が違った」と振り返る。

  震災直後は、施設内で唯一損傷していた壁だけを修復すれば復旧できる
  見通しだった。ところが、震災1カ月後の大きな余震で壁が崩れてコンクリートの
  塊がリンク上に落ち、氷が溶けてむき出しになっていた冷却用のパイプが破損した。

  新井さんは「マイナスからのスタートになってしまった。もう再開は無理だ」
  という状況にまで追い込まれた。加えて、月平均で200万円の電気代がかかる運営費。
  「スケートはレジャーの一つ。電力不足の状況で再開なんてとんでもないことなのでは」
  との葛藤も芽生えた。

  そんな中、リンクに寄せられた多くの声。

  「羽生選手は大丈夫なの?」「練習はできているのか」。

  震災後、仙台を離れ、各地を転々としながら練習を続けていた羽生選手を
  心配するファンからのものだった。

  「ゆづのためにも早くオープンさせたい」。
 
  新井さんはこう決意し、4カ月後の再開にこぎ着けた。

 ◇24年3月11日。

  復興演技会が開催された震災1年の節目の日に、羽生選手は再びリンクに
  足を踏み入れた。

  「お帰り」。

  新井さんは到着した羽生選手に思わず駆け寄った。

  「またここで滑ってくれる日がくるなんて」。

  感極まる新井さんやファンが見守る中、羽生選手はこうスピーチした。

 「1年でここに戻って来られたのは、多くの人に支えられたおかげだと思う。

  この日にみんなにこうやって演技を見てもらえることが本当にうれしい。

  1年でこれだけできるなら、これからももっと復興に向けて頑張りたい」

  震災後、苦悩してきた羽生選手だが、競技続行への揺るぎない決意を感じさせた。
  羽生選手は著書の印税もこのリンクに寄付。

  「結果を出して、被災地の力になりたい」と地元への思いを強めているという。

  2月14日午前0時(日本時間)に始まるショートプログラムで、
  いよいよソチのリンクに立つ。テレビ観戦するという新井さんは

  「ゆづの五輪での舞は被災地にとってこれ以上ない勇気になる。

   楽しんで演じてほしい」とエールを送った。

 ◇ソチ五輪の開幕まで31日で1週間。

  羽生選手は東日本大震災で被災しながら、日本のエースに成長した。
  見守ってきた関係者の話を交えながら、苦難を乗り越えてきた姿を追った。
 (産経ニュースより)

 【震災を乗り越えて ソチにかける羽生結弦選手(中)】

 「逃げたくない、最高の技見せる」都築章一郎さん、精神的サポートで復活導く

 「僕も家族も大丈夫です…」。

 電話から聞こえてきたのは、今までに聞いたことのないか細い声だった。
 横浜市神奈川区の「神奈川スケートリンク」専属インストラクター、
 都築(つづき)章一郎さん(76)が東日本大震災後、
 羽生結弦(はにゅう・ゆづる)(19)と連絡が取れたのは発生から
 3日後だった。

 「充電がなくなってしまう」と言われ、1分もしないうちに切れた電話から、

 「無事で良かったが、想像もできない大変な思いをしているのだろう」
 と事態の深刻さを悟った。

 再び連絡があったのは、約2週間後の平成23年3月末。

 羽生の母親から「そちらで結弦を見ていただけないでしょうか」と頼まれ、
 「すぐにでも来なさい」と即答した。
 「結弦をつぶすわけにはいかない」。そんな危機感があった。

 ◇恐る恐るリンクに

 選手だった都築さんは大学卒業後、指導者に転身。
 昭和52年に東京で行われた世界選手権で日本初の銅メダルを獲得した
 男子選手らを育ててきた。

 15年前、4歳の羽生は仙台市泉区のスケート場(現アイスリンク仙台)で
 練習する4つ上の姉についてきた。
 これを機に、当時スケート場の支配人だった都築さんの指導が始まった。

 「野球選手になりたい」。

 当初、スケートへの興味は薄く、5分も練習すると飽きてしまった。

 だが、高い身体能力と柔軟性に加え、教えた振り付け以外の動きが自然と
 出てくる類いまれな表現力があった。
 負けん気の強さもあり、

 「フィギュアスケートの感性を非常に兼ね備えた子だ。
  この子はきっと世界一になる」と確信した。

 初めての演技は大好きだった「ウルトラマン」の曲で作った。

 フィギュアに興味を持ってもらえるよう心がけたのだ。
 指導は中学3年まで10年余り続いた。

 羽生が都築さんのもとを離れてから1年後に震災は起きた。
 23年3月末に横浜のリンクで再会した羽生は筋肉が落ちて体が一回り
 小さくなっていた。

 リンクに恐る恐る立とうとする姿からは、精神的なダメージの大きさが
 うかがえた。

 氷の上で余震に襲われ、誰よりも早く施設外に飛び出したまま
 練習に戻らなかった日もあった。
 両親には「このままスケートを続けてもいいのだろうか」とこぼしたことも。

 それを耳にした都築さんは「もう元には戻れないかもしれない」
 と不安を抱き、精神的なサポートを続けた。

 ◇取り戻した情熱

 サポートもあり、羽生は4月の震災チャリティーショーに出演。

 これをきっかけに、スケートへの情熱を取り戻していく。
 そのときの心情を著書『蒼(あお)い炎』(扶桑社)に記している。

 「これから試合が始まったら、羽生は地震のせいで成績が落ちた、
  なんてことにはしたくない。もちろん自分が被災者の代表であることの
  誇りは絶対に失いはしないけれど」

