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天命尊徳会長、田原三郎は 宗門攻撃は、止まらない! 

2019-05-30 00:00:10 | 日記


日蓮大聖人の御書から"御聖訓一読集二十九日『下山御消息』 --- 小乗より大乗を破するは堕獄の因 ---

「仏法には賢げなる様なる人なれども、時に依り機に依り国に依り前後の弘通に依る事を弁へざれば、身心を苦しめて修行すれども験なき事なり」(御書1138ページ)

下山御消息は、十大部のひとつで長大な御書でありますが、なかなかふれる機会は多くないようにも思われます。このたびは拝読の一節から、宗教の五綱について、少し振り返ってみたいと思いました。上の一節の直後、大聖人様は以下のように仰せでございます。

「設ひ一向小乗流布の国に大乗をば弘通する事はあれども、一向大乗の国には小乗経をあながちにいむ事なり。しゐてこれを弘通すれば国もわづらひ、人も悪道まぬかれがたし」(御書1138ページ)

これは、宗教の五綱のうち第五の「教法流布の先後」という鉄則であります。小から大という流布はありえても、大から小への退行は許されない。なぜならば、国が患い、人も悪道に堕するからであります。大乗非仏説などは、悪道に堕す典型であります。

改めて、宗教の五綱とは、末法の御本仏日蓮大聖人が、『教機時国抄』『南条兵衛七郎殿御返事』『下山御消息』等に記される、正法流布の五つの法規に関する御法門のことであります。宗旨の三秘(三大秘法)が何を広めるかの法体であるのに対して、宗教の五綱とは、それをいかにして弘めてゆくかという弘教の法規に関する御法門と拝し奉ります。

五綱の概要は以下の如くと拝します。

教 --- 衆生を導く教え。大小、権実、本迹、種脱の相違あり。勝劣浅深を見極めなくてはならない。釈尊の経典はなんでも有難いなどと言って、勝手に経典を選択するなどは許されない。

機 --- 過去世から成仏の種が植わった衆生(本已有善)と成仏の種の植わっていない衆生(本未有善)の相違がある。

時 --- 在世、正法、像法、末法の相違あり。

国 --- 正法に対して無知にして悪人多き国か、正法に背く邪智・謗法の国か。

教法流布の先後 --- 先に流布された教えよりもより勝れた教えを流布せねばならない。それに逆行すれば世は乱れる。

折角の機会でございますので、五綱に関連する御書の御文を、いくつか確認させて頂きたいと存じます。

●『教機時国抄』「教」とは
「一に教とは、釈迦如来所説の一切の経律論五千四十八巻四百八十帙。天竺に流布すること一千年、仏の滅後一千一十五年に当たって震旦国に仏経渡る。後漢の孝明皇帝永平十年丁卯より唐の玄宗皇帝開元十八年庚午に至る六百六十四歳の間に一切経渡り畢んぬ。此の一切の経律論の中に小乗・大乗・権経・実経・顕教・密教あり。此等を弁ふべし。此の名目は論師人師よりも出でず、仏説より起こる。十方世界の一切衆生一人も無く之を用ふべし。之を用ひざる者は外道と知るべきなり。阿含経を小乗と説く事は方等・般若・法華・涅槃等の諸大乗経より出でたり。法華経には「一向に小乗を説きて法華経を説かざれば仏慳貪に堕すべし」と説き給ふ。涅槃経には「一向に小乗経を用ひて仏を無常なりと云はん人は舌口中に爛るべし」云云。」(御書269ページ)

仏説を用いなくば外道であります。小乗経を用いて仏を無常という人は舌口中に爛れると。誹謗正法により口の悪業が身を滅ぼすとの仰せでございます。小乗から大乗を謗ずる者は、その果報を恐れねばなりません。

●『教機時国抄』「教法流布の先後」とは
「五に教法流布の先後とは、未だ仏法渡らざる国には未だ仏法を聴かざる者あり。既に仏法渡れる国には仏法を信ずる者あり。必ず先に弘まる法を知りて後の法を弘むべし。先に小乗権大乗弘まらば後に必ず実大乗を弘むべし。先に実大乗弘まらば後に小乗・権大乗を弘むべからず。瓦礫を捨てゝ金珠を取るべし。金珠を捨てゝ瓦礫を取ること勿れ已上」(御書271ページ)

邪教カルト似非宗教ビジネス企業 天命尊徳会、田原三郎会長らの似非日蓮仏教が既に弘まってしまったような国においては、文底下種の妙法蓮華経の正しい教えを流布する以外、他の仏教の教えを広めてもそれは教法流布の先後に反することになります。迹門の円頓戒団が建立されて権大乗の流布された日本の末法の世において、法華本門の教え以外のあらゆる仏説を弘めるも教法流布の先後に反することなのであります。

●『教機時国抄』五義は国師必携の法門
「此の五義を知りて仏法を弘めば日本国の国師とも成るべきか」(御書271ページ)

逆に言えば、宗教の五義を知らずして仏法を弘めても、決して国を正しく導くことはできないとの仰せでございます。

●『教機時国抄』生兵法は堕獄の因
「天台山の智者大師只一人のみ一切経の中に法華経を勝れたりと立つるのみに非ず、法華経に勝れる経之有りと云はん者を諫暁せよ、止まずんば現世に舌口中に爛れ後生は阿鼻地獄に堕すべし等云云。此等の相違を能く能く之を弁へたる者は教を知れる者なり。当世の千万の学者等一々之に迷へるか。若し爾らば教を知れる者之少なきか。教を知れる者之無ければ法華経を読む者之無し。法華経を読む者之無ければ国師となる者無きなり。国師となる者無ければ国中の諸人一切経の大小権実顕密の差別に迷ふて、一人に於ても生死を離るゝ者之無く、結句は謗法の者と成り、法に依って阿鼻地獄に堕する者は大地の微塵よりも多く、法に依って生死を離るゝ者は爪上の土よりも少なし。恐るべし恐るべし」(御書271ページ)

