天下太平のやせ我慢日記

近くの孫達
男の子は中二で受験戦争を控えその下は修学旅行で胸躍らせ、一番下は苦労しましたが3年生、ピアノを習い始めた

リムジン?

2005年04月21日 | Weblog
 一昨日本社社長から昼間も仕事の依頼あり、
リムジンでの客の送迎と草むしりとか、できるときだけで良いならと返事するも、
昨日の夜警の時支配人より依頼受ける
 祭りあけから練習する羽目になる。
いろいろ娘のことやら孫のこと家のこと、体調のことなどあるが全くノーとは言えず、
少しだけならやってみるか、

 どうせやるなら、前向きに考える。

良いように考える、ツキを読み込むためにも

孫と再会

2005年04月20日 | Weblog
 十時前に乳児院に行き、勇輝、葵、夢佳3兄妹と再会、当初はぎこちなくもうち解けて色々話す。短い1時間くらいの間であるが、前回よりうち解けた感じ、夢佳はなかなか私や娘を忘れたか保母さんから離れようとせず、離れると泣き叫ぶ、でも何度かのうち私にはうち解けてきた。

 でもすぐ別れの時がきた。帰るとき勇輝は玄関の角の方で横を向きじっとこらえている感じだ。
男の子だなあ、と思う瞬間、
 中では大事にして貰っているため楽しそうでイヤではないようだが、やはり心の中では感じるものがあるのだろう。
でも、子供たちより、君たちがここで過ごした時間は必ず君たちの人生にとってプラスとして帰ってくるだろう。
 規則正しい生活、寝食を共にしたとも、親や家族と別れて暮らす寂しさ、そしてともとの楽しい遊び、いろいろ学べ、強く育て、

 君たちの人生に幸あれ、
強く祈る。
そして断腸の思いで乳児院を後にした。

 

悠翔まだ帰還せず

2005年04月18日 | Weblog
昨日かえる予定が連絡もなくまだ帰らず、
剛はどういうつもりか責任感があまりないようだ。地区のことも真剣にしなければという気もないようだし、
 家へ入れる負担金もなかなかぐずって入れない。車も二台も持ちどういうつもりかもしれないし
ヤスアキの連帯保証人にでもなっているのかも知れない。


 安田建設の社長より電話で日勤のホテルのお客送迎の手伝いもできないかという。
私の場合その日その日にならなければその日の予定が立たないので、
というとその日連絡するからということだがーーーーー

 あまり年なので無理はしたくないがーーーーーー

お客の送迎はあのリムジンとかでするようだが、------

いろいろ考える日々

感激の対面

2005年04月12日 | Weblog
 勇輝、葵、夢佳を娘と訪ねた。夢佳はまだインフルエンザが治ってないようだ。
勇輝、葵は乳児院の仲間と何とかうまくやっているようで、辛いとか、そんな感じは感じられなかった
 折り紙したり、砂場で遊んだりいろいろしていて、保母さんたちにも気に入って貰っているよう樽
 お母さんが元気になるまでもう少しまってね。といって別れた。

 大宮保育所にも電話する。布団が預けてあるし、スモックは借りたままなので、状況報告やらかねて電話すると六月一杯までと聞いているので、それまで大丈夫ですという返事、

 次の木曜日娘の通院日であり、国病に精神病患者の法律32条の国庫補助について、問い合わせのメールする。

 この木曜日にはほかのようもあり、娘と朝から出かける予定。

少し肌寒く

2005年04月11日 | Weblog
 一転して肌寒い日である。夜勤あけて帰宅しすぐゴミ出し日のためたくさんの生ゴミ、資源ゴミなど車に積んで捨てに行く、

 その後少し朝ご飯食べて、いったん朝寝、この場合朝寝というのかどうか、夜勤か仕事なので、

昨夜の拳固めは剛が滑り込みで帰ってきたので彼に出席たのんだ、初めて自治会関係を交代した。

少しでも責任を持たせることが大事だし、
今日はお米がないので大宮の激安に行き30キロ1万円弱で買いに行き娘のところにも少しよってくるつもり、

  。


悠翔奈良へGO

2005年04月09日 | Weblog
剛は優歌、悠翔つれて奈良へいく、暫くは寂しくなる。娘の状況も気になる。今日は歩いてにしぎきまで行き甘いものを買ってきたとメールあり、にしがきは大宮のうちからかなり遠いはず、
少しダイエットしなければと思うが、食べることにストレスを解放しているようだ。

