2013-02-26 P1
大規模災害から故郷を守るために
24日奇しくも81歳の誕生日に防災についてのセミナーに出席できました。市広報2月号でし
り、待ちに待った地震、津波に関する講演を聞き3.11以来悩んでいたことが解決しました。
また、講師が延岡市出身でしたので待ちどうしくもありました。藤原指令の気合いに満ちたロー
ドマップの説明も久しぶりの快感を得て、私も老齢に屈せず郷土を守る気概がわきました。
下記画像にありますように縁あって、22歳の春運輸省第二港湾建設局小名浜港工事事務所に
勤務しました。工務課計画係で水深10m、延長150m、10000トン岸壁建設の調査設
計業務でした。第1号埠頭で水深7.5m、延長100m3000トンバース(現いわき、らら
ミユー市場のあるところです)から延長することになりました。
深浅測量(海の深さを測り海底の地形図を作る)まずは伝馬船のロ漕ぎを身につける。
計画線上に櫓を立てることにしましたが、常磐線泉駅から37kレール(1m当重量37kg
1本10m370kg)を3本貰って3脚櫓を設置、地質調査のボーリングに着手しました。
三陸海岸の津波のことは知っていましたから細心の注意をはらいながら引き揚げられてくる
土砂をサンプリングして事務所に持ち帰り2坪の小屋の中で標本作りの夜業をしました。
ケーソン(コンクリート潜函)の型枠大工に7cm角長さ2m1面ガラスばり縮尺10分の1
標本箱を2本製作してもらいました。過去の津波痕跡が含まれていますので、久里浜の研究所
に肩と手持ちで飛脚よろしく電車乗継で届けたことを思い出しています。
2本の標本は所長室に置かれました。1983(昭和58)年県議会議員当選の報告とお礼に
訪れた際にはのこしてありました。その時の所長が1期後輩の地元出身で日立市まで海岸線を
見てまわりました。以後も3年に1度くらいのペースで「陸奥の旅」として 1か月東北めぐ
りと安曇野道祖神と黒部越が感謝の旅になります。
話がそれてしまいましたが8月に東大卒の上司が着任され、波に関する調査研究に携わること
ができました。テニスコートをつぶして港の模型(平面1:100高さ1:10で波起し板で
波をおこし波高や砕波、防波堤の方向をきめる。台風が近づくと久里浜の研究所から上司の同
僚が波の観測に来られました。昭和29年は延岡市も大貫の堤防を切って市街地を守ったと帰
省して聞きました。福島県沖の風の強いことは有名ですから波と風エネルギーを進めているこ
とはご存じのことと思います。
近くに三崎公園がありますが、当時は松林で2点の観測定点を設置し同時撮影しました。
波の3Dさつえいであり、防波堤には波圧計を設置、沖の波高計設置は私の仕事でした。
観測が始まると職員寮(下記国際港礎石碑横標高約50m)から眺めて五感の読みと記録紙と
のチェックする歓びがあり楽しいものでした。
津波浸水想定がいろいろ示されますが、新水深で安心は慢心と心得たいと思います。
下記画像の岡倉天心画伯六角堂は小名浜から8km位離れた茨城県五浦リアス海岸にあります
が、リアス海岸特有の現象により流出したと思っていて、遠田教授の日豊リアス海岸侵入の様
子がつかめましたのでありがたかったです。深層崩壊による堰止め、破砕帯の調査もまだまだ
不十分でしよう。山学校育ち、現場学、五感学で郷土に意を注ぎたいと思います。安部好巳