先日ラジオで、とある歌手がジャンルをJ-POPから演歌に転向したことを知った。
正しくは、過去あった「演歌歌手」としてのキャリアへの再転向と言えばいいのか。
正直言うと、惜しい、残念に思った。
その人の歌声が素敵だったし、洋楽カバーpopはアジア圏でも高く評価されていただけに。
オリジナル曲ではスタイルも評価も突き当たったせいもあるかもしれないが、
それなら英語ボーカルを貫いて海外で勝負して、
「日本人でもこんな上手いシンガーがいたんだ」と評価される位まで頑張ってもよかったのではないか。
演歌では聴き手がかえって固定化するし、世界観も保守化されてがんじがらめになるのは目に見えている。
(長山洋子のように開花する例外の人もいるにはいるが)
こういう事は今までも何度も聞いた話だ。
かつて好きだった歌手に、杉田二郎さんがいた。(現役なのに過去形にして申し訳ないのだが)
杉田さんは“ジローズ”時代はリアルタイムでは知らず、NHK-FMの番組「ひるの歌謡曲」でソロ以降の楽曲を聴いてファンになった。
アルバム『題名のない愛の歌』以降の優しい歌が好きで、「男どうし」「八ヶ岳」「やわらかい心」「流れる雲を連れてゆく」など良い歌が多かった。
そんな彼の転換点は、レコード会社を東芝EMIからファンハウスに移し、所属事務所を自己の「ワンペニー」を整理して大手に移籍して、「再会」以降アダルト歌謡曲に転向してしまい、それを機会に自分は離れていった。
歌手活動を継続させるのは困難なことが多いのはよくわかる。
単独でのホール・コンサート活動が困難になって「ブラザーズ5」のようなユニットを組んでいる人もいる。
たとえ売れている歌手でさえ、デビュー時と同じ路線を続けることは無理を伴う。
続けていたらマンネリに陥るだろうし、
かといって路線変更ではファンから「裏切られた」と言って離れる人だっているはずだ。
一概には何が正解かは言い切れない。
ただ、人気商品も企業も共通している事は、「ファン(顧客)を裏切らない」「時代の潮流を冷静に読む」「維持する体力(資金力)を保持する」ことなのだろう。
そのうえで「我が道をゆく」事ができれば、こんな幸せなことはないだろう。
正しくは、過去あった「演歌歌手」としてのキャリアへの再転向と言えばいいのか。
正直言うと、惜しい、残念に思った。
その人の歌声が素敵だったし、洋楽カバーpopはアジア圏でも高く評価されていただけに。
オリジナル曲ではスタイルも評価も突き当たったせいもあるかもしれないが、
それなら英語ボーカルを貫いて海外で勝負して、
「日本人でもこんな上手いシンガーがいたんだ」と評価される位まで頑張ってもよかったのではないか。
演歌では聴き手がかえって固定化するし、世界観も保守化されてがんじがらめになるのは目に見えている。
(長山洋子のように開花する例外の人もいるにはいるが)
こういう事は今までも何度も聞いた話だ。
かつて好きだった歌手に、杉田二郎さんがいた。(現役なのに過去形にして申し訳ないのだが)
杉田さんは“ジローズ”時代はリアルタイムでは知らず、NHK-FMの番組「ひるの歌謡曲」でソロ以降の楽曲を聴いてファンになった。
アルバム『題名のない愛の歌』以降の優しい歌が好きで、「男どうし」「八ヶ岳」「やわらかい心」「流れる雲を連れてゆく」など良い歌が多かった。
そんな彼の転換点は、レコード会社を東芝EMIからファンハウスに移し、所属事務所を自己の「ワンペニー」を整理して大手に移籍して、「再会」以降アダルト歌謡曲に転向してしまい、それを機会に自分は離れていった。
歌手活動を継続させるのは困難なことが多いのはよくわかる。
単独でのホール・コンサート活動が困難になって「ブラザーズ5」のようなユニットを組んでいる人もいる。
たとえ売れている歌手でさえ、デビュー時と同じ路線を続けることは無理を伴う。
続けていたらマンネリに陥るだろうし、
かといって路線変更ではファンから「裏切られた」と言って離れる人だっているはずだ。
一概には何が正解かは言い切れない。
ただ、人気商品も企業も共通している事は、「ファン(顧客)を裏切らない」「時代の潮流を冷静に読む」「維持する体力(資金力)を保持する」ことなのだろう。
そのうえで「我が道をゆく」事ができれば、こんな幸せなことはないだろう。