北カリフォルニアのお父さん

家族5人 - 北カリフォルニアに暮らす。

お父さん - お仕事 (2022年)

2023年05月13日 | 家族
更新です。

もう5月も中旬。遅くなりました。(いつものことですが。)
ようやく私の2022年のハイライトです。

今更ですが、いろいろあった1年でした。
家のリフォームは既にカバーしました。健康面について始めます。

昨年1月早々、還暦も過ぎているというのに五十肩になりました。右肩です。世間
でよく言われるように痛みで腕が上がらず、ピークの1ヶ月ほどは、寝返りすら打て
ない状態でした。2、3ヶ月経っていつの間にか痛みがなくなっていたという話も
聞きましたが、私の場合は長引きました。息子達がサッカーで膝や足首を痛めた時
にお世話になったカイロプラクターの先生に診ていただき痛みは少し和らぎました
が、一時的なもの。その後も続きました。6月、ようやく右腕を上に伸ばせるよう
になり、あと数ヶ月で完治と思いきや、肩の付け根の痛みは1年以上経った今も
残っています。

但し、現在の痛みは、五十肩のピーク時のそれとは異なり、40代の頃、当時、日課
としていた朝のラップ水泳で始まり、それからちょくちょく悩まされたものに似て
います。水泳肩と呼ばれるものだったようです。水泳を控えて少し経つと痛みは無く
なりましたが、その後、腕立て伏せ、懸垂、ベンチプレスで痛みが再発。全ての
筋トレを止め、カイロプラクター、鍼灸、いろいろ試しましたが効果はあまり無く、
かなりしてからやっと痛みは消えました。それから10数年。残念ながら今回の五十
肩がきっかけで復活です。ストレッチを行い、生活の中で右肩への負担をコントロー
ルすれば痛みを抑えられることは分かりました。食事は以前から注意していましたが
カルシウムやビタミンD のサプリも摂るようになりました。無理をせず治していきま
す。幸い、コロナ、血圧、体のその他の部分は問題なさそうです。昨年11月のサンク
スギビングからお正月と続くホリデーシーズンは、カロリー摂取が増えました。ジー
ンズのウエストは窮屈ながらも何とか29インチを保っています。62歳。肘、膝、腰
も併せて体のポンコツ化が進みます。

健康面は以上となります。

それでは仕事について。

大きな変化がありました。昨年の5月末に起業しました。現在、社員1名の会社
の CEO 兼 COO 兼 CMO 兼 CSOです。「アンタ、その歳で無茶な」と思われる方も
いらっしゃるかもしれません。以下はその背景となります。長くなります。

一昨年、2021年の春、勤め先の会社を20年にわたって牽引してきた CEO が何の前
触れもなく突然「引退」しました。会社は上場企業。健全な経営を貫き、政府関係
の安定した事業もあり当時の会社の株価は悪くはありませんでした。その一方、同
CEO が長年計画していた事業拡張は停滞しており、ベストな状態ではなかったと
思います。本人の意思による引退か?そうではなかったはずです。新 CEO に就いた
のは、その前年に外部から取締役会に招かれたヘッジファンド畑のベテランでした。
CEO 交代後の組織改編と重役の入れ替えはよくあるパターンす。新 CEO は頻繁に
全社テレビ会議を設け、新しい経営体制の「透明性」を強調しました。不安しか
ない社内では然るべきステップだったと思います。就任後、暫くしてヨーロッパの
パートナー企業の買収について社内で発表がありました。行動開始です。主力事業
に手を加え、それに伴う人の出入りが続いたのは言うまでもありません。

