うんち・おならで例える原発解説~「おなかがいたくなった原発くん」
縄手振り(葵祭・籠神社
近く当地方に古より伝わる御祭が4月4日開催されます。古き伝統を重んじて籠神社の前で3地区の順番で太刀ふりが開催、また、神楽、等朝からに賑やかに模様されます是非ご覧ください。
また、おいでの節はぜひhttp://twitter.com/#!/HashidateBay お勧めいたします。
スタッフが親切で気持ちがいいお勧めのホテルですよ、♡
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紹介状持って丹後中央病院に行った。沢山の患者さんが待合室に、その中の一人になった。かつて病院に患者としてより付き添いなどで何度も言ったが、お年寄りが沢山いて
これでは日本の医療は?なんて思ったものだが、自らがその一群に加わることになった。周りを観てその中にうまく溶け込んでいる自分がいることに少し衝撃、
俺は若いんだなんて思っていても世間ではそうは観てくれない。年相応の姿になっていく。
しかしウルマンの詩のごとく、青春とは人生のある期間を言うのではない。心のありさまをいう、・・・・・なんて強がりを言っている。
我が家に鉢植えしている、青年の木、ユッカは大きくなりすぎ3本にのこぎりで切り分けてから数年たつが何れも青々とし多少水やりを忘れても元気そのもの
恐るべし生命力をもっている。我が家の劣悪な環境でもキリリとした姿で私を見下ろしているのだ、、恐れいいりました。
昨夜金八先生4時間スペシャル観た、本当に感動する。武田鉄矢の涙は演技以上のもの、すごい迫力を感じた。
また歴代の出演者たち特に30年も前に出ていた。出演者が様相があまりにも変わり果てていて、当時を思い出すのを苦労した。
このとき一瞬愛読したサミエルウルマン? うろ覚えだが彼の詩に歳月は人にしわを増すが、希望、を捨てない限りひとは老いない、、、。思い出した。
ネットで検索してみよう
青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く 人は自信と共に若く 希望ある限り若く |
疑惑と共に老ゆる 恐怖と共に老ゆる 失望と共に老い朽ちる |
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。
一部省略また、訳者により、多少の変化はあるようだ。しかし、この詩に感動した昔思い出す。
ブログデザイン一新した
夢佳ら3人の孫と母親の通院に舞鶴へ向かう。夢佳、唇と歯茎がはれていて葵の足が当ったとか、よく寝ているときそんな光景観ていたのでそんなたぐいと思っていた。
本人は歯医者に連れて行けというので観てみると上唇が切れていて歯医者では駄目だと思って暫く様子見のつもりでいたが、乳児院の岡野さんから☎があり、色々やり取りの結果、峰山の口腔外科(カブトク外科)を紹介してもらい、4月1日午前11時半を予約してもらった。
退院したのに乳児院の先生には実に親切にしていただき恐縮の限り、
口の中のこと、7歳前の子なので診察できるだろうか、とりあえず来月1日口腔外科へ、
園児達は最後に一人一人自分の言葉で、来てくれた両親や祖父母などに感謝の言葉を述べた、みな大粒の涙を流して、
7歳の子供がこんなに感傷的に感情を表すとは、、。夢佳もお母さん、おじいちゃん来てくれてありがとうの泣きながら言った。
全ての苦労が氷解した。元気をもらった私たちこそありがとうと心でつぶやいた。
http://www.youtube.com/watch?v=LUYyF_Gnjwc
デジブック 『卒園式 』
幼稚園の一年とハイハイの時から約7年も乳児院で過ごした夢佳も園卒業と同時に親とすごすことになりました。沢山の思い出が詰まっています。
思いを馳せれば、辛かったこと、悲しかったこと、そして友たちとの楽しい思い出、一杯詰まった園での思い出、きっとここでの経験から大切な事をつかんでくれたでしょう。
システムに障害発生らしい、
まあ、みずほのような損害が発生したわけでなく、期間も短い、回復を待つとしょう。
高校野球始まる。鳴りものは、なしで粛々と開催。選手宣誓も被災地の仲間達に配慮したものであった。しかし、このような球児のメッセージに感動したのは
私だけではあるまい。どこかのプロ球団とは違い、遥かに気高く、高貴なものだ、ガンバレ、君達に勇気づけられるものは多いだろう。