北カリフォルニアのお父さん

家族5人 - 北カリフォルニアに暮らす。

次男 大学入学 (2019年)

2020年04月27日 | 家族
更新です。

次男の大学については、コロナ禍もあり、ずい分間が空いてしまいました。
当初、1月の更新の続きとなる次男の大学入学までの経緯を「サラーっと」
と考えていましたが、身の回りがバタバタ慌ただしくなり中断しました。
その後、続きをしたため始めたものの、4年前、長男の大学進学の際に
アメリカの大学入学システムについて殆ど触れていないことに気が付き
再びストップ。長男は、一通りの大学入学準備をした後、結局、最寄りの
州立 Community College に一旦入学し、1年後に私立の美術大学に編入と
いう方法を選びました。一方、次男は、州立の University of California
(以下UC)数校を志望校とし、必要なステップを踏んでその中の一校に
入学。長男とは経緯が異なります。「サラーっとスルーするか?・・・。」
やはり、詳しく書き残しておくこととしました。以下は、私の知識がベース
となっています。他の高校、大学、他州では事情は異なるかもしれずご了承
ください。長くなります。

まず、カリフォルニアの州立大学について始めます。かなりの数があります。
大きく3種類に分かれ、 University of California (UC) 10校、California State
University 23校、California Community Colleges 114校となっています。教育
水準、入学難易度からしますと一般に UC がトップ、次に State University が
続き、Associate Degree(準学士)を与える2年制大学の Community College
の順となります。但し、State University の中には全米の中でも高い水準の
大学もあり、また、3つのグループそれぞれの中でも、大学や学部によって
レベル、ランク付けは異なります。UC の中には全米でトップクラスのエリー
ト校もあり、某大学のキャンパスには、ノーベル賞受賞者(教授)専用駐車
場が設けられています。レベルの高さがうかがわれます。

次男が全ての志望大学に願書を提出し終えたのは、一昨年の11月、締め切り
ぎりぎりになってでした。願書提出先は、UC 数校と State University 2校
でした。その前年、次男のサッカークラブで一つ年上の仲間のお母さん方が
慌てふためいて願書の準備をしていたのを思い出しました。取りあえず間に
合いました。

アメリカの大学は、日本のような入試システムはなく、基本的に書類審査と
なります。要は成績なのですが、何と言いましても GPA (Grade Point Average)
そして統一テストの SAT (Scholastic Assessment Test) か ACT (American
College Testing) のスコアが審査対象の中心となります。

高校での成績は、大学同様「ABC」評価で、GPA は以下の通り点数変換され
ます。

A+ および A: 4.0、A-: 3.7、B+: 3.3、B: 3.0、B-: 2.7、C+: 2.3、C: 2.0、
C-: 1.7、D+: 1.3、D: 1.0、D-: 0.7、F: 0

アイビーリーグ、Stanford、UC のトップ校や、他の一流と呼ばれる大学が
受け入れる GPA のおおまかな平均基準は一般に3.9 から4.2くらいと言われて
います。ストレート A が当たり前のレベルです。私立の大学では Freshman
になったその年からの GPA が審査対象となることもありますが、UC、
California State University では、Sophomore、Junior、Senior の3年間の
GPA が対象となり、私立の「Early Decision」(早期意思決定枠)では、
審査のタイミングが前倒しとなり、Senior の GPA は除外されるようです。

A+ および A の点数が 4になることは、上で述べた通りですが、どうやって
GPA が4.0を超えるかと言いますと、アメリカの高校には、GPA に更に高い
点数を加えることが可能な AP (Advanced Placement)、IB (International
Baccalaureate) というシステムがあります。長男、次男が卒業し、三男が
現在通う高校は、AP プログラムのみとなっていますので、IB については
省略します。

AP は、高校生に大学の準備として大学レベルの授業を受けさせるシステム
であり、後で述べる統一テストの「SAT」と共に、「College Board」と
呼ばれる非営利団体が運営しています。どこの高校でも利用可能な訳では
ありませんが、指定校以外でも、一部の Community College やオンライン
でも受講が可能であり、数学、理科、社会、英語、第三外国語、美術、コン
ピューターサイエンス等様々な科目が用意されています。AP の評価方法は、
「ABC」ではなく、1から5までの五段階で5が最高点となります。よって
AP で5をとって GPA に加算されると、4.1以上の数字が可能となります。

