「木曽路行きていざ年寄らん秋独り」(与謝野蕪村)
紅葉の山路を歩いていると、想像して描いています。
色紙に描いているので、やはり描き込み過ぎてしまいました。
ご覧いただきありがとうございました。
「木曽路行きていざ年寄らん秋独り」(与謝野蕪村)
紅葉の山路を歩いていると、想像して描いています。
色紙に描いているので、やはり描き込み過ぎてしまいました。
ご覧いただきありがとうございました。
立冬に入り、短い秋はあっという間に過ぎてしまうみたいです。
「砂の如き雲流れゆく朝の秋」(正岡子規)
紅葉の山を見に行きたいと思うものの、なかなか行く事ができないので絵に描いてみました。
いつか見た、山の朝の清々しい空気を吸っている自分を想像して…
ご覧いただきありがとうございました。
「露の世は露の世ながらさりながら」(小林一茶)
黄金色の稲田のあぜに、ポツポツと咲いている露草。奥ゆかしい青色が綺麗です。
今日もご覧いただきありがとうございました。
「新しい南画と俳画の描き方」 (直原玉青 著)
以下本文より一部掲載
南画は漢詩の影響が大きく預かっているが、日本の詩歌である俳句の影響を受けて生まれた俳画は、文人画といわれる南画の一部と思って良いだろう。
ただ南画はその人の深い思想や創作情熱によっては積極的に重量感や大作を作り出すことも、また小品に止めることも自由であるが、俳画は十七文字の短詩型ー即ち俳句からくる省略の世界にのみ心をおいているので、南画とは一にしてニであることを承知していただきたい。
東洋画の描線は迷いのない線であることが大切
安心して筆を下ろせるだけの準備をしておく
♦︎写生によって物の真をよく知っておく
♦︎構図に塾考を重ねて意中にその組立てを完成しておくこと
♦︎大胆に迷いのない心で描くこと(心の中に詩)
♦︎句を冠すると否とにかかわらず、字の上手・下手もなく、画の巧・不巧を問わずすべて俳画は俳人の心の画なるべし
(中略)
自然をよく観て幾度も自ら描くことにより、いよいよ自悟の境に進むものである。既に自悟すれば筆法も画法もない、密にも粗にも自在に思うままに、ますます精進されて深い画の世界に至られんことを祈って、この稿の終わりとします。
あとがき
道は一つである。もし神があるとすれば、それは宇宙の摂理であり、大自然に流動する生命であろう。
人はその真実に触れ、その生命に帰一して永遠の生命を把握しようとする。
それが宗教であり、芸術でもなかろうか。
(中略)
以上
図書館でお借りした、かなり経年劣化の激しい本です。なので表紙の画像は載せていません。
著者の直原玉青画伯は、俳人、禅僧でもありました。
画伯は、絵や俳句を通して、禅の道を歩んだ方。
未熟者の私には、とても自悟などできそうもありませんが、備忘録として残しておきたいと思います。
固い文章ばかりになってしまったので、以前描いた、猫のオルゴール(かなり美化してます💦)ハガキ絵です。
本画仙ハガキ
ご覧いただきありがとうございました。