本社は他州にあり、ハイテクの部類にはいる事業を主としていますが、私が所属
するのは、北カリフォルニアにオフィスを構えていたリサーチとコンサルティング
の要素が大きい事業部でした。(元々は独立した会社でしたが、12年前に買収され
一事業部となりました。また、パンデミックの2年前にカリフォルニアの事業部は
完全に Remote となりオフィスはなくなりました。)主力事業のテコ入れは私たち
にも影響を及ぼし、本社の技術支援は体制を組み直した事業優先に。私の上司で
ある Sr. Director はトップに対して不満を示しましたが何ら変わらず。そしてまだ
コロナが世間を騒がせていた2021年の夏でした。長年にわたりチームを引っ張っ
てきた同 Sr. Director が社を去りました。その後、ポジションを埋める人材は見つ
からず、チームの間に不安が広がっていた矢先、同じ事業部の技術のリーダーも
続いて転職。とどめを刺されました。後はフリーフォールです。会社の経営陣は、
2本柱を失った事業部に見切りを付け、翌年2022年1月以降は既存顧客との年間
契約更新は一切しないことを内部に発表しました。2021年末でした。

これにより1年後の2022年末をもって事業部が閉鎖されることが決定。決して赤字
事業ではなく、欧米、日本の殆どの顧客企業とのお付き合いが10年以上に及ぶこと
を考えても安定した事業であったことが分かります。会社のトップは事業部を丸ごと
売却するものと考えていましたが、それもなく、単に全てを閉鎖することになりま
した。競合は大喜びだったと想像します。アメリカのある顧客企業から事業部を
買取したいとの申し出もあったそうですが、実現しませんでした。新 CEO の判断。
もったいない話です。私が入社以来、ずっとお付き合いのあった日本の顧客企業に
は、本社からの指示を待ち、翌年2022年のはじめに正式に事業部閉鎖の計画を伝え
ました。どこの企業も少なからずショックだったようです。

同じ頃、長年同じチームで働いてきた欧米担当のベテランの同僚1名も沈みゆく船
から脱出。社を去りました。私はと言いますと、年齢も年齢です。当然先のことを
あらゆる角度から考え、日本帰国も含めた転職のリサーチ、自身のレジュメのアッ
プデートは開始していました。そして自分の持つオプションを少しずつ絞り込んで
出した結論は、「動かない」でした。直ぐに社内営業を開始し、日本の顧客企業
との契約満了後の他の事業部への異動が確定。良かったです。5年と少し前、短い
間でしたが、本業と掛け持ちで本社の主力事業の日本市場開拓に携わったことは
過去に本ブログで触れています。そこに戻って日本支社と顧客を支援するポジショ
ンに就くことになり、まずは一段落。全く新しい未知の世界ではなく、面識のある
当時の顧客やパートナー企業との接点も復活することになり、やる気も湧いてきま
した。

但し、引っかかることがいくつかありました。10年以上を過ごした事業部で培った
知識、経験を全て捨て、信頼してくれていた日本の顧客、長年一緒に働いてきた
優秀なフリーランサー達との縁を切ることでした。勿論、競合会社は世界中にあり
ましたので、事業部閉鎖後は日本を含め、顧客各企業は単に他社に乗り換えるだけ。
それほど大きな問題ではなかったと思います。これまでに得た知識、経験につきま
しては、新しい仕事で応用すればいいことであり、過去に経験済みです。優秀な
フリーランサー達はもっと良い仕事に就ける可能性もあります。敢えて引っかから
ないよう前向きに考えることにしました。

しかし、もう一つ。新体制の社内のムードは気になりました。私は過去3度転職
を経験しています。半年ほどの短い期間、サンフランシスコのスタートアップに
いたこともありました。上場を目指す若い企業に日本市場の担当として採用され
ましたが、それまでに経験したことのない雰囲気に驚いたことをよく覚えています。
自分の上司である Sr. Business Development Director の小さなガラス張りの個室。
キャビネットの上にウィスキー等、高級ハードリカーのボトルを並べ、大口商談が
決まると曜日に関係なく祝杯でした。金曜日のお昼は社内でよくビザが振る舞われ、
時にはビール付き。また、仕事中でも突然アメリカンフットボールのキャッチボー
ルが始まるオフィスでした。但し、普段は営業、マーケティング、技術、誰もが
仕事に集中し、社内全体に士気がみなぎる当時の典型的なスタートアップではあり
ました。残念ながら、暫くすると豊富だった資金は逼迫し事業縮小。よくある話で
す。直ぐに私も社を去ることになり、その後、日本市場から撤退したと聞きました。
私にとっては良い経験となりました。

