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宮川日護僧侶の日蓮大聖人型 大石寺、創価学会の歴史的真実。

2019-07-02 00:35:29 | 日記
"喜びの日々、

友来たる、

「 信心強盛にして、

唯余念なく、

南無妙法蓮華経と

唱え奉れば、

凡身即仏身なり。

是れを、

天真独朗の即身成仏と名づく

」( 本因妙抄 872頁 )

日々、瞬間瞬間、時事刻々、

時は流れ、時は過ぎる、

その先に永遠もある。

私の日々、瞬間瞬間は、身震いする程の、大歓喜と感謝の瞬間瞬間である。

フェイスブックの私の表題にも掲げさせて頂いている、

「 一切衆生、南無妙法蓮華経と唱うるよりほかの遊楽なきなり 」

との

恩師 日蓮大聖人の仰せを

凡愚凡身に感じさせて頂く

日々である。

昭和28年4月5日、
福岡は久留米に生を受け、

昭和56年4月5日、
日蓮正宗僧侶として出家した。

平成2年暮れから起こった
宗門による不当な池田先生の信徒除名処分、

そして、800万の信徒を擁する創価学会の破門と言う理不尽な第二次宗門事件勃発により、

平成4年2月2日、
工藤玄英氏、大橋正淳氏、など6名の僧侶と共に、

謗法と化した日蓮正宗総本山 大石寺を離山、

池田先生率いる創価学会擁護の立場をとった。

1).
創価学会を辞めて、日蓮正宗法華講に所属しなければ、御本尊を下附しない。

2).
創価学会を辞めて、日蓮正宗法華講に所属しなければ、
葬儀、法事を執行しない。

3).
創価学会を辞めて、日蓮正宗法華講に所属しなければ、
日蓮大聖人の信心の血脈は途切れ謗法となる。

以上3つにより、創価学会を脱会して、日蓮正宗法華講に所属する会員が続出した。

一支部丸ごとの創価学会脱会や離島8割の創価学会脱会、

大幹部、公明党元幹部や市議の脱会が相次ぐ。

法華講員や日蓮正宗僧侶に依る創価学会員の脱会勧誘に、対して、

創価学会は、逆に脱会者やグレー会員を訪問。

脱会者を改心させ法華講から脱講させる脱講運動を開始。

更に、脱会者だけでなく
元々の法華講員を法華講から脱講させたり、

創価学会を誹謗中傷する日蓮正宗寺院を訪問しての僧侶対論。

更に、寺院や僧侶自身を日蓮正宗から離脱又は離山される離脱作戦を敢行した。

法華講から脱講を決意させると脱講届と言う書類を書かせ、所属する寺宛に郵送(控えは保存)。

池田先生は、脱講の戦いは折伏の10倍、100倍の戦いであると称賛。

我々、最初の7名の僧侶離山から、10名、20名と僧侶の日蓮正宗からの離山が続き、

日蓮正宗改革同盟に次いで、
憂宗護法同盟、
所化による青年僧侶改革同盟などが結成される。

通称「 離脱僧侶 」の活動は、脱会者の多い支部からの要請で、その支部入り、

関係の深い、いわゆる「 紹介者 」と共に脱会者宅を訪問、

基本的には、事前に話を聞くと言う約束を取り付けて貰う。

更には「 宗門研修 」と言われる活動で、会館に集めた会員に「 宗門の実態を暴く 」と言う題材で、講演する。

私は法主である日顕の奥番( 身の回りの世話役 )であったこともあり、講演依頼は他の僧侶の比ではなく、

講演終了後に脱会者や法華講の参加者があれば、個人的に会い脱講を決意させた。

紹介者を通しての組織要請の脱講でも、必ず成果を出しており、

宮川が入れば必ず脱講が出来ると言われる程の戦いをした。

又、個人の脱講活動も人間関係のギクシャクした会員と訪問しても、心を閉ざす脱会者が多い為、後日、私一人で再度訪問、

背広ではなく、袈裟衣を着ていく為に7割以上の脱会者が話を聞き、5割の脱会者が、脱講をした。

中には、自分を法華講に誘ってくれた講頭や、
寺の住職と話をして欲しいと言う脱会者もおり、

渡に舟とばかり、寺院住職や幹部を脱会者の案内で訪問して破折した。

又、葬儀や法事に、僧侶が来ないと言うのが脱会の理由であれば、私が無償で執り行う約束をして、脱講を決意させた。

改革同盟僧侶と言っても、色んな種類の僧侶がおり、

1).
全く、何もしない坊さん、

2).
脱会をさせない為に、葬儀法事を専門に執行する坊さん、

3).
紹介者との訪問はするが、個人活動や寺院住職との法論からは逃げる平均レベルな改革僧侶。