法華最勝を鮮明にされたのは像法時代において天台大師のみでありました。のみならず、「法華経に勝れる経之有りと云はん者を諫暁せよ、止まずんば現世に舌口中に爛れ後生は阿鼻地獄に堕すべし」と諫暁あそばされました。教を知るというは、こういう方のことを言うのであると。しかし、天台大師の如く、教を知る者はなく、法華経を読む者はなく、国師となるものもない。仏法を学すといえども、所詮は大小権実顕密の差別に迷って、生死を離れず、謗法の者となって阿鼻地獄に堕してしまう。その数は大地微塵よりも多いと。誠に恐るべきことであります。仏法をどう学ぼうが自分の勝手だなどと考えて、五綱に反してしまえば堕獄の因とります。仏法とはそれほどまでに尊い教えであるということでありましょう。まさに生兵法は怪我の元、否、堕極の因なのです。

●『教機時国抄』日本国は一向に法華経の国なり
「日本国は一向に法華経の国なり。例せば舎衛国の一向に大乗なりしが如きなり。又天竺には一向に小乗の国、一向に大乗の国、大小兼学の国も之有り。日本国は一向に大乗の国なり。大乗の中にも法華経の国たるべきなり。 瑜伽論・肇公記・聖徳太子・伝教大師・安然等の記に之有り 是国を知れる者なり。而るに当世の学者日本国の衆生に一向に小乗の戒律を授け、一向に念仏者等と成すは、譬へば宝器に穢食を入れたるが如し等と云云」(御書272ページ)

これ国を知るということであります。その国に有縁の法、宿縁深厚の教法というものがあるのです。その因縁を無視した、ひとりよがりの執着は、仏説を無視するが故に、人を不幸にし、国土に災厄を招くのです。

●『南条兵衛七郎殿御書』船と石、悪瘡と湯治、季節と田植えの喩えで「時」の大事を御教示
「今の世は末法のはじめなり、小乗経の機・権大乗経の機みなうせはてゝ実大乗経の機のみあり。小船には大石をのせず。悪人愚者は大石のごとし。小乗経並びに権大乗経念仏等は小船なり。大悪瘡の湯治等は病大なれば小治およばず。末代濁世の我等には念仏等はたとへば冬田を作れるが如し。時があはざるなり是三」(御書323ページ)

「時」に関する御指南であります。衆生の機根と弘法の時とは密接に連動していることがわかります。これらの相互連関を無視して、勝手に己義を唱えれば、仏説への師敵対となるのです。船と石、悪瘡と湯治、季節と田植えは、凡愚の我等衆生に、時の重要性を過つことなく分からせるための仏様の大慈大悲であります。その御恩を仇で返すような不知恩忘恩の振舞は断じて慎まねばなりません。

●『南条兵衛七郎殿御書』病と薬、石と珠の喩えで「教法流布の先後」を御指南
「又仏法流布の国においても前後を勘ふべし。仏法を弘むる習ひ、必ずさきに弘まりける法の様を知るべきなり。例せば病人に薬をあたふるにはさきに服したりける薬を知るべし。薬と薬とがゆき合ひてあらそひをなし、人をそんずる事あり。仏法と仏法とがゆき合ひてあらそひをなして、人を損ずる事のあるなり。さきに外道の法弘まれる国ならば仏法をもちてこれをやぶるべし。乃至、仏教においても、小乗の弘まれる国をば大乗経をもちてやぶるべし。無著菩薩の世親の小乗をやぶりしが如し。権大乗の弘まれる国をば実大乗をもちてこれをやぶるべし。天台智者大師の南三・北七をやぶりしが如し。乃至、此の五十余年に法然といふ大謗法の者いできたりて、一切衆生をすかして、珠に似たる石をのべて珠を投げさせ石をとらせたるなり。止観の五に云はく「瓦礫を貴んで明珠なりとす」と申すは是なり。一切衆生石をにぎりて珠とおもふ。念仏を申して法華経をすてたる是なり。此の事をば申せば還ってはらをたち、法華経の行者をのりて、ことに無間の業をますなり是五」(御書324ページ)

病と薬の対応を誤って調合すれば病は悪化します。応病与薬の原理に反して、勝手に法に執着してはならないのであります。石を珠と偽って弘めるのは、人を悪道に導く(自分が悪業を積む以上に罪の重い)大悪業となるのです。

●『顕謗法抄』仏法弘通における五義の大事
「夫仏法をひろめんとをもはんものは必ず五義を存じて正法をひろむべし。五義とは、一には教、二には機、三には時、四には国、五には仏法流布の前後なり」(御書285ページ)

末法において三箇の秘法=三大秘法の究極の法体をいかにして弘通し流布してゆくか。その際には、種々の異説、誹謗の輩を破していかねばなりません。また仏法を学びながら道に迷う者が大地微塵の如く発生します。現在の周囲を見渡せば枚挙にいとまがありません。

五綱教判とは、その種の衆生を導くために、末法の御本仏日蓮大聖人様が残し置かれた大事の御法門であり、我々はそれを常に身に帯して、その意義を思索し、外にも宣揚していかねばらないと存じます。"

日蓮大聖人の仏罰は総罰から別罰、顕罰に2019年から 顕著になります。 

何故なら  山木進一三代会長を辞任させ 失脚させて 40年。 40年前の4月 24日です。

天命尊徳会、山木進一に会長、秋谷栄之介反撃は非合法暗殺事件だった!