余談ですが、同スタートアップにいた頃、日本に出張する機会がありました。日本
支社のチームと合流して一緒に仕事をする1週間のプロジェクトだったと記憶して
います。そのチームの中にアメリカ人の Regional Engineer でクリスさんという方
がいました。フットワーク良く仕事をテキパキとこなし、きれいな日本語で敬語も
使う好青年。それだけではなく、打ち上げのカラオケではあまりの歌の上手さに
びっくりしました。数年後、日本のテレビの歌番組にクリスさんそっくりな人が
出ていました。「クリス・ハート」さんだそうです。ははー、納得。ご本人、然る
べき場所に辿り着かれたようです。

前置きが長くなりましたが、ヘッジファンド畑出身の新 CEO 体制でヨーロッパの
企業を買収し、事業方針を変えてからの社内の雰囲気は、過去に見たスタート
アップと酷似していました。勿論、尾を引くパンデミックにより在宅勤務の社員が
多い中、大口契約締結後の真っ昼間のオフィスでの祝杯、仕事中のキャッチボール、
ピザとビールの大判振る舞いはなかったはずです。しかし、CEO と重役を中心に
誰もが舞い上り、まるで新体制の成功が約束されているかのような盛り上がり方
でした。新しい事業計画の内容は知らされていましたが、それほど画期的なもの
ではなく、私は心の中で「大丈夫?」とつぶやいたものです。

異動先を確保し、既存顧客との契約満了まで日々の業務に専念しようと決意しま
したが、モヤモヤがより一層引っかかってきました。10年かけて培ったものを
捨て、オーバーヒート気味の社に身を置くのか?自身を納得させるため全てを
見直した後、それまで思いもよらなかった考えが出てきました。会社が事業を
放棄するのであれば、自分でフリーランサーをまとめ、日本の事業だけでも継続
が可能なのでは?自分の目はもう別のものを見ていました。GO です。

コンプライアンスもありますので慎重に顧客数社に間接的に打診したところ、結果
は悪くありませんでした。但し、個人との業務締結は難しいだろうとのこと。で
あれば、選択肢はひとつ。法人設立となります。自分の担当企業の契約満了は半年
先。引き継ぐのであれば時間は迫っており、いろいろなシナリオを作ってオペレー
ション、技術面の条件、コスト、資金、法的制約等、実行可能かどうか、多方面
から何度もチェックしました。データベースは安易に考えていましたが、日本で
事業を行う実家に相談したところ、しっかりしたプラットフォームで構築すべき
とのことでした。顧客ポータルと併せて日本のシステム開発会社にお願いすること
になり直ぐに打ち合わせを開始。勤め先の企業秘密を拝借するようなものではなく、
業務に必要な基本機能だけを備えたシンプルなシステムです。同時期、アメリカと
日本の弁護士にも法人設立、決済方法や法的条件等を相談して計画の詳細を固める
一方、勤め先との雇用契約の内容もチェック。

そして5月末でした。社名を決めてカリフォルニア州の Limited Liability Company
として正式登録しました。その後、銀行口座を開設し自治体のビジネス・ライセンス
を取得。日本語の事業計画書は何度も手を加え、顧客企業数社へのテレビ会議を介し
たプレゼンテーションが続きました。価格を含めたサービスの詳細は納得してもらい、
後日システム完成後、実際に機能とサンプルデータを見て無償トライアルに進むこと
で話がまとまりました。勤め先はと言いますと、新しい事業の稼働開始までは収入を
維持するために必要です。まだ退職出来ません。(厳密にはコンプライアンス引っか
かります。)

その頃、新 CEOの「透明性」はもうどこにも見当たらなく、事業の最新のロード
マップも社内で共有されることは無くなっていました。同時期に重役1名が社を
去り、水面下といいますかトップでいろいろ動きがあるのは明らかでした。そして
日本の顧客企業との年間契約が終わり、異動先でトレーニング開始。新しい上司や
日本支社との定期会議も軌道に乗った8月のある日。衝撃が走りました。組織替え
による大きい人員削減です。日本支社は閉鎖。それに伴い日本の Director と私は
お払い箱です。後から私の新しい上司を含め、複数の事業部の様々なランクの社員
も対象となったと聞きました。私の中にあった引っかかりが現実のものとなった
わけです。

