北カリフォルニアのお父さん

家族5人 - 北カリフォルニアに暮らす。

三男 - 高校卒業・クラブ・サッカー完了・大学入学 (2022年) - (2)

2023年01月26日 | 家族
前回の続きの写真です。クラブサッカーについて。

我が家のクラブサッカー完了に伴い、この1年のハイライトだけではなく、過去に
遡ってみます。前回を超えるかなりの枚数になってしまいましたのでご了承を。




我が家のサッカーとの関わりは長男の秋のリクリエーションリーグから始まりました。
長男に向いているかなと思い、その後クラブサッカーに参加させましたが、残念ながら
夢中になることはなく1シーズンで終了。




次男はと言いますと、長男がクラブサッカーでプレーしていた時、練習、試合にいつも
一緒について行き、3歳年下にもかかわらずコーチの好意で練習に加えてもらいました。
心身共に準備を整えていき、リクリエーションリーグを1シーズンだけ経験し、クラブ
リーグのスタートとなりました。




三男も次男の試合には、いつもついて行き、準備は出来ていましたが、次男同様、まず
リクリエーションリーグを経験。その後、次男と同じクラブに入り、B チームでのデビ
ューとなりました。




どんどん上達し、サッカーは楽しくはありましたが、上のチームに上げてもらうことは
なく、それどころか、クラブが B と C チームと無理矢理くっつけ、デコボコのチームと
なりました。




楽しくなさそうでした。




そして、とうとうクラブ移籍を決意。新しいクラブを選び、トライアウトは無事にパス。
三男自身も直ぐにクラブを気に入り決定です。写真は移籍後の初めてのシーズン。この
コーチは三男のトライアウトを担当し、その後、1シーズンだけでしたが、三男のチーム
コーチにもなりました。指導者として優れ、今でも三男にとっては12年間のベストコーチ
です。




やはり B チームではありましたが、技術レベルは上がり、再び楽しくなりました。練習
や試合にも力が入ります。さて、移籍から1年が経った頃、アメリカ・サッカー協会が、
当時のクラブサッカーのトップリーグである Development Academy League の年齢枠を
翌シーズンから下げることを発表。その結果、三男の年齢から同リーグに加えられること
になりました。




三男は、コーチ、チームメイト、技術レベル、どれも不満はありませんでしたが、上を
目指し、所属するクラブで新設される Academy チームのトライアウトを受けることに
しました。その頃、次男が所属するクラブからも声をかけてもらい、2つのクラブの
トライアウト挑戦となりました。結果は両方で合格をもらい、いろいろ考えた末、最終
的に次男のクラブへの移籍を決めました。新しいクラブでの新しいリーグ戦のスタート
です。




三男の年齢のトップリーグでの練習と試合に満足し、日々が過ぎていきました。




残念なことに、翌年、クラブが Development Academy League から外されることが決定
となりました。主力プレーヤーはトップクラブへと移籍し、三男のチームは一つ下の
NorCal Premium League に格下げとなり、そこで数シーズンを過ごしました。レベルは
低くありませんでしたが、次男からの影響で NCAA の Division 1 大学でのサッカーを考え
始めていた三男は少し焦りました。




思案した結果、 Development Academy League のクラブを狙うことにしました。トライ
アウトを受けたところ、やはりお誘いを受けたのは B チーム。それでも同じクラブで上に
上がるチャンスも先であり移籍を決めました。高校卒業まで4年間を過ごすことになった
このチームの技術レベルは高く、コーチとチームメイトとの相性もピッタリ。いいチーム
に巡りあいました。




三男はチームメイトと共に Development Academy チーム目指します。本人にとっては充実
した日々でしたが、私は週3回の車での練習の送り迎え。そしてシーズン中は週末の試合も
加わります。パンデミックの前は練習は片道約1時間、試合は場所によっては片道2時間。
加えて写真の撮影、編集でがんじがらめでした。もっとも、このチームで始まったことでは
なく、ピーク時は、次男の週4回の練習と週末の試合、そして三男の面倒でした。当時は
当たり前と思い苦にはなりませんでしたが、今では絶対に同じことは出来ません。