AP プログラム利用のもう一つのメリットは、受講する科目や大学にもより
ますが、大学が定めた成績で終えると、その大学入学後に単位として認め
られ、受講が免除されます。時々大学を3年で卒業したといった話を耳に
しますが、AP をいい成績で上手に利用することにより、卒業に必要な単位
数を予め少なくしておくことが可能となります。

実は AP クラスを受けずに年度の終わりに AP テストだけを受けることも
出来ますが、独学で大学レベルの勉強をしてテストに臨むことになります
ので、かなりハードルが高いことは言うまでもありません。また、その場合、
科目によっては大学で受けなおすことが免除になるメリットはあるものの、
どれだけ良い点数をとっても GPA には加算されません。

次に SATです。長男、次男の高校の友人の中には、SAT と ACT の両方を
受けた生徒もいたようですが、息子達は SAT のみを受けました。(大学に
よっては、SAT も ACT も必要のないところもあるそうです。)SAT は、
前述の「College Board」が運営し、年7回実施。生徒が事前に日程、希望
する会場を確認して申し込みをします。一般的に Junior、Senior の年に
受験するのが良いとされおり、何度受験しても構いません。満点は1,600。
複数回受験した場合、多くの大学ではその中の最高点を受け付けますが、
大学によっては受験した全てのテストスコアの提出を義務付けています。
やはり受験は、十分な準備をして数回にとどめておくのが無難なようです。

過去の統計では、アイビーリーグのトップクラスの大学では、入学許可を
与えられた生徒の SAT スコアが仮に1,470-1,490点だったとすると、その
スコアは、合格者を4段階に分けた場合、一番下の25%のグループにあたる
そうです。1,580点までになりますと、一番上の25%のグループとのこと
でした。全米トップクラスの大学への入学は、限りなく満点に近い点数が
求められます。

入学試験で白黒はっきり合否を決める日本とは違い、このようなシステムで
あるがために、希望進路が決まっていれば、早くから戦略を立てておくと
有利になります。通常クラスの GPA で出来る限り4.0を保ち、この年でこの
AP を取り、何年まで GPA をここまで上げ、その一方、何年までに SAT の
スコアをここまでもっていき、この大学とあの大学を狙うといったところ
まで計画しておくと、 Junior になってから焦ってバタバタはないかもしれ
ません。

尚、GPA は4.0を超え、SAT も満点に近かったが、志望校には行けなかった
といった話はよく耳にします。GPA と SAT が高ければ、アイビーリーグや
UCトップ校は OK かと言いますと、そうではありません。まだあります。
公立と私立の間で多少異なりますが、前述の AP にチャレンジしたか、また、
どの AP 科目をとって成績はどうだったか、加えて、願書に添える作文で
あったり、学内の課外活動、学外のボランティア、スポーツ、芸術での活動
等、高校を終えるまでに何を成し遂げたかも審査対象に加えられます。学内
外でのリーグ・チャンピオンシップ、コンクール入賞等の実績は当然アピール
素材となり、また、キャプテンやら会長等、グループでリーダーシップを
とった実績があると大きなプラスになると言われています。長男、次男も
日本語補習校高等部卒業、高校オーケストラ、コンサートマスター、青少年
オーケストラ、サッカー、陸上競技、高校で受賞したアワード、大学病院
研究室でのインターン等、それぞれ願書に書き加えました。

以前に本ブログで少し触れましたが、アメリカの某有名大学で教鞭を執る方
から聞いたことがあります。大学の入学審査では、受け入れる生徒が4年間
厳しいカリキュラムに耐えられるかどうかを判断するために、過去、学内外
での活動、スポーツ、芸術等にどれだけ長く携わり、どのような実績を残した
かチェックする。よって、日本語補習校での11年間を最後まで頑張って卒業
したことは、大学は見てくれるはずといった内容でした。