その数日前の金曜日の午後。新しい上司の上司である海外営業 VP との一対一の
テレビ会議が組まれました。ひょっとして?と思いつつ月曜日の朝一番の会議に
臨んだところ、そこには VP だけではなく人事部の担当者が同席。決定です。覚悟
は出来ていました。会議は事務的な説明を中心にわずか10分。最後は、お決まりの
「I wish you good luck.」で終了です。メールも含め、私の業務の全てのアカウント
は会議中に無効にされました。勤め先を失ったわけですが、予定が少し早くなった
だけです。問題ありません。その後、直ぐに失業保険と健康保険の手続きを済ませ、
会社のラップトップのデータを全て消去し本社への返送準備。お昼には自分自身と
新事業の計画の見直しを開始していました。

同じ頃にデータベース、顧客ポータルを含む新事業のシステムが完成。高額な開発料
をカバー出来たのは実家のサポートのお陰です。年末にホームページを開設し、予定
通り顧客企業1社への無償トライアルを1ヶ月の期間で実施しました。長年一緒に
働いたフリーランサーの中で一番信頼出来るメンバーを雇い入れ、万全の体制で臨ん
だトライアル。私にとっても重要な試運転の結果は満足のいくものでした。現在、
サービス内容の詳細を固め、正式契約締結の準備を進めています。動き出したのが
もう1年以上前。昨年の契約満了と同時の引き継ぎは無理がありました。必要なステ
ップを一歩一歩踏んで現在に至ります。今のところ全て良しと見ます。プレゼンテー
ションを行なった別の1社はこちらの様子を伺っているようです。また、5年前に
本社の主要事業の日本市場開拓の際にお世話になった日本のパートナー企業さんも
日本支社閉鎖の後に心配して私の個人アドレスに連絡がありました。状況を説明し、
私の新しい事業についても報告した後、直ぐにいくつか案件をいただきました。そち
らも現在ゆっくり進行中です。

家族はと言いますと、家内には事業部の閉鎖と異動に関しては早くから伝えてありま
した。勤め先のレイオフについては、保険を確保し計画を整理し直した後、新事業と
併せて報告。直ぐに納得してくれました。そして、その数日後に家族会議を開き、夏
休みで帰省していた次男を含めた息子達にも勤務先で起こったこと、立ち上げた事業
についてきちんと伝えました。彼らはもう子供ではなく状況を理解し、意外でしたが
喜んでもくれました。少し心の負担が減りました。

先日、元の勤め先のホームページをチェックしてみると、買収したヨーロッパ企業の
情報はオフィスの住所も含めてどこにも見当たらず、重役紹介ページでは、以前に名
を連ねていた2名がいなくなっていました。買収した企業の創設者もそのうちの一人
です。ホームページ内には、つい先日あった投資家への収支報告の議事録もアップさ
れていましたので読んでみると、この2月にまた大幅な人員削減があったとのこと。
買収後の重複する機能を統合するためだったそうです。株価が低迷する中、投資家
からのプレッシャーもあり、人件費を大きく削ってQ1 の収支をよく見せるための措置
だったと想像します。修正した事業計画の進捗状況には詳しく触れていませんでした。
この会社に未練はありませんが、株を保有していますので業績は大変気になります。
畑違いの CEO、是非とも頑張ってもらいたいものです。

前回の更新の通り、昨年は我が家のリフォームに時間とお金を費やしました。もし
もっと早く会社を去ることになっていれば、庭のモグラ対策、Bathroom とキッチン
のペンキ塗り替え、電化製品の買い替え、ガレージのリノベーションはなかったかも
しれません。結果的にタイミングは良かったと考えます。(モグラは我が家の庭から
撤退しました。私のせいだと思いたくありませんが、今、おとなりの芝生が凄いこと
になっています。)

