激しい雨の降る中、また幼い頃から親しんだ人が逝ってしまった。
山本コータローさん。
シンガーソングライター。
スポニチアネックス 2022年7月15日付
「「走れコウタロー」シンガー・ソングライターの山本コウタローさん死去 73歳 脳内出血」
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/07/14/kiji/20220715s00041000184000c.html
ソルティーシュガー名義で「走れコータロー」、
自ら率いていたグループ“ウィークエンド”名義で「岬めぐり」がヒットした人だった。
1970年代はやはり上記の通りシンガーソングライターとして全盛を極め、
TBSラジオ「パックイン・ミュージック」や
その関連本「恥の上塗り」のユーモラスな印象が強かった。
ソルティーシュガーがコミックソングのイメージがついてしまった事や
メンバー急逝で短期解散してしまったのは残念ではあるが。
ウィキペディア解説は、
https://w.wiki/3syw
ひとつの転機が1980年にリリースしたソロアルバム『東京・ロンサムシティ』だろうか。
残念ながら自分は聴く機会がなかったが、
ジャケットから察しが付くようにユーモラスな雰囲気は排し、
地下鉄(おそらく有楽町線か半蔵門線・千代田線あたり)の車内・駅構内で撮影されたものだ。
今、彼の作品をじっくり聴けるならこれを聴いてみたい。
東京出身の彼がどんな「東京」を歌ったのだろう・・・
ジャケット写真は、「snow records」(レコード買取)をどうぞ。
https://www.snowrecords.jp/?pid=121284527
1980年代で見た彼は、
フジテレビ「笑っていいとも!」で田中康夫氏とともに出演した「5つのフォーカス」と
松山千春氏(以下、親しみを込めてあえて「千春」)が主宰・所属した "NEWSレコード" からアルバム『10月の距離』をリリースした事。
音楽よりも教養面に視点が移っていった感じだった。
ちょうどこの頃、千春が持っていた土曜深夜の番組、TBSテレビ「ハローミッドナイト」にも
レギュラー出演していました。
音楽面では「広島平和コンサート(Hiroshima 1987 - 1997)」の主催で、
当時の人気アーティストがいっぱい出演していた。
Hiroshima 1987-1997 ('87) 安全地帯、サンプラザ中野、南こうせつ、山本コータロー
今思えば、ほんとうに良い時代だった・・・
今がなんてお寒い事情かを痛感する。
デカイ ロックフェスティバルなら確かにやってる。
だが、たった1日で20,000円、3日フル参加の50,000円を気前よく出せる学生やフリーターなんて
どれだけいるだろうか?
デカくなり過ぎたのではないのか?
今ノーギャラで気前よく出演を了解するミュージシャンもどれだけいるだろうか?
ステージを1つか、メインの舞台転換中にサブ(ミニ)をやる位にして、
入場料を1万円以下にできないのか?
・・・だからやっぱり今はお寒いのだ。
コータローさんの詳細プロフィールは、公式ホームページを参照ください。
http://prophet1982.moon.bindcloud.jp/Profile/pro-01.html
残念なのが手を広げ過ぎたせいか、ご本人自身の音楽功績は
かなり小さかった事である。
21世紀になってからの「ほぼウィークエンド」では神通力は乏しく、
「渡る世間は鬼ばかり」出演は、自分には正直どうでもいい話だった。
彼の作品で何か良い映像はないものかと調べたら、やっぱりこれに行きつくのだろう。
自分も道の途中、どうして生きていこう・・・
コータローさん、ほんとうにお疲れ様でした。
謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。
岬めぐり(1974・山本コータロー&ウィークエンド)
作詞:山上路夫
作曲:山本厚太郎
編曲:瀬尾一三
歌詞:Uta - Net
https://www.uta-net.com/song/4314/
2022年7月15日付訪問者数:204名様
お付き合いいただき、ありがとうございました。
山本コータローさん。
シンガーソングライター。
スポニチアネックス 2022年7月15日付
「「走れコウタロー」シンガー・ソングライターの山本コウタローさん死去 73歳 脳内出血」
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/07/14/kiji/20220715s00041000184000c.html
ソルティーシュガー名義で「走れコータロー」、
自ら率いていたグループ“ウィークエンド”名義で「岬めぐり」がヒットした人だった。
1970年代はやはり上記の通りシンガーソングライターとして全盛を極め、
TBSラジオ「パックイン・ミュージック」や
その関連本「恥の上塗り」のユーモラスな印象が強かった。
ソルティーシュガーがコミックソングのイメージがついてしまった事や
メンバー急逝で短期解散してしまったのは残念ではあるが。
ウィキペディア解説は、
https://w.wiki/3syw
ひとつの転機が1980年にリリースしたソロアルバム『東京・ロンサムシティ』だろうか。
残念ながら自分は聴く機会がなかったが、
ジャケットから察しが付くようにユーモラスな雰囲気は排し、
地下鉄(おそらく有楽町線か半蔵門線・千代田線あたり)の車内・駅構内で撮影されたものだ。
今、彼の作品をじっくり聴けるならこれを聴いてみたい。
東京出身の彼がどんな「東京」を歌ったのだろう・・・
ジャケット写真は、「snow records」(レコード買取)をどうぞ。
https://www.snowrecords.jp/?pid=121284527
1980年代で見た彼は、
フジテレビ「笑っていいとも!」で田中康夫氏とともに出演した「5つのフォーカス」と
松山千春氏(以下、親しみを込めてあえて「千春」)が主宰・所属した "NEWSレコード" からアルバム『10月の距離』をリリースした事。
音楽よりも教養面に視点が移っていった感じだった。
ちょうどこの頃、千春が持っていた土曜深夜の番組、TBSテレビ「ハローミッドナイト」にも
レギュラー出演していました。
音楽面では「広島平和コンサート(Hiroshima 1987 - 1997)」の主催で、
当時の人気アーティストがいっぱい出演していた。
Hiroshima 1987-1997 ('87) 安全地帯、サンプラザ中野、南こうせつ、山本コータロー
今思えば、ほんとうに良い時代だった・・・
今がなんてお寒い事情かを痛感する。
デカイ ロックフェスティバルなら確かにやってる。
だが、たった1日で20,000円、3日フル参加の50,000円を気前よく出せる学生やフリーターなんて
どれだけいるだろうか?
デカくなり過ぎたのではないのか?
今ノーギャラで気前よく出演を了解するミュージシャンもどれだけいるだろうか?
ステージを1つか、メインの舞台転換中にサブ(ミニ)をやる位にして、
入場料を1万円以下にできないのか?
・・・だからやっぱり今はお寒いのだ。
コータローさんの詳細プロフィールは、公式ホームページを参照ください。
http://prophet1982.moon.bindcloud.jp/Profile/pro-01.html
残念なのが手を広げ過ぎたせいか、ご本人自身の音楽功績は
かなり小さかった事である。
21世紀になってからの「ほぼウィークエンド」では神通力は乏しく、
「渡る世間は鬼ばかり」出演は、自分には正直どうでもいい話だった。
彼の作品で何か良い映像はないものかと調べたら、やっぱりこれに行きつくのだろう。
自分も道の途中、どうして生きていこう・・・
コータローさん、ほんとうにお疲れ様でした。
謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。
岬めぐり(1974・山本コータロー&ウィークエンド)
作詞:山上路夫
作曲:山本厚太郎
編曲:瀬尾一三
歌詞:Uta - Net
https://www.uta-net.com/song/4314/
2022年7月15日付訪問者数:204名様
お付き合いいただき、ありがとうございました。