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音楽大好き男の徒然なる日記

追悼・服部克久先生(1)卒業写真(1975、ハイ・ファイ・セット)

2020-06-12 | 音楽
この報せは聞きたくなかった。

東京新聞 2020年6月11日付記事
「作曲家の服部克久さんが死去 ヒット曲アレンジ、TV音楽も」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/34919?rct=entertainment

テレビ草創期から番組を音楽で彩り、ヒット曲のアレンジなどを手掛けた
作・編曲家の服部克久(はっとり・かつひさ)さんが11日午前8時42分、
心不全のため東京都内の病院で死去した。
83歳。
東京都出身。

パリ国立高等音楽院に留学後、
父で作曲家の服部良一さんと同じ大衆音楽の道へ。
初仕事は1959年、ダークダックスが歌う日本民謡をフランス歌曲風に編曲した。

1980年には山口百恵さんの引退公演の音楽監督を務めた。

谷村新司さんの「昴」、
竹内まりやさんの「駅」など 名曲の編曲を多数手掛けた。

作曲した代表作にTBS系ドキュメンタリー番組「新世界紀行」のテーマ曲「自由の大地」など。


………だめだ、この報せは痛すぎる。
立ち直れない。
自分にとっては音楽の数少ない「師匠」のおひとりだからだ。
(涙)

近年の「Sound Inn S」で先生のお姿を見た時、お年を召したなぁ、と少し寂しく思っていました。
まだまだ、こんな報せは聞きたくなかった。


でも、
このブログをご覧の皆様に、服部先生の優れたお仕事をご紹介しなければなりません。

先の記事の通り、先生はパリのコンセル・ヴァトワールにて音楽を学ばれました。
そのため、日本国内の「ばりばりクラシック道」まい進型の音大と一線を画した、
非常に洗練された雰囲気がありました。
その後、ポップスやイージーリスニングの世界に進まれたのは、自然なことでした。


自分が服部先生の名前を知ったのは、ちょうどこの頃の
ハイ・ファイ・セットのこの歌でしたでしょうか。

この歌を作られたユーミン(荒井由実)もアルバム『コバルト・アワー』で歌っていますが、聴き比べてみると
ポップスにおいて編曲(アレンジ)というのがいかに大事なものなのかを知る良い機会になるでしょう。
松任谷正隆氏は服部先生のアレンジを聴いて「…しまった、録り直したい」と思うようになり、
松任谷由実初のベストアルバム『Neue Musik(ノイエ・ムジーク)』(1998)の初回限定盤ボーナストラックで実現したのでした。

感想は個人差があると思いますが、
ユーミンのバージョン(編曲:松任谷正隆氏)は華やいだ学生たちがメインビジュアルにいて、
背景のキャンパスや街並みは、自分は武蔵野美術大学(むさび)や早稲田大学周辺を思い浮かべるのに対して、
服部先生のバージョンは格調高いキャンパスや校舎そのものの風景をメインに思い浮かべ、
学校なら北海道大学や成蹊大学などの、ちょっとおごそかな感覚を思い浮かべます。
(あくまで個人的な感想です、決して怒らないでください)


ハイ・ファイ・セット 『卒業写真』 1975年


歌詞:J-Lyric.net
http://j-lyric.net/artist/a000c13/l00f607.html


人ごみに流されて 変わってゆく私を
あなたはときどき 遠くでしかって



  ↑ 
なかにし礼氏作詞の洋楽カバー曲「フィーリング」や、
同じユーミン作による「冷たい雨」「スカイレストラン」、
アメリカのコーラスグループ“マンハッタン・トランスファー”を意識したジャズコーラス路線時代の
「miss you」「心離れるころ」、
腕時計のCMソングとしてブレイクした「素直になりたい」等、いろいろ聴けてお得です。


服部先生の特集は、今後も随時紹介したいと思います。

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