さて、本ブログの2年前の還暦に関する記事を覚えていらっしゃる方もいるかもしれ
ません。記事の最後に「10年後、どこでどのようなじーさんになって何をしているか
検討はつきません。」と書きました。今はと言いますと、70歳になった自分のイメー
ジは 4K 画像で頭の中にくっきり描かれています。果たして実現するか?実現させます。
数年前には想像出来なかった展開ですが、北カリフォルニアのお父さん、コツコツと
自身をイメージに当てはめていきます。


以下は写真となります。





「何これっ?」ですが、2022年の写真ではありません。もう何十年も前の私の留学時代の
写真を引っ張り出してきました。たった1シーズンだけですが、この年、かなり真剣に
トライアスロンに取り組みました。日本で中学、高校と部活はずっと水泳であったため、
大学の友人に誘われ、何の抵抗もなく始めました。当時は酷使とは思っていませんでした
が、今、振り返るとこの頃から自分の体を痛めつけていました。これはシーズン2回目の
参加者数百人程度のレース。場所は、当時住んでいたワシントン DC のお隣のメリーラン
ド州。オリンピック・ディスタンスの1.5 km の水泳のスタートです。応援に来てくれた
当時のルームメイトに撮ってもらいました。




肌の出し過ぎ。失礼いたします。この頃、私は現在の次男、
三男のように大食漢で食事は1日4回摂っていましたが、
日々の練習によるカロリー消化がそれを上回り、お腹は
ぺったんこ。練習は自分でメニューを組んで週7日。食事
は意識して炭水化物を多く摂っていました。




中学、高校では屋外プールしかなかったため、シーズンオフはとにかく走らさられました。
よって、水泳同様、ランニングは全く問題ありませんでしたが、自転車はど素人。ずい分
練習しました。当時のフィルムカメラでの撮影。ピントは大ボケですが、撮ってくれた
ルームメイトには感謝です。40km の自転車です。




最後の 10km のランニングです。アルバムで数十年眠ってい
た写真を引っ張り出してきたため、下地のマットのあとが
残っています。過去、どこに住んでも必ず使用出来る温水
プールを見つけて定期的に泳ぎ、日課にジョギングを取り
入れていました。残念ながら、ずっと酷使してきた膝は、
30代になって痛め、夢であったトライアスロンへの再挑戦
は断念。水泳は肩の痛みで中断もしましたが、今でも自分
には一番相性のいい運動だと思っています。




シーズンの締めくくり。最初の2レースのタイムがそこそこ
良かったため、単純な私は気をよくし、当時 ビール会社の
最大手 「Budweiser」 がメインスポンサーの規模の大きい
シリーズ戦のボストンでのレースに参加しました。写真は
フィニッシュの後。水をカップで数杯飲み干し、クッキー
数枚を平らげ、ようやくカメラに向かってニッコリ。参加
者は2000人を超えたと思います。自転車を梱包し飛行機で
移動。ルームメイト達も観光がてら一緒に来てくれました。
まだまだ続けたかったのですが、これが最後。当時、英語
で苦労し授業についていくのも大変だったため、トライア
スロンは比較的時間のとれた春夏の1シーズンのみ。その
後は卒業までずっとひたすら勉強に集中しました。暫くの
間、運動量は激減、体は激太り。




現在に戻ります。我が家のガレージのウェイトトレーニングのセットです。三男が生まれ
る頃までは毎日のように使用していましたが、肩の後、暫くして肘にも痛みが出始め、
それから殆ど使わなくなりました。昨年は三男が頻繁に使用。今では長男がジムに行か
ない日に使っています。6月末には大学を卒業する次男と夏休みで帰省する三男が復活
します。




現在の健康維持の手段の一つはサーフィンです。三男のクラブサッカーが終わった後は
コンスタントに行けるものと思っていましたが、五十肩で半年中断。そして起業です。
結局、頻度はあまり変わりませんが、末長く付き合っていきます。




車の中にはボード1本。昨年の夏まではもっぱら三男が一緒でした。三男が大学に進学
してから暫くは長男と。秋以降は私一人で行くことがほとんどでした。




愛車の2004年型 Mazda MPV 。本ブログに何度か登場しています。三男が産まれて直ぐ
購入し、丸19年使用しています。この車をずっと運転していた家内が新車に乗り換えた
のが2017年。それ以降は私のサーフィン専用車となっています。




