みずのぉと。

もっと建設的な事考えたい。

ふと気づいた事があるんです

2015年06月16日 | Weblog。(まずはここへ保存)
・最近は視界が広く、やっと余裕が戻ってきた。
・自分と似た性格、特性があったとしても、自分とは別の人間だと認識しなければならない。
・自分は取るに足らないとよく思うけれど、卑下しすぎる事が良くない時もある。
・ソフトカラーの蛍光ペンはラインを引いても目立たなくて、意外と厄介。

閑話休題

2015年06月14日 | 自分自分自分。
ここ数日、自分が過去を見直す事を目的として過去をたどっています。

それならチラシの裏にでも書いてろと思われる方もございましょうが、
少しだけこんな事を考えていたのか~と思っていただけたら幸いです。

過去が現在に追いついて、全てに整理がついた時、
自分はどんな結論を出すんだろう???

平成26年1、2月の標語

2015年06月12日 | 今月の標語。


1月「明日を思い煩うことよりも今を如何にすべきかが大切である」
2月「悪く思われたくないという気持ちは言うべきことを言えなくする」


明けましておめでとうございました。

新年を迎えるにあたり、初めておせち料理を作った。
1人でも生きられるという事を確かめたかったのかもしれない。

初めて一人で大晦日、元旦を迎えた。
私はここ数年、さすがに一人でいる事が寂しいと思う方ではなく、
むしろひきこもりなので淡々と過ごしたが、不自然ではあった。

元旦に病院で姉一家と集まった。
「病院食におせち料理がつくんだ」と母は笑っていた。

仕事は相変わらずだった。
テンパっていたので冷静な判断ができず、周囲に迷惑をかけまくった事もあった。

「何とかしなきゃ、成長しなくちゃ、周囲が思うようにならなきゃ、○×※~。」

その中でずっと考えていた事があったけれど、私はそれを
「自分が耐えていれば、時間をかければ良くなるんだ、自分だってそうだったじゃない」
となかった事にした。

悪く思われたくなかった。

そんな中で新しい案件が入った。内容から自分が担当となった。
中途半端な結果では、未来の仕事に関わる…自分ではなくみんなが困ることになる…。
…かもしれない。
毎日試行錯誤だった。

多分、明らかにキャパオーバーだった。でも、不安も苦痛もなかった。
それは自分の居場所で、存在意義で、不安に思っていた事をなくしてくれた。
偽りの自己肯定感。

(それが誤りだとわかった今、本当の肯定感へと変化途中???→6/16追記)

2月末、母退院。約4か月、病名:結核。
1月に接触者検査(結核の症状があった時に接触している人が受ける)を受けて、
自分も陰性だったので一安心。

平成25年11、12月の標語

2015年06月12日 | 今月の標語。


11月「他に対して恥じるよりも 自らを恥じる心が大切である」
12月「物や金にとらわれていると 人生に迷いが多くなる」

この頃の記憶はあまりないけれど、ボタンを押したらレンジが壊れたりと大きな出費が増えた。
一人で暮らすようになって12月の標語の通り物や金にとらわれるようになった。
人生の迷いが大きくなった。

母の病は幸い、直接命に関わるものではないが、少々不便なもので…。
働いて、週末はお見舞い、そんな日々の繰り返し。

今まで自分から遠い存在であった家族や親族の助けがあって、非常に心強かった。

平成25年9、10月の標語

2015年06月12日 | 今月の標語。


9月「喜びは束の間に過ぎるが苦い体験は何時までも人を育てる」
10月「世の中から多くを求める人ほど 世の中に尽くす心が乏しい」

…今更とは思いましたが、自分の中にあるものを一旦全て書き出してみる事にしました。

今思うと要領が悪いだけだったのですが、この頃からいつも以上に仕事に翻弄されるようになりました。
思うようにならない事が増えてきたけれど、未来を信じて頑張っていたと思います。

10月某日、母の通う病院から突然呼び出しがあったので、半休いただいて向かいました。
ものすごく頭が真っ白になった事は覚えています。

入院、最低でも2か月、娘さんから伝えてほしい。
私は大人になってから初めて姉に助けを求めました。

ここから母の長い入院生活が始まりました。