パンデミックの自粛期間を経てリーグ再開。もう Junior (高校3年生)。




まだ Division 1 大学でのサッカーは、三男と多くのチームメイトのゴールでした。




次男の頃から息子達を何度となく連れていった San Diego でのトーナメント。全米から
大学サッカーのコーチが集まり有望選手をチェックする場として知られています。年2回
開催されるうちの1つは11月の Thanksgiving Day の連休に行われ、San Diego 間の車での
往復はあちこち渋滞で片道8時間から10時間。息子達はいつも後部座席でスヤスヤですが、
私にとっては辛い辛い長距離ドライブでもありました。




Senior (4年生) になり、これが最後の遠征。チーム内では進学先はそろそろ決まり始め、
三男も含めて Division 大学のサッカーを諦めたプレーヤーも半数以上いました。それでも
誰もが残された時間を精一杯プレーしました。(三男はこの頃、既に将来のゴールとして
弁護士を考えていました。また Division 3の大学であればサッカーで進学も可能でしたが、
大学院への進学準備との両立は難しいとの結論に至っていました。)




シーズンの後半です。リーグ戦とは別に、毎年、秋と春の2シーズンをまたいで State
Cup トーナメントが 行われます。三男のチームは、Group Stage を勝ち抜き Knockout
Stage に残りました。この試合に勝てば準々決勝に進みますが、試合開始早々、相手
チームに2点の先制を許しました。ハーフタイムの後、息を吹き返し反撃開始です。




追いついたものの、相手チームも追加点を入れ、シーソーゲームが始まりました。




最後まで息の抜けない試合展開でしたが、残り数分で決勝点。




準々決勝に進むことになりました。




準々決勝も接戦でした。オーバータイムで決着はつかず、PK にもつれこみます。




全員決めて勝ちました!次は準決勝です。




誰もが決勝進出を考え




チーム全員で頑張りました。




食らいつきましたが、点差を縮めることは出来ませんでした。三男、そして我が家の
長かったクラブ・サッカーは全て終わりました。私自身楽しかったです。少し寂しくは
ありますが。

さて次の写真は勿論・・・




チームポスターです!

結局4年の間で上のチームに上がった仲間はいませんでした。途中メンバーの入れ替わり
が多少はありましたが、殆どずっと一緒の仲間です。チームは解散。誰もがそれぞれの
将来に向かってキックオフです。

みんな頑張れよーっ!


かなり長くなってしまいました。もう少しお付き合いください。




社会人リーグの試合に参加させていただいた時の写真です。




チームの社会人の皆さんは、サッカーの技術だけではなく人としても尊敬出来る方達
ばかりで三男は毎試合、とても楽しみにしていました。




数年前とは違い、三男の背丈と体重は周りの大人と変わりありません。




「おらおらっ!」「チョット!ボクノボールデショッ!」世代を超えた削りあい・・・
微笑ましい光景です。




このリーグは3部構成。息子達が参加させていただいたチームは真ん中の2部ですが、
息子達曰く、主力メンバーの方達の技術、サッカー IQ はかなり高いそうです。これ
からも息子達がお世話になります。写真は、3つある試合会場の一つ。




もう一つの会場から見えるサンフランシスコらしい景色です。

最後となりました。




10月に息子達の大学の試合観戦に行ってきました。行きは早朝、帰りは夜中に車を走らせ、
片道6時間半の日帰り弾丸トリップです。試合開始数分前。32番が次男、22番が三男です。
チームのロースターは30人。トライアウトには100人以上が集まり、Freshman は三男を
含めて10人が合格したそうです。この試合、次男はフル出場。三男はずっとベンチでした。
大学の試合については、次男のところでカバーしようと思います。


以上です。ここまでご覧になっていただいた方、お疲れ様でした。当初の予定ではサラッ
と流すつもりでしたが、この先、本ブログでクラブサッカーを取り上げることはなく、
ついつい沢山の写真を持ってきてしまいました。名残惜しくはありますが、私自身、
息子達のクラブ、高校サッカーは十分楽しませていただきました。次はいよいよ高校の
卒業式と大学入学関連の写真です。三男のハイライトは、それで終わりとなります。