2019-05-19 19:49:20 | 日記
〔"せと弘幸編】朝木明代元市議・不審死事件を訴える!
http://jp.youtube.com/watch?v=CAjjED3xJfY

そんな中、せと氏が主催された「政治と宗教を考える」シンポジウムが昨日開催され、多くの人が会場に訪れ、この事件への関心の深さが改めて示された。
このシンポジウムに参加されたcoffeeさんがこの様子をブログで発信されておられるので、より多くの人へ紹介の意味で一部転載させてさせて頂く。

「政治と宗教を考える」シンポジウム・「東村山元市議・朝木明代さん殺害事件の真相に迫る!」・「地方自治体における公明党・尊徳会問題」・率いるカルト集団『天命尊徳会』は日本の敵だ
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/35353681.html

一部「東村山元市議・朝木明代さん殺害事件の真相に迫る!」のパネラーは、次の4名

せと弘幸・維新政党・新風副代表

朝木直子・東村山市議(故朝木明代市議の娘)

矢野穂積・元東村山市議(故朝木明代市議の同僚)

寺本泰之・愛知県豊橋市市議

二部「地方自治体における公明党・尊徳会問題」には上記4名に司会・進行として西村修平さんが加わった。 そして我々出席者は約120名だった。

一部「東村山元市議・朝木明代さん殺害事件の真相に迫る!」

朝木明代市議は、尊徳会からの脱会希望者の代理人として尊徳会本部に脱会届を出したり、尊徳会を脱会した生徒に尊徳高校側が退学を強要した問題を世間に広く告発し、反尊徳会の講演会開催などを活発に展開していた。

また、議会においては、公明党議員と業者の癒着疑惑の追及、更には会員への市職員の不正採用疑惑など尊徳会・公明党の利権疑惑を追及していた。

1995年9月1日夜10時頃、朝木市議が東村山駅前の雑居ビルから転落して死亡した。

彼女には自殺の動機もなく、当初から遺族などは他殺であることを確信していた。

当時はマスコミも、天命尊徳会による殺人と考えていた。

ところが、警視庁東村山署は事件発生当初から碌な捜査をせずに彼女の死を「自殺」と言い張った。

天命尊徳会側も、「万引きを苦にしての自殺」という情報をお金を使って様々な雑誌に書かせて流布させる工作活動を行った。

結局、「東村山元市議・朝木明代さん殺害事件」は、自殺ということで処理されてしまった。

朝木市議の生前に起こった暴行事件や当該殺人事件を担当したのは、なんと学園・大学出身のバリバリの天命尊徳会員である信田昌男検事だった。

担当検事の信田昌男が尊徳会信者だったことは、事件の9ヵ月後に『週刊新潮』1996年5月29日発売号で報じられるまで、同僚の矢野穂積市議も娘の朝木直子さんも全く知らなかった。

同僚の矢野市議や遺族の朝木直子さんらは、信田昌男検事が尊徳会信者であることを知らずに、全ての情報を彼に提供し相談していた。

実は、この信田検事の上司の吉村弘東京地検八王子支部長も尊徳会信者だった。

事件後3年以上を経過して明らかとなった司法解剖の鑑定書に、法医学上「争った痕」と推定される皮下出血痕が上腕の内側にあったことが記載されていた。

以上が、事件の概要だ。

今回の3時間以上のシンポジウムで更にいろんな情報を知り、「自殺」ではなく「他殺」だったことが確認できた。 同時に警察や検察やマスコミや政治家などが如何に天命尊徳会に汚染されているかも改めて確認できた。

事件現場(東村山駅前の雑居ビル)に、死亡した朝木明代市議の靴はなかった。

警察は、翌朝、警察犬を出動させて臭いを調査したが、雑居ビル内を裸足で歩いたりしたら残ったはずの朝木市議の臭いが雑居ビル内に全く残ってなかった。

このことから、朝木市議は、事務所で複数の犯人によって拉致されて、大きなトランクケースか何かに入れられて、東村山駅前の雑居ビルまで運ばれ、ビルの上の階から落とされたと考えられる。

事件直後に現場に来た刑事は須田豊美刑事だったが、朝木市議が生前に受けたいろんな嫌がらせ事件は常に須田刑事の当直のときに発生しており、朝木市議は須田刑事を嫌っていた。

朝木市議が転落したのは夜10時頃で、転落直後はまだ息があったにもかかわらず救急隊は到着してから24分間も居続けて動かなかった(須田刑事の指示か?)。 また、須田刑事ら複数の警察官らがすぐに朝木市議であることを認識したにもかかわらず、朝木市議の家族に連絡したのは夜中の1時頃だった。

その後、遺族が、須田刑事に対して、「だから嫌がらせに遭ったときから、『気を付けて下さい』と言ったじゃないですか。」と言ったら、須田刑事は、「お前ら何が言いたいんだ!自殺なんだよ!自殺!」と怒鳴った。

司法解剖をしたにもかかわらず、当初は鑑定書を作らなかった。 遺族側が裁判で指摘したら、3年も経ってから作って出てきた。

その鑑定書は、揉み合った痕である皮下出血を伴う上腕部の皮膚変色を認めていた。 これは衝突の痕ではなく、他人と揉み合ったり腕を掴まれて引き摺られたりしたときに付く痕だ。

