昨日は、終末について、書かせていただきました。
終末というと、何か恐ろしい、この世の終わりというイメージがありますが、私は、そうとは思いません、
聖書では、終末にイエスが再臨し、この世は終わり、新しい世が始まることになっています。
また、空海も、弥勒と共に、釈迦入滅後、56億7000万年後に、かえって来ると、宣言しています。
この途方もない数字は、解釈が困難で荒唐無稽とも言われていますが、
1日を24×60×60とするという説もあり、
あくまで、私の見方ですが、イエスの再臨と同じ事を表しているのでは?と見ています。(弥勒、ミレー、マイトレイヤー、救世主)
つまり、終末論は、救済論であり、極めて明るい側面を持つています、
ただし、万歳と手放しに喜んでいられないのも、確かだと、思います。
それは、人類一人一人が自らを、省みて、神に立ち返る必要があるというのです。
具体的に言うと、エゴから愛への転換です。
自己愛、から公の愛、他者への愛への変換
もっともっと広く言うと大自然への、大宇宙への愛と調和、
自己昇華が必要とされるのではないでしょうか???
終末というと、何か恐ろしい、この世の終わりというイメージがありますが、私は、そうとは思いません、
聖書では、終末にイエスが再臨し、この世は終わり、新しい世が始まることになっています。
また、空海も、弥勒と共に、釈迦入滅後、56億7000万年後に、かえって来ると、宣言しています。
この途方もない数字は、解釈が困難で荒唐無稽とも言われていますが、
1日を24×60×60とするという説もあり、
あくまで、私の見方ですが、イエスの再臨と同じ事を表しているのでは?と見ています。(弥勒、ミレー、マイトレイヤー、救世主)
つまり、終末論は、救済論であり、極めて明るい側面を持つています、
ただし、万歳と手放しに喜んでいられないのも、確かだと、思います。
それは、人類一人一人が自らを、省みて、神に立ち返る必要があるというのです。
具体的に言うと、エゴから愛への転換です。
自己愛、から公の愛、他者への愛への変換
もっともっと広く言うと大自然への、大宇宙への愛と調和、
自己昇華が必要とされるのではないでしょうか???