また、大学は、生徒が4年間どう勉強するかだけではなく、卒業後、社会で
活躍して母校の評価を上げてくれる可能性があるか、そして、人とは異なる
経歴を持ち、大学の論文、研究で、教授や大学が自身の研究としても取り
上げることが出来るユニークなアイデアを出せるかといった点にも注意を
払うとも聞きました。実際のところはどうなのかは分かりませんが、要は、
数字だけの金太郎飴の秀才はあまり求められていないということでしょうか。

以上、アメリカの大学入学システムに関する前置きでした。

次に次男について書き綴る前に長男について。

長男が高校生となったのが、2012年。中学校の友人達と別れ、一人ポツンと
隣の市の高校に入学したこともあり、当時、長男自身だけではなく、家内と
私にとりましても情報不足で何もかもが手探りでした。また、入学後の本人
のエンジンのかかりは遅く、Freshman の頃の成績は低空飛行。学年を上げる
ごとに GPA は上向き、最終的な SAT のスコアも悪くありませんでしたが、
長男はこれといった将来に対する夢もなく、進路について真剣に考えることは
ありませんでした。知識不足であった私達親が適格なアドバイスを与えられ
なかったことも原因だったと思います。

Senior になってようやく、小さな頃から得意だった絵を描くことを活かし
美術大学にターゲットを定めて準備を開始したものの、タイミングは少し
遅過ぎました。親子で思案した結果、最寄りの Community College に一年
通って美術、必須科目の単位をとりつつ、作品のポートフォリオを増やして
から希望の美術大学に転校することにしました。方針を固めかけていた頃、
日本の大学への入学が選択肢として浮上したことは、過去に本ブログで触れ
ています。留学生枠で願書を提出し、親子で日本にも足を運びました。提出
書類、面接、作文、全ていい線いっていたと思ったのですが、残念ながら
ご縁はありませんでした。やはり準備の開始が遅かったようです。

現在、サンフランシスコ市内の美大でグラフィックデザイン専攻の長男は、
最終学年の Senior。コロナウィルスの感染防止による大学閉鎖のため、自宅
からオンラインでの講義受講ですが、最終年度のプロジェクトやら就活用
ポートフォリオ、自分のホームページの更新に毎日忙しそうに取り組んで
います。ひーひー言いながらも、デザインには独自の強みと自信も持ち、
いろいろ考えているようです。競争が厳しい世界であり、先はまだ見えま
せんが、長男にとっては良い選択だったのではと思います。もし4年前に
日本の大学から合格通知を受け取っていたら、現在はどうなっていたかは
想像出来ません。

さて、ようやく次男です。前回の更新で触れた通り、次男は、高校では
Freshman の年より友人に恵まれ、仲の良い真面目なグループの中でお互い
いい刺激を与えあい、それが成績に結び付きました。SAT も Sophomore の
年より友人達と共にコツコツと準備を開始しました。本人はサッカーが
Division 1リーグに属する大学に入り、サッカーを続けながら医師を目指し
勉強する夢を持っていたことは以前に本ブログで触れた通りです。キャン
パスの見学も兼ねて、主だった大学数校のサッカー ID キャンプにも参加し
ました。しかしながら、Senior になってから、Medical School への優れた
準備プログラムを持つ D1 大学のサッカーにかぎって、全米の中でも強い
チームが多く狭き門である、そして、仮に実現したとしても、サッカー
と Medical School 進学準備の両立は厳しいとの結論に至りました。(一校、
チームコーチの目に留まり、次男から試合のハイライトビデオを送ったり、
メールでやり取りがありましたが、途中で音信不通となりました。同じポジ
ションでいい選手が見つかったようです。)

そして、サッカーを条件から外して志望校を定め、滑り止めを複数選び、
願書を必要書類と共に提出しました。アメリカの高校 Senior は誰もがそう
であるように、入学審査の結果が出る3月~5月までは落ち着かない時期が
続きました。3月下旬あたりからだったと思います。一校、また一校と
通知が届き始めました。最終的な結果は一校が不合格。他は全て合格の通知。

