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音楽大好き男の徒然なる日記

追悼・なかにし礼さん/時には娼婦のように(1978・黒沢年男)

2020-12-27 | 音楽
朝日新聞 2020年12月26日付「天声人語」より
「なかにし礼さん逝く」
https://www.asahi.com/articles/DA3S14744957.html?iref=pc_rensai_long_61_article

1970年の紅白歌合戦は、なかにし礼さんの独壇場となった。
「手紙」(1970・由紀さおり)
「あなたならどうする」(1970・いしだあゆみ)
「今日でお別れ」(1967・菅原洋一)……。
作詞した5曲が年の瀬の街にこだました。

〈海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると 
赤い筒袖(つっぽ)の やん衆がさわぐ〉。
1975年のヒット曲「石狩挽歌(ばんか)」を初めて聞いたとき、詞の難解さに耳を奪われる。
北海道の漁業の衰退が主題とわかり、社会性の高さにうなった。

かと思うと、男女のもつれた恋情を微細に描く歌詞も多く、
少年だった私はテレビの前でドギマギした。


高度成長期の歌謡界をリードした作詞家が今週、82歳で亡くなった。
シャンソンの訳から出発し、演歌やアニメの主題歌も含め、4000を超す曲を世に出した。
直木賞作家でもあった。

旧満州に生まれ、6歳の夏に終戦を迎えた。
ソ連の侵攻を受け、母や姉とともに逃げまどう。
いつまでも帰国がかなわず、母国に見放されたと痛感。
国家の酷薄さを身をもって知った。


そうした経験が、なかにし流の個人主義と平和主義を生んだ。
「エロスがなければ平和はない。
 戦争がないからこそ軟派で不良な時間を楽しめる」。

歌詞や私生活がときに議論を呼んでも意に介さなかった。

いまの憲法を「世界に誇れる芸術」と評し、
自らの創作の原動力は「戦争への甘美なる復讐」だと語った。



ふりかえれば今年は、戦後の歌謡界で輝く巨星が相次いで旅立った。
筒美京平、
中村泰士(なかむらたいじ)、
そして、なかにし礼。

何歳になっても彼らが残した名曲にドギマギし続けたい。

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そこで今回は、戦後歌謡曲でも「エロス」の最たる名曲を
あえてお届けいたします。
自分も当時、呆気にとられながらも記憶に刻まれたものです。

こういう曲を聴くと、ほんとうに今のテレビでの音楽シーンは
「学園祭」か「高齢者の懐メロ」ばかりに思えてならないのです。

今聴くとこの男は身体を重ねる女性がいなかったら、
身を持ち崩したり半狂乱とか殺人鬼になっていた“哀れな奴”なのでは、とも思えるのです。
やっぱり男にとっては、自分を愛してくれる女性が必要なのだと、自分は思います。
(LGBTの方は意見が異なると思いますが)

そして、萩田光雄氏によるポルカのようなサウンドに哀切と刹那さが増して、素晴らしいです。

黒沢年男「時には娼婦のように」 1978年

 作詞・作曲:なかにし礼
 編曲:萩田光雄

歌詞:Uta - Net
 https://www.uta-net.com/song/3245/
ウィキペディア解説:
 https://w.wiki/CoeL




  →なかにし礼氏のベストワークスを見事に収めたCDですね。

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