MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2492 芸能のルーツとジャニーズ問題

2023年11月07日 | 文化

 日本の芸能界において、「ジャニーズ帝国」と呼ばれるまでに大きな影響力を持っていたジャニーズ事務所。メディアを舞台に様々な利害が錯綜する中、英BBCの報道に端を発し一大スキャンダルにまで発展したジャニー喜多川氏による性加害の問題も、事務所の解体、社名の変更と共に(いつのまにか)収束に向かう気配が漂っています。

 「人の噂も七十五日…」とはよく言ったものですが、その一方で、この問題を長年追ってきた「週刊文春」などは次のターゲットを伝統ある宝塚歌劇団に定め、「タカラジェンヌ飛び降り事件」と称し、返す刀で女の園のいじめ問題に切り込んでいるようです。

 思えばこれだけメディアが発達した日本にもかかわらず、ジャニーズ(やもしかしたらタカラヅカ)の「異様さ」や「普通ではない」感じが、多くの常識ある大人たちによって放置されてきたのは何故なのか。

 それは、歌や演劇の世界の話ばかりではなくて、例えば(市川猿之助の逮捕によって注目されている)「梨園」の名で特別視されてきた歌舞界におけるスキャンダルや、「角界」と呼ばれる特別の文化を持った相撲界における数々のトラブル、「お笑い」の世界と反社会勢力とのつながりなどにも共通するものなのかもしれません。

 これまで多くの大人たちによって「アンタッチャブルな世界」として認識され、(ある意味無意識に)隠されてきたてきたそうした社会の旧弊が、ここにきて俄かに注目を集めるようになっているのは一体なぜなのか。

 11月1日の総合情報サイト「Newsweek日本版」にノンフィクションライターの西谷 格(にしたに・ただす)氏が『ジャニーズ問題と天皇制』と題する一文を寄せていたので、この機会にその一部を紹介しておきたいと思います。

 中世の日本において、「芸能」というものは身分制度のなかで「賎民」と位置付けられた集団の中から生まれたことは広く知られている。河原者と呼ばれた彼らは土地や生産手段を持たず、(流浪生活の中で)博打や売春といった裏稼業のほか、歌や踊りなどの芸能に従事する者もいたと西谷氏はこの論考に綴っています。

 被差別民であった彼らは、マジョリティーの暮らす(農村を中心とした)一般社会から切り離された「異形」の人々と見做された。そして、近代以降身分制度は解体されたが、良くも悪くも「芸能界は特別な世界」「自分たちとは違う人たち」という認識は、昭和〜平成頃まで根強く残り続けたというのが氏の指摘するところです。

 例えば、枕営業についても「芸能界はそういうもの」の一言で長年見過ごされ、社会的に黙認するコンセンサスが成立していたと言ってもウソではない。枕営業だけでなく、暴力団とのつながりや薬物使用についても、同様だったというのが氏の認識です。

 一方、昭和期までのそうしたコンセンサスが、平成〜令和にかけて崩れていったのはなぜなのか。「芸能人だからといって特別扱いすべきではない」「芸能界の悪弊を改めねばならない」という意識はどこから芽生えてきたのかと、氏はこの論考で問いかけています。

 今からおよそ20年前の2005年(平成17年)、小泉純一郎首相率いる自民党が総選挙で圧勝し郵政民営化法が成立したこの年に、芸能会にはそれまでの常識を一変させるアイドル集団「AKB48」が誕生する。

 「会いに行けるアイドル」がコンセプトの彼女たちは、芸能人と一般人の間にあった垣根を取り払った象徴的な事例とされ、これを起点として、芸能人はもはや"雲の上の存在"として崇める対象ではなくなっていったと氏はこの論考に記しています。

 暴対法を背景に、暴力団の人数がピークから減少に転じたのも同じく2005年のこと。以後、暴力団の存在が社会から消えていく流れに沿うように、芸能界に対する特別視も薄れていったと氏は言います。

 当時現役のAV女優だった蒼井そらが地上波のテレビドラマに出演するなど、性産業やいわゆる夜職の成功者たちがメディアに多く登場するようになったのもこの頃のこと。賭博関連では、カジノ誘致の動きが出てきたのも同時期だったということです。

 一方、(ジャニー喜多川氏の所属タレントへの性加害を認める)文春裁判が確定した2004年という年は、まだギリギリ「芸能界は特殊な世界」という治外法権が機能していた時代だった。加えて、同性愛や性被害への偏見も今以上に根強かったと氏は説明しています。

 LGBTの文脈で言えば、性同一性障害特例法が施行されたのも2004年のこと。それまで「性的少数者」は(社会から)ある意味「見えない存在」として扱われており、だからこそ、ジャニー喜多川の行為も「見えないもの」としての取り扱いを受けたというのが氏の認識です。