 3日に1回のペースで全国各地のショーに出演しては横浜に戻り、一般客のいない
 午前6時と午後8時から1時間ずつ練習に打ち込んだ。
 オフシーズンが終わる10月までに計60公演に出演。
 ショーでも難しい技に挑戦し、4回転ジャンプの技術も磨いた。

 「どんなときも最高のパフォーマンスを見せたい。

  この状況から逃げたくない」。

 羽生からこう打ち明けられ、都築さんの不安は次第に消えていった。

 24年3月には世界選手権で初のメダルを獲得。
 羽生は試合後、報道陣に

 「僕は支えられている立場だからこそ、ここまでできたと思う。
  被災地の方々の応援をようやく少し受け止められたのかな」とはにかんだ。

 羽生が小学2年のころ、都築さんは

 「世界で羽ばたこうな。一番になろうや」と語りかけたことがある。

 ほほ笑みながらうなずいた少年は今、その約束を果たそうとしている。
 (産経ニュースより)

 【震災を乗り越えて】ソチにかける 羽生結弦選手(下) 

 「全力出し切って、笑顔で終わりたい」

 平成23年4月9日。羽生結弦(はにゅう・ゆづる)(19)は、
 神戸市中央区の市立ポートアイランドスポーツセンターのスケートリンクにいた。
 約1カ月前に起きた東日本大震災のチャリティー演技会に出るためだった。

 リンクのあるポートアイランドは神戸港内にある土で埋め立てられた人工島。
 7年1月の阪神大震災のときは、液状化現象が起きて島全体が水浸しになるなど
 大きな被害が出た。リンクも所々に段差や亀裂が生じて閉鎖に追い込まれた。

 あれから16年3カ月。

 スケート靴を履き、リンクに立った羽生の目に飛び込んできたのは、
 約2700人で埋め尽くされた観客席やまばゆい照明、真っ白な氷だった。

 「この神戸のように、再び明るく温かい街に戻れるかもしれない」。

 東日本大震災後、初めて観客の前で演じた羽生。
 被災して練習拠点を失ってから1カ月になろうとしていたこのときに、
 故郷復興への希望を見いだしていた。

 演技後は休むことなく、3時間にわたって他のトップ選手らと寄付を募った。

 オークションも含め、この日集まった寄付は計約1270万円に上った。

 ◇「絶対咲かすんだ」

 演技会で感じた復興への思い。
 採点や勝ち負けがなく自由に表現できるエキシビションやアイスショーでは、
 その思いが全身からあふれ出た。

 24年9月に福井県越前市で催されたアイスショーで初披露したのは、

 『花になれ』という歌に合わせた演技だった。

 昨年末に五輪代表に決まった後のエキシビションでも披露した。

 もともとは時代劇の主題歌だった『花になれ』。

 作詞・作曲したシンガー・ソングライターの指田郁也(さしだ・ふみや)さん(27)
 は歌に込めた思いを

 「どんな場所でも咲く花のように、生きていく中で直面する困難を乗り越えてほしい」

 と説明する。
 
 羽生は「自分の思いと通じるところがあって心に純粋に入ってくる特別な曲」
 と起用を決めた理由を指田さんに話した。

 振り付けを頼んだ振付師の宮本賢二さん(35)には

 「まるで花がリンクに咲くように、見た人が笑顔になれるように演じたい」

 と日本語の微妙なニュアンスも伝わる表現を求めた。
 振り付けを決めていく際には、思いの強さが出過ぎて宮本さんから

 「そこはもっとゆっくり。花を見せるところなんだから」と

 助言されたこともあった。

 膝から崩れ落ちそうになりながら持ちこたえ、涙をふきながら、再び力強く
 滑り出すシーンも組み入れた。

 「『絶対に花を咲かすんだ』との気持ちが強く感じられる。

  本当にいいものにしてくれた」。

 宮本さんは完成した演技を初めて見たとき、そう思った。

 ◇夢の舞台で大輪に

 米誌スポーツ・イラストレーテッドの最新号のソチ五輪のメダル予想では、
 日本勢としてジャンプ女子の高梨沙羅(さら)(17)とともに金メダル候補に
 挙げられた羽生だが、混戦が予想されている。

 2002年ソルトレークシティーから3大会連続でメダルを獲得している
 ロシアのエフゲニー・プルシェンコ(31)のほか、世界選手権3連覇中で
 最大のライバルと目されているカナダのパトリック・チャン(23)も出場する。

 それでも、宮本さんは

 「自分のためでなく、誰かのために、何かを伝えたいと思って演じ続けてきたことが、

  今の彼の力につながっている。

  ソチ五輪でも表彰台の一番上に立てる」と話す。

 日本代表になった後、

 「一生懸命、全力で出し切って最終的にいい笑顔で終わりたい」と報道陣に

 語った19歳。夢だった五輪の舞台で大輪の花になる。

                   
 連載は西尾美穂子が担当しました。
 (産経ニュースより)

 

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 羽生結弦 名古屋フィギュアスケートフェスティバル 2013
 telehessenさんからの動画です。

 

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 【イタリア版・翻訳】羽生結弦 4CC 2013 EX
 
 
 リンク元はこちらです。

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 <ゆづ小町さんのコラ画コーナーです

 皆でお祭りワッショイ

 

 ゆづ小町さんは、ムーン隊長の新し動画を作成してくださっています。
 いつも、本当に有難うございます!!
 
 ゆづ小町さんの作品は、他にもたくさんありますよ~

 ゆづ小町ツイッターへどうぞ。

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