本人の中で志望校のランク付けは出来ていましたが、いざ複数の大学から
合格通知が届きますと、見直しが必要でした。Medical School 進学には、
大学4年間の GPA、そして専用統一テストの「Medical College Admission
Test (MCAT)」のスコアが大きく影響します。もともとの志望校であり、
運よく合格通知も届いた B 校と L 校に簡単に飛びつけなかったのは、この
あたりが理由でした。全米から秀才が集まるトップクラスの大学に入学して
良い成績を維持出来るか?大学の勉強に振り回されて MCAT の準備が出来
るか?疑問が出てきました。そして、後から更に即決出来ない事が起き
ました。合格校の一校である R 校から少し間をおいて 奨学金 のオファーが
届きました。授業料だけではなく、寮費、食費全額免除です。全米トップ
クラスの B 校、L 校と比較しますとランキングは少し低くなりますが、
R 校は、大学院に Medical School を持ち、大学の医学部準備プログラムも
しっかりしています。

次男迷いました。高校 Junior の夏休みにインターンをさせていただいた某
大学医学部研究所の責任者の方に相談してみました。「トップクラスの大学
のトップクラスの施設の中で勉強すべきでは。」とのことでした。次に、
三男のサッカー関係の知人の娘さんが B 校に通っていることを思い出し、
私から相談してみました。「自分の娘も大学院への進学を計画しているが、
娘を見ている限り、良い成績を4年間維持していくのは、相当覚悟がいる
だろう。」とのことでした。

L 校以外に入学許可の通知が届いた他の大学、 I 校、D 校も優れた Medical
School を持っていましたが、この時点で B 校とR 校の2校に絞り込みました。
そして、相談した知り合いから、キャンパスツアーに参加し、実際に次男の
目で大学を見てはとのアドバイス。納得です。時間も残り少なくなっており、
まず R 校にツアーの予約。私も平日に休みをとり、次男を連れて片道7時間
かけて車を飛ばしました。南カリフォルニアにあるこの大学のキャンパスは、
暖かな雰囲気の中、活気もあり、大変良かったです。ツアーにつきましては、
予め小さなグループに分けられ、途中で十分質疑応答が出来るように組まれて
いました。私達のグループを担当してくれたのは、たまたま医学部志望の
Junior の男子生徒で、終始分かり易い説明をしてくれ、とても感じのいい青年
でした。取りあえず、私達の R 校の評価は「A」に。7時間かけその日のうち
に帰宅しました。(南カリフォルニア、 片道7時間 、日帰りドライブは、
私にとっても初めての経験でした。きつかったです。)

その2日後、次は B 校。キャンパスツアーは、残念ながらどの日程も既に
定員に達して締め切り。遅かったです。幸い、前述の知人の娘さんが校内の
案内を快く引き受けてくれました。プライベートツアーです。待ち合わせ
場所を決め、次男を連れてキャンパスに入りました。次男はどうだったか
分かりませんが、私は足を踏み入れた途端に「おやっ?」 R 校は南カリ
フォルニア、B 校は北カリフォルニア。気候の違いだったかもしれません。
また、B 校はエリート校という先入観がなかったと言えば嘘になります。
大勢の生徒が周りで右往左往する典型的な大学キャンパスですが、何か目に
見えないピーンっと張り詰めたものがあり、一瞬にして引き込まれました。
その後キャンパスの隅々を丁寧に案内してもらい、わずか2時間足らずで
すが、期待以上のキャンパスツアーとなりました。評価は「A+」でした。

帰宅後、次男は迷い続けました。B 校の2時間で私と同じようなものを感じ
とったようです。一方、大学院進学準備の不安は残ります。学校のレベルが
高ければ高いほど GPA を高い水準で維持していくのは難しくなることは
前述の通り、入ってから「しまった」は手遅れです。そしてコスト。UC の
年間授業料は、公立大学とは言え、カリフォルニア州の住人でも年間 $13,000
~14,000、そして最初の一年、Freshman の年は、寮に入ることが義務付け
られており、その費用は年間 $18,000、食事は年間 $1,500という数字が公表
されています。家内と私は、次男をサポートする心の準備は出来ていましたし、
是非 B 校に入学してより高いバーにチャレンジをと考えていました。次男、
結論を出しました。R 校です。家内は残念がっていましたが、次男は、4年
後を見据えた長期戦略で R 校を選びました。どうやら私達親の経済的負担も
考えてくれていたようです。一旦こうと決めると考えを曲げません。決定です。

