昨日9月19日は「苗字の日」で、明治3年9月19日に
吾々平民も苗字を持てるようになった日なのだそうな。
明治3年は西暦では1870年だから、今から154年前。
そうかぁ、吾が苗字歴は高々154年なんだなぁ(笑)
昨日が「苗字の日」であることは、情報番組で知ったの
だが、それより次の蘊蓄(うんちく)が新鮮だった。
「2531年には日本人全員の苗字が佐藤になる」という
計算の話。
これは昨年4月に、東北大学の吉田浩教授が試算した
もので、苗字のバリエーションは徐々に減少し続けて、
いずれそうなる、というものだ。
言われてみれば目から鱗で、朝から笑えたのだった。
実は私の苗字は「あいざわ」ではなく、全国で4.900人、
順位では2.743番目の少ない苗字だから、実感として
吉田教授の試算に納得感があるのである。
で、頭に浮かんだのは・・・。
選択的夫婦別姓制度を設けないと、吉田教授の試算に
近い頃に、「みんな佐藤になる」こと。
なるほど!自由民主党って、それが目的なのか(嗤)
さて、実は、ここからが本論である。
私が小学生の頃、教室の後ろの壁には日本の歴史の
巻物のような紙が横にずら~っと貼られていた。
昭和40年前後頃のことだから、大正・昭和の部分は
短くて、江戸と明治の部分が矢鱈と横長だったのだ。
その明治時代から吾が国は劇的に変化した。
その一つが、平民も苗字を持つことになった、ということ。
現在67歳の私が生まれる高々87年前のことである。
それの、いったい何が、保守と自負する莫迦どもの心を
滾(たぎ)らせるのかが不思議なのである。
彼らの言う伝統とは、全て明治からの発想である。
つまり、明治莫迦が現在の莫迦右翼・莫迦保守なのだ。
もう一つ言えることは、莫迦右翼と莫迦保守は宗教に
脳が支配されていることだ。
愚かなことに、その宗教とは殆どが1945年後に雨後の
竹の子みたいに湧いてきた新興宗教なのである。
だから、「伝統」などと恥ずかしくて口に出せない程度の
教えに支配されている幼稚なものなのである。
統一教会から殺されるなぁ(笑)
ちなみに、短歌が生き甲斐の私にとっての9月19日は
正岡子規が32歳で亡くなった「糸瓜忌」である。
子規は俳句革新の後に短歌革新も行った。
伊藤佐千夫・斎藤茂吉は、子規ルーツ(写生・写実)の
歌人なのである。
くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに
春雨のふる 子 規
池水は濁りににごり藤なみの影もうつらず
雨ふりしきる 佐千夫
沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に
雨ふりそそぐ 茂 吉