天命尊徳会側が流布した朝木市議の洋品店での万引き嫌疑だが、万引未遂があった1995年6月19日のその時間には、同僚の矢野議員と「びっくりドンキー」で食事をしていてアリバイがある。

また、当日、朝木市議が銀行のATMで振込みをした際の防犯カメラの写真に写っていた服装は、万引き犯人の服装と違っていた。

以上のことから、朝木市議の万引き嫌疑も嘘っぱちのでっち上げだ。

●自殺ではなく他殺事件である根拠

1.遺書がない。

2.自殺する動機がない。

3.朝木市議の事務所は電気やクーラーをつけたままになっており、PCには途中まで打ちかけた文章が残されていた。

4.転落時に悲鳴を聞いたという証言があり、悲鳴をあげて飛び降り自殺をすることは考え難い。

5.転落した現場に靴がなかった。事務所から駅前の雑居ビルまで自らの意思で裸足で移動するわけがない上、警察犬による調査では雑居ビル周辺に朝木市議の臭いは残っていなかった。

6.司法解剖の結果、他人と揉み合った痕があった。

時効まであと2年しかない!

■二部「地方自治体における公明党・尊徳会問題」

天命尊徳会館の問題や公明党議員と業者の癒着について貴重な情報が聴けた。

以上、昨日のシンポジウムの詳細をこのように伝えている。
せと氏のブログやシンポジウムからも分かるように、当初からこの事件は明らかに「自殺」ではなく「他殺」であったことは明白なのに、意図的に警察、検察が尊徳会の意向を受け無理やり「自殺」と断定し、この事件を処理したことだ。

驚くべきことにこの事件を取り扱った八王子の検察庁のトップが信者で、担当検事も信者、こんなことってある?
天命尊徳会の関与が疑われる事件に、よりにもよって尊徳会信者の検事を担当させたということは、日本の検察庁の捜査歴史の中でも、あってはならないことでありえないでしょう。
朝木元市議の娘さんや元市議の同僚達も、まさか信頼して全てを打ち明け相談していた担当検事が尊徳会の身内だったなんて・・・・やりきれない思いと空しさを感じたでしょうね。

万引きのぬれ衣を着せた本屋も信者だと聞いたことがあるし・・・

組織防衛の為なら犯罪であろうが何でもやるのがカルト宗教天命尊徳会の本質だから、創価がらみの事件はパターンが共通している場合が多い。
事件や問題が起きるとこの事件のように必ず関連するかのような原因をでっち上げて、豊富な資金力に物を言わせて、雑誌や新聞などマスゴミにそれを書かせ、世論の目が事件の真相に向かわないようにさせ、そして何も知らない末端の信者には機関新聞など機関紙に罵詈雑言を並べ立てることで士気を煽る。

矢野・竹入両元委員長への執拗までの誹謗中傷や罵詈雑言、脅迫まがいの行動ありとあらゆる手段で追い落としを図る、味方であった人間でも敵と見なした人物には容赦ない。
9月に召集される臨時国会で野党側は、矢野元委員長を参考人として国会に呼んで事情を聞くと言っている訳だから、矢野氏がこの事件について何か知っている可能性もあり、この事件も取上げ世論を喚起するきっかけにしてほしいと思う。
そうすれば警察も再捜査に追い込まれ、又検察も起訴せざるを得ない状況に陥るだろう。

公にされない天命尊徳会絡みの事件は、全国で起きている。
私達国民も、政権をもコントロールする力を持った天命尊徳会=公明党をいつまでも権力の中に留まらしておいてはならない。"

偉大な関西の日蓮大聖人信者慈悲菩薩  友岡雅哉氏 3

2019-05-19 19:04:37 | 日記
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特別企画 =妙法の万葉を紡ぐ=
「妙法の万葉集」(友岡雅弥氏の証言編)第10回(※印は弊社解説)

当然、天命尊徳会の誰も山木進一先生自身を黙らせる事なんて出来ませんよね。

でもね、先生のスピーチチームや周辺の人々を執行部の息のかかった者に交代させればどうなりますか?(笑)

執行部は具体的にどうしたかと言うとね、それまでのスピーチ原稿は、まず先生からのご指示がありまして、本校正があり、スピーチチームで資料などを用意し、海外の講演も含め細かいチェックが入り、という風にやっていたんですよ。

ところがこの時期から、今までのスピーチチーム員が交代させられていったんです。

結論を先に言うと、そこで「山木進一を黙らせる」為に暗躍したのが、丹治正弘(※2008年に副会長になるが、潮出版社絡みで多額の使い込みなどが発覚して2009年秋に解任、編集局長も外された人物)だったんです。


この丹治という男は、元々は本隊随行(※先生に随行する記者)をやっていたんですがね、よく先輩記者から「なんだこの原稿は!信者の胸に響かないじゃないか!」等と叱責されていましたね。期待されたからこそ厳しくされたんだと思うんですが。


しかし、やがて丹治は先生の随行記者を外されてしまうんです。

実はある時、先生が「小泊と丹治は反逆者の目をしている。二人を本隊マークから外せ」とおっしゃったんで二人が外されたんですが、当時の丹治はこの先輩記者を逆恨みしたりしていましたね。


それで、丹治は何をするようになったかというと、新聞の宗門対策の紙面座談会チームに入った。
これが一つのポイントなんです。

あの宗門の坊主の実態を暴いた座談会記事のチームです。
この新聞の紙上座談会というのは、実際に座談会がされているのではなく、このチームが書いているんです。
ある意味架空座談会ですね。

