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井上源吉『戦地憲兵-中国派遣憲兵の10年間』(図書出版 1980年11月20日)-その27

〈チン(管理人注-漢字変換なし)県での軍票の暴落振りと中国人・朝鮮人の様子(1945年8月)〉
 
 
 町では軍票の価値が暴落していた。ラーメン一杯が一万円、中国料理一卓は三十万円にもなっていた。法幣(中国の貨幣)で一箱七十元のタバコの包み紙には軍票の百円札が使われていたが、これはどんなに粗末な紙を使うよりも安くつくからだった。町を歩けば、心なしか中国人たちの態度が一変し、私たちと接触するのを避けているようだった。これはひとつには、日を追って下落する軍票で買い物をされてはたまらない、かといって売ることを拒否すれば何をされるかわからない、という恐れを持つ彼らとしては当然のことであった。また一面では、南昌において私や稲本秀夫に協力した善政郷長の丁文仁氏が、中国軍の手で暗殺されたり、楽昌で私の諜者をつとめた高了志が、私の去ったあとで惨殺されるというように、各地において日本軍に協力した人たちが漢奸(かんかん)として中国軍の手で処刑されていたので、日本軍の敗色濃い今、こうしたことから逃れるための彼ら一流の自衛手段でもあった。私が楽昌を去るときに中央大学のトウ(管理人注-変換漢字なし)教授一家が私を追って長沙へ移ったのも、同じような理由であったのだろう。   
 
 
 どこから流されるのか、日本軍の敗戦は近いといううわさが町に流れ、これが日本軍の兵隊たちにも影響し、軍の内部にも絶望感が浸透しつつあった。八月十三日ごろになると某部隊では台湾人通訳が逃げた、某部隊では朝鮮人の兵隊が集団で逃亡した、などのニュースが伝えられるようになった。(251頁)
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