であり、私はほぼ、月の内25日は、宗門研修、紹介者を伴う脱講活動、個人脱講、寺院破折に費やしていた。

私の個人脱講数2000人、
寺院訪問(破折数)述べ300か寺は、比類なき成果である。

そんな中、現役副会長であり、創価学会CIA機関とも言われる連絡局局長の竹入氏が、

兄である元公明党委員長の義勝氏と共に、親戚である日蓮正宗僧侶を通して、

創価学会を脱会して、法華講に入りたいが受け入れてくれるか、と、

当時日蓮正宗の陰の猊下と言われていた河辺慈篤氏に依頼していた事実を、
明確な証拠と共に入手した、

又、前会長の秋谷氏が、名誉会長となり、現法主退座の後、手打ち式を行い、再び、大石寺と創価学会が和合する旨、

日蓮正宗の次期法主と秋谷氏との間で取り決められた念書を見せて貰った等、

情報を入手し、

2007年( 平成19年 )
10月16日の僧俗協議会の席上、

竹入、秋谷両名の名前は伏せて、

「 このような、明らかな事実を日蓮正宗僧侶及び法華講幹部から聞いた。

今後、このまま、脱講活動を、続けて良いのか、

それとも、日蓮正宗と和合する戦法に切り替えるのか」を、
全員の前で会長の原田氏に質問した。

原田氏は、左右の幹部と小声で話し合った後、

「 そのまま、脱講を続けて下さい 」と答えた。

翌、2008年( 平成20年 )
1月22日、同じく会長、理事長、大幹部及び改革僧侶の前で、会長の原田氏に、

1984年( 昭和59年 )1月2日に、日蓮正宗法主が、池田先生の総講頭辞任を取り消し、総講頭復帰を決定したのに、

創価学会は、その後24年間も、池田先生の会長復帰を
決定しないのかと、質問。

その夜、庶務局次長の石井氏より電話、「 何故、あんな質問をしたのか?取り返しのつかない質問だ。守り切れない 」との内容。

同年、本部幹部会の席上、壇上の池田先生に向かい、

「 断じて、日顕宗を根絶やしにします!」と誓いを発表する。

先生は即座に、

「 そうだ!その通りだ!」

そして、側近の幹部に、

「 記念撮影してあげて、」
と。

終了後、坊さんだけの撮影会になり、既に亡くなった坊さんが、私に聞こえるように、

「 早く帰りてぇのに、余計な事言って 」と。

坊さん全員無言、

ただでさえ、陰気臭い生命力ゼロの坊さんが多いのに、

益々暗い坊主の撮影会であった。

同年、11月2日に、学会本部ではなく、人里離れた長野県木曽の木曽会館に呼び出され、

張本人の連絡局長、竹入氏、
連絡局次長、芝田氏、
同局員、一箭( いちやなぎ )氏

儀典局長、和田氏、
局次長、石井氏、
局員、鈴木氏、

6人による査問。

罪状は、
1).
脱講した会員を学会に戻さず、自分直属の信徒にした。

2).
出処不明の文書を以て、組織を撹乱した。

3).
1996年6月にマイアミのフロリダ研修道場で、先生から直接戴いた池田先生のお顔が入ったメダルは、無数にあるのに、3つしか存在しないと嘘をついた。

よって、自宅謹慎せよ。

脱講もしてはならない!

と言うものであった。

ともかく、

竹入、秋谷の謀略が、先生に知れる事を恐れて、

長野県の山奥での査問、

先生とお会いする本部幹部会への出席停止と言う奴らの目的は達成した。

しかし、私が更に激しく抗議し、

各方面長宛に書面を出すので、仕方なく百パーセント正当な、金銭授受を横領などとデッチ上げた。

御用新聞で喧伝。
更にコピーして配布。

名誉毀損、業務妨害も甚だしいやり口である。

日蓮大聖人の正法弘通の精神を捨て去り謗法と化した
日蓮正宗からは、憎まれ、

絶対平和、
慈悲、平等、反戦、反権力の思想を存在理由に掲げ、

化儀の広宣流布を目指す、
我が師匠、池田大作博士に反逆する

五老僧の末裔、
原田学会信濃教からは、
悪口罵詈され、杖で打たれ、刀で斬られ、処を追われ、

日蓮大聖人の億兆分の一、
迫害を受けさせて頂いて十年、

漸く、生きる事自体が幸せである。

「 難こそ誉れ 」との境涯に至らせて戴いた。

一切衆生、南無妙法蓮華経と唱うるよりほかの遊楽なきなり、

常楽我浄の人生を歩ませていただける境涯に至らせて戴いた。

ご本尊様、先生、同志の方々への感謝は勿論、

迫害してくれた方々へも
感謝する昨今である。"


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