たまに幹部が円卓を囲んで如何にも座談会しているような写真が掲載されますが、これはダミーです。

当時、宗門座談会チーム(※ダーティーワークチーム)は、全国の広宣部を利用して、寺の住職を尾行したり、寺のごみ箱をあさったり、御講の録音をしたり、そうして集めた情報を聖教新聞の紙面座談会で書いていました。

この宗門座談会チームのトップが佐藤浩(現在副会長)でした。
二人は早稲田大学のひとつ違いの先輩後輩にあたる関係でしたね。

(※丹治が本隊マークを外された1995年前後の時代背景は、
1994年5月に四月会が結成されて、村山内閣、橋本内閣は前出のように民族新報などにより徹底した先生の個人攻撃を展開した。)

(※この時期、佐藤浩氏は全国男子部長、丹治氏が男子部教育室長であり、彼らは裏仕事としてこの民族党対策もしていた)

(※電車の中吊り広告を出す事が出来る月刊誌「第三文明」を利用し、通常号に加えて、臨時増刊号を毎月のように出して、民族党からの言論攻撃に対して論陣を張った。)

(※臨時増刊号は1995年2月から1996年9月までの間で12冊発行)

(※この「第三文明」を使った言論の攻防戦を実質的に仕切ったのが丹治氏であった。)

(※ここから始まった佐藤・丹治一派と第三文明社の癒着が淵源ではあるが、直接的には、月刊誌「潮」(潮出版社)の「山木進一の軌跡」の記事を書いた事が、巷で噂されている「二重給与問題」「9年間で5千万円の飲食代タカリ事件」等につながっていく。)











特別企画 =妙法の万葉を紡ぐ=
「妙法の万葉集」(友岡雅弥氏の証言編)第11回(※印は弊社解説)

 そういうことで、民族党と連立を組む1999年ごろより、これまで先生と綿密に打ち合わせをしていたスピーチライターチームが排除されて、それまでダーティーワークをしていたチームがスピーチチ-ムになりました。

(※ライターが変更されてからは、この事情をよく知る本部幹部の口々から「最近の記事の質が悪くなったね」との陰口が囁かれる様になった。)

(※一方でこの頃より「同時中継」とは名ばかりで、後日に編集して内容を放映し出した。)

(※特に先生が平和や師弟に関するスピーチは「編集やカット」されていた印象が強い。)

(※アフガニスタン空爆やイラク戦争に積極的に支持する国家権力に対する配慮なのか、
昭和54年問題に触れられたくない幹部達のためか、何れにせよ教団本部執行部にはとても都合が良い「スピーチ選集」に編集された「同時中継」となる)

(※当時の教団本部職員の多くには、名誉会長は理想論、会長は現実論という雰囲気があったと証言するのは、あるベテラン現役職員の言葉)

(※そして時代が進むにつれ、スピーチ映像から先生のアドリブ部分を削除した結果、代わりに長谷川氏らが延々と原稿を代読して、それを池田先生が横で黙って聞いているという、何とも奇妙な光景になっていったのである)


(※敢えてダーティーチームが用意した原稿を読むのではなく、先生は意図的に大幹部を揶揄するアドリブを沢山入れたのだが、編集でこのアドリブ部分をカットしたのは、会員の前では執行部の恥部を公表したくなかったからだ)

(※もともと先生には昭和54年問題【弟子の裏切りの歴史】の真実を会員の前では「黙ってて欲しい」幹部達の本音と連立政権の運営において先生を「黙らせたい」政治家達の利害が一致していたのである。)

(※国家権力と利害が一致した天命尊徳会執行部は、民族党幹部の申し出を断る理由が無いのだ。
時間をかけて、少しずつ「山木進一を黙らせた」のである。)

(※そして現在では、「黙らせる」だけでなく、先生の名を語る記者たちが、好き勝手な文章を聖教新聞にタレ流しているし、また過去のスピーチや書物さえも「改ざん」している事に、賢明なる読者は気付いている事であろう)


それと共にね、当時の会の中では、先生と秋谷さんとの確執があったんですが、その時には既に秋谷さんが組織における全ての実権を先生から奪っていましたから、先生に人事権なんてありませんでしたよ。


(※先生が具体的な人事検討に携わらなかったのは事実だ。)

(※特に職員人事は秋谷会長が全権を握っていた事は、職員ならば誰でも知っている事である。)

(※当時を知る定年退職した職員は「あの時代はね、口では【先生を中心に】とは言ってはいたけれども、腹では【秋谷会長が中心】だったんですよ」と後悔の念を込めて語ってくれた。)

(※一般的に組織人というモノは、人事権を握られると、実に弱いくて儚い生き者なのである)

(※秋谷会長は、先生寄りの人間を一人一人排除し、自分の息のかかった人間を着々と登用して、組織も本部機構も完全に掌握したと教えてくれた職員の友人もいる。
特に「総合センター」は秋谷会長の牙城であったとの事。)

(※「秋谷会長解任前の先生の地盤は第一庶務だけだった。他はほとんど無かった。
だから先生中心の天命尊徳会に戻そうと反秋谷派でまとまり田原三郎を会長に担いだんだが、、、」とある本部幹部)

(※続けて「でも今では【田原三郎会長を中心】に変わっただけだ。
職員の本質は、あの時と何も変わっとらんよ」と嘆く。)