 三人の孫(娘の子)は施設に預けたままで心配である。宏次君はあまり気にしないのだろうか。


 何年かしたら子供を大きくなり自分もまだまだ若いのだから、必ず自分の立場が強くなり、やがて家庭をリードできるようになるだろう。それまで辛抱

桜はツボミ

2005年04月08日 | Weblog
 テレビで桜の開花が聞かれまずが、毎年美しい隣の桜はまだ堅いつぼみです、しかしこのところの気温の上昇もあり、暫くしたら開花するでしょう、
ふつうの桜とともに隣には小さいがしだれ桜もあり、こちらはさらに遅咲きのため暫くは借景が楽しめそう。
 娘の状態がきになるので時間作り少し見に行く予定なり、
一番の心配が可愛い孫たちだが、考えれば考えるほど辛くなる。でも何とか新しい友達とワイワイガヤガヤとやっているのかもしれない。
 親はなくても子は育つ、ただ育ち方が気になると言えば気になるのだが、でも素直なよい子ばかりだ。
 来週娘がその気になれば孫を一緒に見に行きたいが、まだはっきりしない。

 今日は小雨模様もよう、暖かいのだが、天候は下り坂か、本日は夜勤なり、

娘の免許講習につきあう

2005年04月07日 | Weblog
 入院のため、失効していた免許の交付に昨日峰山署に申請し本日講習の後無事交付された。
私は業務センターにて買い物しながら講習の間これを待つ、

 孫たち三人がいないので大宮のうちは火が消えたような静けさで寂しい限りだ。
早く孫を引き取ってほしい、
 親の責任ということもあるがそれ以上に娘の心の癒しということにおいても孫は必要だ。

 
 ただ少しでも早く孫を引き取ってほしいのだが、

ついに退院

2005年04月05日 | Weblog
めでたく退院か?
何とか退院にこぎ着けた、本人の退院の期待が高く先生も苦笑いしながら了承

 後のバックアップなど周囲の責任は重大だ、

 今日は予報では最高温度20度になり明日以降も暖かくなるとか、しかし朝は放射冷却か冷え込んでいた。車のフロントガラスも夜勤明けで帰宅のため車に乗り込もうとすると真っ白に凍てついていた。

退院にむけて、

2005年04月04日 | Weblog
 アポの行き違いがあり、本日の面談予定が大見先生に伝わってなく、大幅に2時の予定をすぎた。
しかし何とか明日退院の運び、
 しかし、まだ病気は完全回復とはならず、薬の服用はもちろん、通院もしばらく続けていく必要がある。
 孫も暫く乳児院に預けておいて、体調の回復を待ち引き取ることにしているようだ。
その時期などの判断は野村家に任すしかない。

 そのときがきたら私なりにバックアップしてやりたい。

全ては明日に、

2005年04月03日 | Weblog

明日2時より、大見先生と宏次君と里砂と私の4人で今後〔退院後の生活〕など打ち合わせすることになった。
 里砂も会うと退院の話ばかりして楽しみにしているようだ。ただ退院してもこちらが随分気配りして助けてやら無いと元の木阿弥イヤ失敗すると絶望感が更にまし深刻な状態もありうるのだ。

 早く快復し孫たち3人も受けだして幸せな人生を歩んでほしい、親と同じような状況に陥ろうとしている。このままではいったい私のしてきたことはなんだったのか、全て振り出しに戻ったようで、
それだけはなんとしても避けたいと思う。

勇輝と葵

2005年04月02日 | Weblog
 今度は勇輝と葵の二人までも、乳児院に預ける羽目に、心配で心配で気になる。
午後乳児院に電話、保母さんとかにお聞きすると二人元気で砂場とかで兄妹遊んでいて友達とも仲良くしているとのこと、事情を理解しているようで、宏次君が帰るとき二人によく言い聞かせていたのとのこと、
 心配ではあるが、施設は信頼できる物であるし、保母さんもボランテイァ精神あふれいい人ばかりに見えたので安心、
 早く娘が快復し一緒に暮らせるよう祈るばかり、