 さて、それから約20年の月日が経過し、貴賤の薄れた平準化された社会の中で日本人はジャニー喜多川の所業を「再発見」し、実態をまざまざと見るようになった。また、旧ジャニーズ事務所を取り巻く日本社会の「空気」に水を差すことをできたのが外国メディアだったも、ある意味必然だったのだろうと氏は話しています。

 集団の「空気」を内部から変えることは難しく、仮に変えようとしても聞く耳を持たれないのは世の常というもの。しかしその一方で、テレビ画面の中のアイドル達も、時代と共に「リアルな人間」としてとらえられるようになってきたということでしょうか。世の中の貴賤の感覚が変化する中、西欧に端を発する「人権」という感覚も、歴史や文化を超えて理解・定着し始めていると考えても間違いはないのかもしれません。

 時代が移れば空気も変わる。今から20年後、私たちがどんな問題を「再発見」することになるのかを今知ることはできないが、その時々の「空気」に支配されていることは間違いなさそうだと話す西谷氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。

 


#1942 今日はタトゥー(刺青)のお勉強

2021年08月21日 | 文化


 今回の東京オリンピックをテレビの画面越しに見ていて改めて思ったのは、タトゥーを入れている選手が思ったよりも多いなということ。以前はあまり気が付きませんでしたが、小さなものまで含めれば、競技の際に映える様々なポイントにちょっとしたアクセサリーのようなタトゥーが彫り込まれ、鍛え抜かれた身体のアクセントとなっていました。

 選手たちはこうしたタトゥーが示すひとつひとつのメッセージによって、アスリートとしての個性をアピールしているのでしょう。たしかに、競技や表彰式などで見せる小さなしぐさなどに、描かれたタトゥーが忘れられない印象を残す場面もいくつかあったような気がします。

 そこで今日は、(せっかくの機会なので)日本におけるタトゥー(入れ墨)文化のお勉強です。現代の日本の大人社会では眉を顰められることの若者たちのタトゥーですが、そもそも日本における入れ墨の歴史は長く、研究によると、最初に記録に登場する装飾目的の入れ墨は西暦247年に遡るとされています。

 その人気を一般大衆にまで拡大させたのは、江戸時代(1600年代~1868年)の太平の世の中だったとされています。江戸幕府は民衆、中でも下層階級の統制に力を入れており、着物色や素材にも(階級ごとに)厳格なルールを定めていました。そうした中、肉体労働を生業とする下層階級の人々にとって、色とりどりの入れ墨は規制に反抗する一つの手段だったと考えられているようです。

 実際、江戸時代末期から明治初期の日本人の日常生活を示す写真などを見ても、上半身裸で入れ墨姿の車夫や人夫の写真がかなりの割合で記録されています。小柄ながらも日に焼けた筋肉質の身体に精悍な笑顔。そこによく映える入れ墨は、当時の肉体労働者のプライドのようなものだったのかもしれません。

 しかし、明治時代に入ったばかりの1872年、入れ墨が(未開国として)西洋列強からの軽蔑を招くことを懸念した新政府は、入れ墨を入れる行為やそれを見せることを法律で禁じました。それから、終戦後の1948年に廃止されるまで、日本の入れ墨文化はまさに「違法」なものとして受難の時代を迎えることになります。

 彫り物を入れるのは「人の道」を外れた違法覚悟の侠客ということになり、また、その心意気を示す手段として入れ墨が使われる。そんな循環の中で、現在まで続く日本人のタトゥーに対する(偏見とも呼べるような)意識が深まっていったものと考えられます。

 戦後、入れ墨自体は晴れて適法化されたものの、(昭和30年代に人気を誇った)任侠映画などの影響もあり、背中の彫り物は「ヤクザ」と呼ばれる暴力的な反社会勢力のイメージと強く結びつくようになりました。警察も、紋身(もんしん)とみればヤクザの構成員として扱うようになり、銭湯や温泉、プールなどでは入れ墨のある客の入場を禁じるようになりました。こうして、日本独自の「和彫り」と呼ばれる入れ墨文化は国民の日常生活から排除されるようになり、一般の人々の目に触れることは極めて少なくなったと言えるでしょう。

 まあ、それでも私たちが子供の時分(昭和30~40年代)は、銭湯などに行くと竜や虎などの立派な彫り物を入れた男たちをごく普通に見かけたものです。「俺たちは(堅気の皆さんとは)住む世界が違うんだ」と、その背中は無言で語っていたような気がします。