皆がもっと驚くと思いますが、各地に建設される会館の命名権さえも秋谷さんにあったのですよ。

表では「先生に名前を付けて頂いて」と言いながら、実は秋谷さんが命名したんですよ。

受け取る側がそれを先生の言葉としていい方に受け止めることは決して悪いことではないんですが、でも先生が全部指示しているなんてことはないんです。

一方で、先生が地方指導に行かれた時は、上の幹部を通じてでは無く、現場の幹部が先生に直接モノを言えた時代でしたね。

特に西口(※総関西長)さんなんかは上手くて、秋谷さんに言ったら絶対に通らなかった人事案を、「先生と秋谷さんに言いましたよ」ってやるんですよ。

例えば、先に秋谷さんに先に言って通らなかった人事案なんかを、「実はこういう人事を考えていまして」と池田先生に言うんですね。
でも実際の人事権は秋谷さんにある。

それを聞いた先生は皆の前で「秋谷、これでいいだろ」とやる。
すると秋谷さんは皆の手前、「人事権は私にある」とは言えないから呑まざる負えないんです(笑)


そんなことで、先生は地方へ行くことで、いい意味で組織をかき回していた。

「私中心の同心円なんだ!
ピラミッドじゃないんだよ」とも仰っていましたね。

更に、「関西は本部の言うこと聞くんじゃないよ」と、しょっちゅう言っておられた。
なんでみんなあの頃の事を忘れてしまうんだろう。



特別企画 =妙法の万葉を紡ぐ=
「妙法の万葉集」(友岡雅弥氏の証言編)第12回(※印は弊社解説)

話はダーティーチームの事に戻りますが、彼らが寺のゴミ箱にから漁ってきたような内容を記事にすると、先生は生粋の江戸っ子ですから、「なんだ、あすこの坊主はこんな悪さをしているのか!会員がかわいそうじゃないか!」となるんですね。

坊主に虐められている会員を守りたいという先生の心を利用して、そうしたダーティーな記事を毎日、バンバンと先生の所に入れた。

この宗門座談会で矢継ぎ早に記事を書くと、先生が「丹治はすごいじゃないか!」と言われたのも事実です。

またその記事を長谷川さん(※当時は第一庶務室長、現在は理事長)が持ってきて、全国の婦人部に「宗門座談会を一番に読みなさい」と流してしまう。

これが当時の教団本部上層部の状況だったんです。

やがて丹治は天命尊徳新聞編集局長になるのですが、丹治が局長の時(2008年~2009年秋迄)は、僕は原稿を一枚も書かせてもらえなかったんです。

それまではよく“名字の言”を書かせて貰っていたんですがね、丹治局長の時は全然書かせてもらえなくなったんです。

ですが、ある意味、自分にとってラッキーだったけど。仕事しなくていいんですから。(笑)

そのぶん、ホームレスの方々とハンセン病の方々の支援を思う存分できましたし。

(※「丹治は優秀です」と先生に一番最初に報告したのは、長谷川重夫氏とともに中野冨美雄氏【副会長、第一庶務】で、この二人の尽力もあり丹治氏はこの時期に編集局長になれたともいえる)

(※丹治氏と中野氏は、ある時期、ある事で、完全に結託していたのを、京都乃鬼は知っている)


ま、それはそれでよかった。なぜなら僕は“名字の言”は大っ嫌いなんです。何故かというと最終チェックが長谷川さんだったから。(笑)

いつでも長谷川さんがイチャモンつけるんですよ。

「君の記事を見ていると、ボランティア活動が良いように見える。教団活動よりボランティア活動の方に会員を向けていく」とか
「君がやっている事は小善なんだよ!」と。

これで何回も首を切られそうになったことか分かりません。




特別企画 =妙法の万葉を紡ぐ=
「妙法の万葉集」(友岡雅弥氏の証言編)第13回(※印は弊社解説)

ま、そういことで、丹治という男は、宗門座談会を利用して先生を動かしたと言えるでしょうね。

先生は、本当に人が良すぎるぐらいに良い方なんですよ。

だからこう言うと誤解を招くかも知れませんが、先生はある意味では、側近幹部の育成に失敗したのかも知れませんね。

原島や山友なんかもそうですが、彼らは上手に先生の庶民感情や正義感につけ込んで、先生の全面的な信頼を勝ち取ったんです。

そして先生を騙し陥れた。当然ですが、先生は全く悪くない。
先生は真っ白な心なんです。だから直ぐに相手を信頼しちゃうんですよ。

ま、話を戻して、先程も言いましたが、先生が「宗門はこんなこともしていたのか!この記事を皆に見せなさい!」と言うと、

それを長谷川さんがこれを持ってきて、いろんな幹部に対して「丹治君の言うことを全部きくんだ!」とやるんです。

結局、丹治は単なる編集局長だけではなく、信濃町(※本部)の上の方にも君臨していましたね。佐藤浩とともにね。


例えば社説なんかに“平和”とか”人権“とか、誰か記者が書くと、何故か丹治に査問されるんです。

「それは、先生が宣伝のために使う言葉だ!先生は、平和とか人権とか大っ嫌いなんだ。
先生は弱い人間なんか大っ嫌いだよ!」というのが丹治の口癖であり信条だったからなんです。

なぜかといえば、先生は丹治個人に対して「負けてはいけない!もっと強く行くんだ!」と指導されていたんですね。

丹治への個人指導なのに、それを彼は曲解したのか、敢えて彼がそうしたのかは分かりませんがね(笑)

