それは、日々消耗する心を束の間癒すためのオアシス。
その役割となるのが喫茶店なんだよね。
喫茶店、コロナ渦の影響もあり激減しています。
コーヒー一杯で数時間粘る人も多いから、客単価伸びないしね💦
しかし、経営云々でなく、おもてなしの心を追求し、薄利覚悟で喫茶店を維持してるオーナーもいる。
そんな優しさに甘え、常連客となりその空間を借りている人達にとって、本当にありがたい存在だと思う。
喫茶店でアルバイトしていた若い頃。
その当時私は22歳。風というフォークデュオのヒット曲【22歳の別れ】のタイトルのような辛い別れを経験し、ちょうど母が胆嚢の手術をする事をきっかけに仕事を辞めた。
主治医によると母の病状は、かなり悪く、胆石を繰り返す胆嚢摘出しても助かる確率が低いとの見解だった。
昔から手術による入退院を繰り返していた母を看護しようという思いで退職した私に、友人から喫茶店でアルバイトを探しているから行ってくれないかという誘いがあった。
軽い気持ちで引き受けて、自宅から2kmほどのその喫茶店に週4日ほどアルバイトを始めた。
そこは小さな山の麓にあり、いかにも昭和の喫茶店というかわいらしい造りだった。
30代の独身マスターがカウンターの中に立ち、オーナーはその母である60代の女性だった。
すっぴんで長い髪を引っ詰め、ノースリーブの手作りワンピースを纏ったオーナーは、おっとりした口調が性格を表すような
物事に動じない人。暇な時間に掃除をしようと箒を持つ私を制し、「そんなに頑張らなくていいから座って話をしましょうよ」と笑って言った。
親子は二人で喫茶店の二階で暮らし、嫁いだ娘が時々孫を連れて顔を見せた。
モーニングの繁忙時間から昼まではマスター。その後夕方までオーナーがカウンターの中に立ち、私はウエイトレスと会計を受け持った。
時給は最低賃金で良くも悪くもなかったが、賄いの食事が無料で提供され、ドリンクも何度か出してもらえた。
常連客がほとんどで、レジ側の壁にはチケットがたくさん並んでいた。
工場と社宅寮が近くにあり、男性客がほとんどを占めて、団体で来る事はあまりなかったので、追われる忙しさはなかった。
モーニングは市販のツイストパンをオーブントースターで温め、マーガリンを表面に塗りつけたものとゆで卵、ヤクルト風のドリンクがついていた。
なので、ほとんど手間暇なく出来る作業で、特に人を雇うほどでもないのになあと不思議に思っていた。
今思えば、マスターはやや対人関係に難ありの人で、普通に会社勤めが無理な印象。
そのため、長く働いたり、複雑な作業を敢えて避けていたのだと予想された。
つづく