その後、次男は、相談した研究所の責任者の方にメールを送り、お礼と共に
自分の決定と理由を伝えました。キャンパスツアーをアレンジしてくれた
知人と案内をしてくれた娘さんにも同じように報告をしました。正式に入学
の手続きをし、夏の間に寮生活に必要な物を買い揃え準備完了。そして間も
なく飛行機と Uber を使い、次男と二人で再びキャンパスに戻り、新入生の
オリエンテーションに参加しました。内容は良かったです。丁寧に様々な
情報を生徒、父兄に提供してくれ、誰もが安心して帰路についたことと思い
ます。

必要書類を全て受け取り、いよいよクラスの登録をする際になって分かった
ことですが、次男が受けた奨学金は、「Regents Scholarship」と呼ばれる
もので、どこの UC でも設けられているものだそうです。UC 校も含め、
一般に公立大学は、私立と比較するとどこも教授1名に対する生徒数は多い
と言われています。クラス登録は直ぐに定員一杯になり、希望通りのクラス
が取れないことは珍しくありません。時によっては卒業が遅れることもある
そうです。ところが、「Regents Scholarship」を受けた学生は、大学から
勧められたクラスはどれも優先登録。それに加え、本来 Junior と Senior
だけの生物学の研究クラスの受講が認められ、選抜生徒の勉強会へも招待
されました。レッドカーペット扱いです。(但し、研究クラスは授業料の
全額支払いが必要でした。)

次男の高校で仲の良かったグループはと言いますと、B 校、L 校に数名、I 校、
D 校、SD 校や私立大学に散らばっていきました。そして、グループのトップ
は女の子。B 校から「Regents Scholarship」のオファーがあり、こともあろう
に蹴りました。何と、アイビーリーグ某校から、生物学専攻の大学だけでは
なく、卒業後の Medical School への受け入れがセットとなった通知があった
そうです。そちらを選びました。

次男は、取りあえず良いスタートになりました。但し、医師になるには長い
長い道のりです。大学4年、大学院4年、「Residency」 と呼ばれる研修
期間は、専門とする分野にもよりますが、例えば心臓外科の場合、6年と
言われています。本人の最初の勝負はまず4年後。進学を希望する大学院は
もう決まっているようです。R 校が正しい選択であったかどうかは、自身が
知ることになります。本人にはプレッシャーをかけず、家内と二人で見守っ
ていこうと思います。

そして9月、スーツケース等荷物を積んで、車で再び大学。次男の新しい
ページが始まりました。2年後には、三男です。


写真です。





昨年の4月、急遽、申し込みをした R 校のキャンパスツアー参加のため、平日の渋滞を
避けて、朝4時に自宅を出発。カリフォルニア在住の方であれば、お分かりと思います。
カリフォルニア州を南北に走り、サンフランシスコとロサンゼルスを結ぶ I-5、約半分は
延々と続く片側2車線の直線。農園やら、砂漠が続く景色を横目にひたすら走ります。




次男は、サッカーの遠征の時と同じように枕や毛布を持参し後部
座席で何時間もすやすや。




ほぼ予定通りの時間に到着。車を所定の駐車場に停め、地図をもらってツアー集合場所へ。




サインアップを済ませ、小さなグループに分けられ、ツアー開始です。




キャンパスの中心となる時計台。




北カリフォルニアに住む私達にとっては、「南に来たぁー。」という感じがしました。




そして、2日後に B 校。プライベートツアー。北カリフォルニアでは当たり前の少し肌
寒い天気でした。グループツアーでは恐らく出来なかったと思いますが、熱心に講義を
聞く大勢の生徒でうまった大教室も覗かせてもらいました。