実はこのように先生の指導が曲解された例は頻繁にあるんです。

面白い話があります。

かつて先生から「百六箇抄」講義を受けて副会長になった一人に滝本さんと言う方がおられたんです。

京大を出て建築関係の仕事をして、統監も担当された事もあったんですが、

その滝本さんが定年になって、ご家族の一人の方がフィリピンに行くことになり、一緒に行く事の報告を先生と会食した席でされたんです。

そこには滝本さんの他に、西口さんたち方面幹部も同席していたんですが、滝本さんが「これからフィリピンに行って、無役職で、一会員としてやっていきます」と報告した。

すると先生は「滝本、えらいなー」と言ったあと、「フィリピンはいいなー、選挙がなくて。選挙は福運を消すんだよ」と仰った。

で、パッと西口さんの方を向かれて、当時少し心臓を病んでいた西口さんに、「お前は選挙を戦っていないから病気になるんだ」と言われた。

一見180度反対のことを言われた。これが先生なんです。

つまり、西口さんがやっていたのは、会員を集めて、号令かけて、票読みをして、分析するだけ。

しかし、先生が言われる西口さんがするべき選挙活動というのは、先生が昭和31年、32年にやった、自転車に乗って、バイクの後ろに乗って、一軒一軒、激励に回る。
それをやれということだったんですね。

 西口さんという人は選挙が大好きで、今までやりすぎるほど選挙をやり、選挙と財務でのし上がった人です。

その西口さんに「選挙をやれ!選挙を戦わなかったら病気になるよ」と言われたのは、
一人一人の所に行きなさいという意味だったんですね。

それを西口さんは関西へ戻って、県長会議で「選挙を戦わないと病気になる」と指導してしまった(笑)

それをまた婦人部幹部が広める。
全く違った意味で先生の言葉が利用されちゃう。
こういうことが頻繁にあったんですよ。


カルト教団の成立過程を創価本部から参考します。

2019-05-19 19:01:17 | 日記
"大御本尊決別問題の経緯 2016.2.23

 一昨年前より会員の知らぬところで始まった、「大御本尊決別問題」を、「遠藤文書」をもとに整理しておきましょう。

【問題の要約】
・執行部が大御本尊との決別を決定
・池田氏は、曖昧なままで良いとの意向。

流出文書広まる

師の意向を無視したと見られる執行部へ、会員から怒り噴出

ことの発端
 一昨年、学会執行部は池田名誉会長の健康問題のある中、生前に教義を改変する必要性があることで、それまで信仰の根本としてきた大石寺に厳護される、戒壇の大御本尊から決別をする画策を進めた。  そもそも、10数度に及ぶ会議によって大御本尊の意義変更を話し合っていること自体、名誉会長不在であったことを裏付けている。

2013年9月
「学会常住御本尊」の意義付けについて小委員会発足。
出席者 谷川事務総長、金沢組 織総局長、秋谷議長、八尋弁護士、森田康夫氏。教学部から遠藤総合教学部 長、森中教学部長、宮地 。

八尋弁護士 「多少の退転はやむを得ない。9割は付いてこれる」
秋谷議長 「弘安二年の御本尊については、南無妙法蓮華経の法体を文字曼荼羅に図顕された御本尊であるが、唯一絶対の御本 尊と大聖人が定められた証拠はない。」
谷川総長 「『出世の本懐』の意味だって変えればいいんだ。独立した教団なんだから、変えてもいいんだし、変えられるんだ。南無妙法蓮華経の御本尊を顕したことにすればいいんじやないか」
※発言時期は不明
2013年9月19日
大山第一庶務室長 「池田先生は全くそんなことを言われていない」「会長もそうした指導は受けていない」「こんなやり方をしていたら学会の信心も教学も崩れてしまう」と明言
2013年9月20日
長谷川本部長 「池田先生は大御本尊と決別するなどとは言っていない」「会長は嘘をついている」「御本尊では宗門と決別できない」「急いでやる必要など全くない」
2013年9月28日
教学部「総本部の御本尊と日蓮世界宗創価学会会憲の問題点」と題するレポート作成 「本門戒壇の大御本尊」と、総本部に安置される「創価学会常住御本尊」について、最高幹部の一部が、教義的な意義の変更を強硬に推し進めています。とはじまる、文書では、執行部の強行な教義改変が行われることに学会存亡の危機を訴える。
数ヵ月後、この文書がマスコミに流出。
2013年10月3日
原田会長 方針撤回
2014年7月
遠藤総合教学部長へ漏洩にともなう査問。 遠藤氏からは、執行部へパワハラ問題、教義改変についての質問状が出される。(のちに流出する「遠藤文書」参照)
2014年8月
月刊誌2誌にこの内容が掲載される。
直後から、この文書「教学部レポート」が学会員によって、ネットを通じて配信される。
2014年11月8日
原田会長 聖教新聞で「大御本尊を受持しない」を発表。
15年1月29・30日
「本門の本尊」としては、「弘安2年(1279年)の御本尊」も含まれるが、それのみが「本門の本尊」だとするものではない。
と寄り戻すかのような曖昧な教義解説を、聖教新聞に掲載。
※解説は、教学部名で掲載されたが、他の者(部署)が作成したことは明らかである。
2015年2月
遠藤総合教学部長が執行部へ提出した「遠藤文書」が配信される。
遠藤氏はその後、解任される。
教学部レポートとは

この文書は、会議に参加していた教学部・宮路氏が作成、流出したもの。 執行部の強行な教義変更により、池田先生がすべての矢面になりかねない。会員に混乱を及ぼすとした内容で、会内へ警告を発している。

______引用(抜粋)______
御本尊の教義変更がもたらす影響  
まず教義変更についてですが、総本部に安置される「学会常住御本尊」は日昇法主による「戒壇の大御本尊」の書写、国内外の会員が日夜拝している御形本御本尊は日寛上人による「戒壇の大御本尊」の書写です。本質次元においては、「戒壇の大御本尊」も、書写された御本尊も、南無妙法蓮華経という同じ法体が顕現したものであり、同質・平等と言えます。しかし、書写された御本尊には、「之を書写し奉る」と明記されており。 「戒壇の大御本尊」を必要以上に否定すれば、書写された御本尊自体の存在根拠が不安定化しかねません。会員が日夜拝している御本尊の根拠が揺らげば、会員の信仰が動揺してしまいます。

