友人には父を戦死でなくした人や、シベリア抑留で遅く帰国したため、その間苦労した人とかいました。
平和のありがたさはウクライナの映像見るたび、思い知ります。
5年ほど前、戦争中の品物を集めて、展示し、悲惨さを学習し、平和を守る決心を固めたことがあります。市民に呼びかけて戦時中のものをかしてもらいました。中には日清戦争日露戦争の時の勲章を出してくれる人もいました。
これは日の丸の寄せ書きです。出征する兵士のためにみんなが武運長久を祈って書いたもの。この寄せ書きは戦死している人が持っていたものを米軍兵士が戦利品として持ち帰り、アメリカでオークションにかけられていたのを、たまたま高知県から新婚旅行でその街を訪れていた若い夫婦が見つけたものです。名前の中に高知特有の名字が多いのに気づき、高知の戦死者のものだと確信して、高知に持ち帰り、戦死した方の甥が見つかり、甥ごさんが大事に保管しているのを借りてきました。かなり傷んでいます。どんな無念の思いで異国で亡くなったかと思うと胸が痛みます。
赤トンボと呼ばれた白菊特攻隊の練習機の模型。今の龍馬空港の前身は南国市日章に飛行場があり、海軍の予備校生がこんな飛行機で訓練をしていました。戦争末期には赤色で塗っているので赤トンボと呼ばれた練習機で沖縄を守るため、飛びたったそうです。敵を避けるため月明かりや夜明け前の明るさを頼りに海面すれすれに飛んだとききました。
香長平野には敵がきた時飛行機を隠すため、作られた掩体壕が7基残っています。
掩体壕の写真
焼夷弾の模型 火薬を沢山詰めて、落とし、木や紙で出来ている日本の町を燃やした。
戦死した方が持っていた飯ごうや水筒など
鉄兜
モンペ 防空頭巾
戦地の兵隊さんへ、作文や絵など書いて送った慰問袋
季節によって絵柄がちがいます。
軍隊手帳など
海軍の帽子
戦死した地元出身中岡中将の日誌は県立歴史資料館から遺族の方が特別に借りて展示に協力してくださいました。
これを記事にしてくれた読売新聞
中岡中将の遺族の方が書かれた文の一節
「戦争は戦死者の心を忘れ去った時からはじまる。平和は戦死者を二度と出すまいという誓いから生まれる」
がわすれられません。ウクライナに一日も早く平和を。
訪問ありがとうございました。長々読んで下さった方に感謝します。