由緒ありそうな図書館。




B 校の時計台。この時点で、次男の心の中では入学先は
決まっていませんでしたが、数日後に結論を出しました。




R 校に決定。8月、今度は飛行機で南に飛び、オリエンテーションです。




生徒と父兄は分かれて2日間のセッションを受けました。




お父さん、夕食で燃料補給です。




セッション終了後、次男は R 校 の生徒としてモードセット完了。




帰路につきます。疲れと安堵で離陸と同時にスヤスヤ。




9月。準備を全て終えました。入寮を翌日に控え、三男といつものビーチでサーフィン。




次男の大学から海岸まではずい分距離があり、足もなく、この先、サーフィンは帰省時
のみとなります。




三男も楽しみました。




実は、この日の午前中に古巣のサッカークラブから U-19 チームの試合の助っ人依頼が
あり、フルで一試合プレーした後でした。疲れているから少しだけとのことでしたが、
何のことはない、結局2時間近く入り、十分エンジョイしました。




それぞれ何を考えていたのでしょうか。




翌朝4時の出発。荷物が沢山あるため車でした。Mazda のバンだと荷物は余裕でしたが、
長距離に耐えられるか分からないのと、燃費を考えて Prius となりました。正解でした。
大学寮には予定していた時刻に到着。スーツケース、寝具、新しく買い揃えたマウンテン
バイク、サッカーシューズ、バイオリンを携えての入寮でした。




新 Freshman は、2,000名以上。全員が寮に入るため、時間帯は細かく指定され、長居は
出来ませんでした。




数ある寮の中でも、次男が入った棟は、建てられてまだ新しいそうです。中はどこも綺麗
でした。




Freshman が、大学が組み合わせたルームメートと相性が合わず、苦労したという話は、
過去、何度となく聞いてきました。次男は、同じ高校から入学した生徒2名とルーム
メートになり3人部屋を選びました。それぞれ4年間の知り合いで、全く問題ないそう
です。




荷物を運び終え、次男を残して帰路につきます。ついに
この日が来たかと、少し感傷的にもなりましたが、




I-5が待っていました。




コロナウィルスの感染が全米で広がり始めました。一年間生活するはずの大学寮でしたが、
大学キャンパスは閉鎖。期末試験のさなか、生徒はほぼ全員が帰省。次男は、L 校に入学
して帰省する友人の家族の車に同乗させてもらい帰ってきました。その後、州から「Stay
at Home」が発令。キャンパスを見たいという家内と次男の二人を乗せ、再び Prius を
駆って大学に戻り、寮から荷物全てを持って帰ってきました。日帰り往復14時間の運転も
慣れました。




家内にとっては、初めて見るキャンパスでした。車の中では熟睡。快適な旅だったと思い
ます。




現在は、大学 Senior の長男、高校で Sophomore の三男と同様、自宅からオンラインで
講義を受けています。この日、講義終了後、初夏を思わせるような天気の中、木陰で
ラップトップに向かって勉強。




最後にサッカーについて。何年もプレーしたクラブチームのコーチの口利きで、実は、
D1 大学である R 校のチームコーチから練習参加のお誘いを受けました。次男いわく、
レベルはかなり高いそうです。(D1チームは、どこも全米から選手を選りすぐり、
大学によっては、ヨーロッパ、南米からも選手を募るエリート集団です。)練習を続け
させてもらうことも可能でしたが、スポーツ選手が受講するクラスの時間割は、練習
時間確保のため、殆ど大学側で決められていることが分かりました。一方、次男が
専攻する生物学で必要なクラスの受講と練習の組み合わせは、物理的に難しく、数回の
参加の後、辞退しました。一度諦めた昔の夢が叶うかもしれないチャンスでしたが、
やはり学業を優先することにしました。幸い D1 とは別に、少しペースを落としたサッカー
リーグのチームが大学に存在し、そこに入ってサッカーを続けています。コロナ禍帰省
の後も毎日走り込んで、ウェイトトレーニングも欠かさず、規則正しい生活です。


以上、写真でした。とんでもなく長くなってしまいましたが、自分の記録
としては一通りカバー出来ました。三男の時は短いと思います。


もう直ぐ5月で今更ですが、早く2019年のハイライトについてコロナ禍の
Update と併せて書き綴ります。


それでは、皆様、油断されませんように。