何時もより少し遅くウオーキングを5時頃開始、泊まっている孫はスヤスヤと寝ている、そ~と起こさないように出発、ほんの少し風は冷たいが清々しい空気であった。与謝の海病院でUターンし帰路に着くと、東の空から水平線を太陽が上がっていく寸前だった。
これが真っ赤で何時もより大きく、直視しても眩しくない状態、その時の空気の状態からそのように見えるのだろう。しばらくしたらグーと見る間に上昇していき、ギラギラと直視出来ない輝きを取り戻していった。
太古の昔より、続く営みかもしれない、神秘的な瞬間であった。感動の一瞬、
帰路の道すがら見るとまた、踊り子草の大群生が田んぼの畦道などに見られた。沢山群生していると、みごとである、その時ふと思ったのだが、子供の頃田んぼで見た蓮華草が全く見られないのはなぜか、ものすごい数のレンゲの花が咲いていて、女の子たちは器用に編んで首飾りやら、腕飾を造って遊んでいた。
米の収穫が終わると、確かお百姓さん達は蓮華の花を植えてそれを肥料にして田を育てたと聞いた覚えがある、いまはそんなことをせずに肥料とか農薬等がコストのめんでも労力でも素早いことから変わっていったのかも、田植えも機械で、稲刈りも機械で、家族揃って収穫、田植えなどの風景も無くなり、レンゲの花もなくなっていったのかも、
小川でよく見たフナ等小魚やヤゴ、ホタルなども激減、あるいは滅んでいった。生活が便利になったが、大事なものをどこか置き忘れてきたのではと思う。
社会で今信じられないような悲惨な事件が数多く起こるのも根っこの所でこうした背景があるのかもしれない、原発での問題もどこかつながっていそうだ。テレビで三丁目の夕日を見た、あのセピアに染まったような風景はもう見れないのかも、
ALWAYS