 そう言えば、当時の親たちも「じろじろ見ちゃいけないよ」などと言いながら、彼らの姿にそんなには忌避感を持っていたようには思えません。社会の仕組みからはずれた「反抗する人々」の気概のようなものを、背中の彫り物から感じていたのでしょう。

 時は移り、平成の時代に入ると、今度はアメリカの若者たちの「ヒップホップ系」と呼ばれるようなストリート文化の影響を受けた日本の若者たちの間で、機械で浅く彫りを入れる「タトゥー」が人気を集めるようになります。そのデザインには宗教的なアイコンや自然物、さらには自らのポリシーなどがモチーフとされることが多く、メッセージ性の高いものとなっているのが特徴です。

 若者たちはこうしたタトゥーを(他とは違う)自分の個性を表現するファッションとみなしており、一つ前の世代が持つ「入れ墨」の反社会的なイメージとは、かなり性格が異なっていると言えるかもしれません。

 そして今回の東京オリンピック。サーフィンやスケートボードなのどの「ストリート系」の競技が次々と新採用される中で、3年後のパリではブレイクダンスも種目に加わるとのこと。日本のタトゥー文化はいよいよ次の時代に入るような予感があります。

 アメリカ西海岸やオーストラリアなどの街を歩くと、老若男女が上腕などにタトゥーを入れて歩いている姿に驚かされますが、この日本においても(地域は限られるかもしれませんが)そうした光景を普通に目にする機会が増えて来るかもしれません。

 「親からもらった身体に…」という感覚も既に過去のこと。以前は本当に一部の女性たちのものだったピアスも、気が付けば男性女性を問わずごく普通のファッションとなっています。

 時代のキーワードは「多様性」だという話をよく耳にするようになりました。「人は皆、同じである必要はない」…この先の日本でこうした考え方がごく一般的で「当たり前」なものになれば、タトゥーももっと市民権を得ていくのではないかと、改めて感じるところです。

♯25 サイン(sign)について ②

2013年07月01日 | 文化

 進化の過程で蓄積された経験というものが、幾世代にもわたる時を超えて人の脳の中に様々な回路を作っているという話を聞きました。脳へのちょっとした情報の入力が、ある種のサインとして身体の反応を引き起こす、このようなことがままあるのはそのためだということです。

 例えば、赤信号の赤い色はまさに「血の色」。人間の脳は赤い色を危険な色だと関知して大きく反応するのだそうです。また、洋の東西、老若男女を問わず蛇があれだけ嫌われるのは、森林や草原などでの暮らしの中で相当ひどい目にあったトラウマだとか。だからミミズや芋虫のような手足のない細長いものが嫌われるのだとか、そういう話も聞こえてきます。

 黒板やガラスをひっかく音には人種や民族に関係なく約90%の人間が強く反応するといいますが、これは進化の過程にあった人類が仲間に危険を知らせるときの叫び声の周波数と同じだからだという説が有力なのだそうです。

 我々の身体は、無意識の内にもこうしたサインを見逃しません。

 人は、情報の8~9割を視覚から得ていると言います。人間の脳は、網膜に映し出された映像を様々な記憶と照らし合わせ、それが何者かを「認識」しようと努力します。

 人は黒い点が3つあるとそれだけで「人の顔」として認知するようにできているそうです。そう言えば小学校に上がる前など、親戚の家に泊まりに行ったりすると天井板の節穴がお化けの顔に見えて、怖くて仕方がなかったことを思い出します。

 かつて、攻撃のすべを持たない脆弱な人類は群れを作って外敵や自然環境から身を守り、また狩猟や採集や農業をしながら何万年にもわたって生き延びてきました。そうした生活の中で、同じ群れの個体の表情をサインとして受け取りその情報に的確に対応することは、集団の中で生きていくための大切な知恵であったはずです。

 特に女性(雌)は、子育ての必要などから集団生活になじむことが求められる機会が多かったため、こうした「サイン」(人の気持ち)を読む能力が、男性(雄)よりもかなり高度に発達したと考えられています。

 そして何万年もの時を超えた現代、一般的に言えば男性はやはり「察することが」苦手です。「どうして私の気持ちが分からないの?」とパートナーから嘆かれ、呆れられている諸兄も多いのではないでしょうか。

 男性が「言ってくれなきゃ分からないだろ」といくら語気を強めて主張しても、そうしたいらだちは女性には普通通じません。そう言えばメールの顔文字も、女性の方がずいぶんと表情豊かに使いこなしています。

 「何でわからないの?」「デリカシーがない」と非難される貴方の背景には、人類の進化とともに何万年にもわたって蓄積されてきた、そういう長い長い物語があることを心した方がいいということです。