走行距離 185,505マイル。約30万kmです。オイル漏れもあり、私の体同様かなりガタが
きています。夏も冷房は一切入れず、カーレーサーでもないのにタコメーターを見ながら
エンジンの回転数に注意して運転しています。この先もずっと乗り続けたいのですが、
スバルも30万kmを超えてから調子が悪くなり最終的に廃車となりました。難しいかも
しれません。




こちらも大事な相棒です。確か次男が産まれた頃に購入したため、二十歳は間違いなく
超えています。クラッシュする度に自分でリペア。パンデミックの前に新しいボードを
買いましたが、この古いボードが慣れているせいもありずっと使い続けています。




そして五十肩の間も欠かさず続けていたのがトレッドミルのウォーキングです。膝を痛め
てから何度もジョギングの復活を試みましたがダメでした。1ヶ月ほどは問題ないのです
が、それ以降は痛みが復活。結局、ウォーキングで落ち着きました。時間はわずか30分。
カロリーの消費は大したことありません。もっぱら腰の矯正、ギックリ腰防止のために
毎日続けています。誕生日に長男に買ってもらった高価な Adidas を履いて歩いています。




トレッドミルは、もうかなり長いこと続いています。パンデミックの前半まではずっと
音楽を聴きながら歩いていましたが、昨年から Kindle の読書となりました。ノンフィク
ションから始まった読書は、今ではどっぷりスパイスリラー。私の毎日のささやかな
楽しみです。ストーリーは、CIA、MI6、SVR、核兵器保有国のスパイ、利益のためには
手段を選ばない国際コングロマリットや腐敗した政治家等がキャストとなり、極悪連中
を撃退するやたらめったら強いヒーローは、大抵は訳ありで引退した元 Special Force か
架空の国際諜報機関の Field Officer あたりです。ありきたりの内容のものが殆どですが、
ストレス解消に役立ってます。


事業に移ります。




カリフォルニア州政府から届いた基本定款です。




事業のホームページは、プロのグラフィックデザイナーとなった長男に頼みましたが、
「忙しい。」と一蹴。契約したWeb Hosting 会社から紹介してもらったフリランサー
にお願いしました。自分の要望を伝え、満足のいくデザインで仕上がってきましたが、
念のため、長男に見てもらったところ「これ作ったの学生?」と一言。結局1時間以上
かけて手を加えてくれました。長男に感謝です。




Adobe の Illustrator と Photoshop は、私もある程度使えますので、名刺は自分でデザイン
しました。しかし、最後の仕上げはやはり長男でした。頼りになります。何故、名刺が
必要だったかと言いますと、今年 2023年の話になってしまいますが、実は2月末に1週間
の日程で3年半ぶりに日本を訪れました。弟が経営する会社のある式典に招待してもらい
日本帰国となりました。私が日本で新事業の営業活動が出来るようにとの配慮だったよう
です。いろいろな人たちに支えられています。有り難いことです。長男に手伝ってもらって
用意した名刺は勿論日本で大活躍しました。




実家のある名古屋から東京に行き1泊。ホテルの部屋からの
景色です。ここを拠点として2日間で数社を回ることが出来
ました。昨年始まった事業準備のプロセスとして、ここでの
日本訪問は最高のタイミングだったと思います。感謝です。




日本滞在は雛祭りと重なりました。ホテルのロビーの見事な雛壇。名古屋でお世話になった
ホテルです。ここでは、全く違うスケジュールで日本を訪れていた長男も1泊し、ホテル
ロビーで待ち合わせの後、親子で墓参り。そして、姉、弟一家に招かれ、久しぶりに食事を
共にしました。日本の滞在中、実家をはじめ、いろいろな場所でご馳走になりました。有り
難うございました。いつものことながら日本の繊細な食事はどこでも例外なく美味しかった
です。雛祭りの数日後にアメリカに帰国。大変収穫の多い日本帰国でした。




