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音楽大好き男の徒然なる日記

旅の歴史とJR北海道について/「走れ夜汽車」(1978・松山千春)

2014-03-08 | 旅行
自分の初めての一人旅は、「ワイド周遊券」を片手にしての北海道だった。

当時は上野~青森間に夜行急行「八甲田」が健在で、たしか上野発が19時00分頃だったと思う。
発車時、電気機関車のながーい汽笛に驚き、
「ガチャコン」と動き出した機関車に引っ張られるように、連結された客車も動き出す。
時は3月、最愛の祖母が逝った9か月後の旅立ちだった。


「八甲田」で隣り合わせ、青函連絡船でラーメンをおごってくれた親切な方がいて、
「旅は道連れ世は情け」を実感でき、
以降ユースホステル(YH)や旅の宿情報誌「とほ」の魅力に惹かれて、自分の旅の基準が出来上がった。

長万部から余市にかけての深雪地帯を走る特急「北海」、
名寄本線や勇網線で見た、だだっ広い流氷地帯、
厚床から東の根室本線(花咲線)や抜海以北の宗谷本線の荒涼とした風景、
美瑛~富良野間の夏の富良野線の美しさ、etc. etc.
そんな旅に国鉄/JRの存在は不可欠だった。



社会人になって以降旅行時間に制限がかかって、
旅の基準は道内を鉄道で廻る「線の旅」から、
東京と札幌圏との往復に集約された「点の旅」に変わらざるを得ず、
今でも乗れるなら乗りたい寝台特急「北斗星」も2006年を最後に乗っていない。

あれから「ワイド周遊券」はおろか、
「北斗星」乗車でこそ意味があった「ぐるり北海道フリーきっぷ」も2010年3月付で廃止になって
以来道内の鉄道旅行のみならず、コスト面でも鉄道での東京~札幌間往復は考えにくくなってしまった。


さて、
JR北海道の不祥事は2011年の特急「おおぞら」のトンネル内火災事故以降、
「これでもかこれでもか!」と言わんばかりに続出している。
実に情けない(涙)、の一語に尽きる。


自分はもとから国鉄の「民営化」には一定の理解はあったが「分割」には反対だった。
首都圏と北海道が同一企業だったら東京の黒字で北海道のローカル線の維持も可能だったのに、
分断されて札幌圏が“稼ぎの綱”となると、どうしても路線の保守管理・運営に限界がある。
(事実、'80年代よりも20路線以上も廃止され、少なからず北海道全体の活力を奪った)

道内は札幌圏以外は過疎化してしまったが、残った路線や車両の保守点検は不可欠だ。
モータリゼーションの土地柄や高速道路が建設されたとはいえ、
視界不良・積雪と路面凍結で厳しい寒さの冬は、鉄道でないと安全な旅はできない土地なのだ。


労働組合同士で争っている場合じゃないだろう? 
利用者にはどうでもいいのに。
札幌圏の不動産運営だけやってたら鉄道会社じゃないだろう?

そもそも1988年に高架化された現札幌駅舎には商業施設ばかりで、
改札内に長い旅を続ける人々が乗り換えの間落ち着ける「待合室」さえないじゃないか。 
発想を間違えてないのか?

整備新幹線に過剰な期待と幻想を持たずに、今ある在来線の可能性を見つめ直したらどうか?
鉄道の安全運営と、格差のないすべての旅行者の快適さを追求する
「原点」を忘れないで欲しい。
そのためには日本国内ばかり見つめず、
DB(ドイツ鉄道/Deutsche Bahn AG )などを視察したほうがいい。


しっかりしろ、JR北海道。
これで今度犠牲者の出る大事故を起こしたら、JR東日本に吸収される覚悟をもったほうがいい。
(少しでも安い値段で旅したい者にとっては、むしろそのほうが良いのだろうけど……


 「楽天トラベル」や旅行代理店と組んで、
東京~札幌間のホテル&鉄道パックのバリエーションがもっともっと豊富になると良い)



松山千春 走れ夜汽車(1978)



  2nd アルバム『こんな夜は』に収録。

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