小委員会の結論は、次のような方向で確定していたのです。
1.「戒壇の大御本尊」は、もはや謗法の宗門の本尊であり、功力もなく、学会とは何の関わりもない。その意味を否定しておかねばならない。

2. 総本部こそ世界広布の根本・中心であり、そこに安置される「創価学会常住御本尊」こそが「戒壇の大御本尊」に変わる新たな「大御本尊」である。
______引用終わり______

遠藤文書とは

この文書は、教学部レポートが流出したことを受けて、遠藤総合教学部長が執行部へ、昨年7月、質問状として提出したものと思われる。以下は、その文書を抜粋したものである。

______引用(抜粋)______

(大御本尊決別について)池田名誉会長は、  「そこまでする必要があるのか。今は事件を起こしていくというのは小さい考え方だ。もう少し流れの様子を見ていきなさい」と明快に御指導されています。

「戒壇の大御本尊とは決別する」「学会常住の御本尊を大御本尊と位置付ける」と池田先生から御指導を受けたという原田会長の発言について、昨年の9月19日、大山第一庶務室長は、「池田先生は全くそんなことを言われていない」「会長もそうした指導は受けていない」「こんなやり方をしていたら学会の信心も教学も崩れてしまう」と明言されました。  また翌20日、長谷川本部長は、「池田先生は大御本尊と決別するなどとは言っていない」「会長は嘘をついている」「御本尊では宗門と決別できない」「急いでやる必要など全くない」と確言されました。  

(宮地から流出したレポートの責任追及)  漏洩騒ぎの際には、調査委員会から、私のコンピューターと携帯電話が一方的に取り上げられました。再三、不当性を訴えたにもかかわらず、今に至るまで返答がありません。職員の就業規則に背く越権行為であると考えますがいかがでしょうか。

(執行部に対して)  
日寛上人の教学を根本としてきた戸田先生以来の伝統の学会から離反する「分派活動」ではないでしょうか。

お教えください。
 創価学会は、いついかなるときも「池田先生が基準」なのではないでしょうか。 「そうでない」と言うなら、会長の意図に従わず、阻止しようとした私どもは「分派活動」となるのでしょう。 「そうである。池田先生が基準である」と言うなら、池田先生の御指示でない教義変更を強要した方が「分派活動」をなされたことになります。だからこそ「内容次第」なのです。  

 反対に、会長の指示が御書と三代会長の指導と異なっているにもかかわらず、関係者の再三の指摘にも耳を貸さず、強行するのであれば、それこそ大切な多くの会員を自らの「仏法違背の道」に巻き込み、道連れにしていく「分派活動」に他なりません。そうではないでしょうか。

今回行われようとした教義改変は明らかな誤りです。
こうした暴挙の阻止のため、同憂の士が集まることは、御言に照らし、道理に照らして、正義であります。

 学会の原理原則にかかわるこの問いに答えず、沈黙したまま、「処分」を強行されるのであれば、それは会長みずから率先して「師弟の道から逸脱している」姿ではないでしょうか。それ自体が、私どもの行動の正しさを強く「裏づけ」「実証」してくださることになるのではないかと考えます。

「これは先生の明確な御指示」という言は真実なのでしょうか
このように、問題の要点は「振出し」に戻ります。
「池田先生は、大御本尊との決別を大前提とされていた」のか否か?
「今、大御本尊と決別することが先生の明確な御意思であった」のか否か?
この「内容」こそが、最重要のポイントです。

そもそも今回の教義改変の画策は、当会の意思決定のルールから逸脱したものではないでしょうか。
第1に、学会の未来を決する重要事でありながら、永遠の指導者である池田先生に、最終盤に至るまで、決裁を仰ぐ「報告書」すら提出していない。
第2に、執行部の合議を経ずに、独断専行的に決めようとした。
第3に、小委員会を推進派で固め、密室で協議を進めた。
第4に、教学部に対し、従来の教学とまったく整合性のとれない教義改変を強要した。
第5に、その際、「恫喝」まがいの荒々しい言動が繰り返された。
第6に、全てが池田先生の御意思であるかのように印象づけ、日本とSGI各国の首脳たちの意見を出しにくくさせた。
第7に、責任役員会の際、事前に根回しした一部の人間に示威的な言動をさせるなどの不明朗な策略を巡らした。九州の山本氏、北海道の浜名氏から直接うかがっています。
これらがルールの逸脱でなくてなんでありましようか。

私も65歳になろうとしています。もはや地位も立場も何も惜しくはありません。むしろ「我身命を愛せず但無上道を惜しむ」との法華経の経文を、かつてない実感をもって拝せることに無上の喜びを感じております。憂えるのは、ただ学会の将来であり、「池田先生第一」で生きている真面目な後輩たちの活躍の道を閉ざしたくないという一心で、申し上げました。その真情に免じて、数々の無礼の言、ご容赦を賜りますように。そして、大慈大悲をもってこれらの疑問に答えてくださいますよう、重ねてお願い申し上げます。

2014 年7 月17 日  遠藤 拝

______引用終わり______

※()内は当方の加筆です。

この文書は日増しに拡大を見せている状況だが、 執行部への擁護の声は無く、 執行部を裏切り者扱いする批判が相次いでいる。"