アメリカ帰国後は、日本から持ち帰った宿題に取り組みました。これまで過去に就いた
仕事は全て日本が関連していました。新しい私自身の事業も然り。小さいながらもイン
ターナショナルです。




州、自治体で登録されている私の事業の所在地です。いわゆるシェアオフィスと契約して
書類上の住所としました。Limite Liability Company として登録されますと、住所は州の
データベースで公開されます。自宅にしてしまいますと厄介なことになり、車でのアクセ
スも問題ない写真の建物の中にあるシェアオフィスを書類上の所在地として選びました。
実際に使用することも出来るオフィスは、綺麗なゆったりしたスペースに机と椅子。WiFi
は勿論、ミーティングルーム、キッチンと全てを揃えています。


事業関連の写真は以上となります。庭について少し。




写真は Front yard。昨年もちょくちょく庭仕事をしました。2年前に植えた奥の Mexican
Feather Grass は当初は枯れ草のようでしたが、トリミングが必要になるくらい大きくなり
ました。手前の Boxwood と Blue Fescue も年に2回ほどでしょうか。短く刈り込んでい
ます。




リフォームの後に植えたサルビアは、虫がついて葉がレース
のようになり1シーズンで終わりにしました。植え替えた花
はゼラニウム。すくすくと育ち、虫も寄せ付けず正解でした。




Backyard 。これは最近の写真です。本ブログで何度も登場するカラーは、今シーズンも
綺麗な花を咲かせてくれました。




そしてツルバラ。こちらは何もしていません。ただ鑑賞するだけ。昔は園芸など全く興味
はありませんでした。今もそれほど熱を入れている訳ではないのですが、取りあえず、身
の回りにあるものはきれいに管理していこうと思います。


最後にもう1枚。




コロナが世界中に及ぼした影響について今更述べるつもりはありません。私の身の回り
ではパンデミックの初期、コロナが猛威を振るっていたピーク時に同僚が命を落としま
した。Remote になった後であり、職場での感染ではありません。最近はマスクを着用
する人はずい分減りましたが、高齢者の方々はまだまだ油断は禁物です。私のお茶の
先生も然り。稽古だけではなく、人が集まる場所を全て避けるようになってもう3年で
しょうか。私自身は立ち上げた仕事のこともあり、果たしてお茶の稽古をいつ再開出来る
のか検討がつきません。しかし、いつかきっと。


以上、写真でした。


いつものことですが、ずい分長くなってしまいました。最後まで目を通していただいた方、
お疲れ様でした。

今回、起業についてどこまで書くべきか迷いました。ブログでそれほど事細かに書き綴る
必要はあるのかなと、準備を開始してからも一旦ストップ。元々、本ブログは、自分自身
のための記録、日本の家族やごく一握りの友人達への近況報告を目的として始めました。
更新の頻度はひどいものですが、読み返すと「ハイライト」で自分や家族の過去のイベント
はほぼカバーしています。起業の経緯をとばすのは不自然。記録に残すべきとの結論に至り、
今回の内容となりました。(少し長過ぎましたが。)

実は家内も息子達もこのブログを読んだことがありません。決して隠している訳ではなく、
始めた時には家族全員にアナウンスをしています。全然興味がないようです。ブログ内で
使う写真は、家族も自分も含め、全て後ろから撮ってあるものだったり、モザイクを入れ
たりで顔は分からないようにしていますが、家族のメンバーそれぞれについて何年もの間
いろいろ書き綴ってきています。もし彼らが今読むと「Whaaaat!」「何これーっ!」は
間違いありません。削除を求められる可能性も大です。

この先、今の状態で続けば削除することもなく私の回顧録ともなります。いつかは家族
に読んでもらうつもりですが、もう少し続けられたらなと思います。(一部の方々の間で
私の身元が割れました。やばいです。)

次の我が家の大きなイベントは次男の6月末の大学卒業です。次回の更新はどうでしょう
か。夏あたりに出来たらいいのですが。年末のハイライトとなってしまうかもしれず、
ご了承ください。

日本は地震が続いているようですが、カリフォルニアも人ごとではありません。皆様
どうぞ気をつけてお過ごしください。