昭和30年代の町場の子供の親は、地方から出てきて頑張っている人が大勢いました。
父は山から、母は海から上京して、一生懸命に働いていました。
栗に虫がいると、父は「栗の虫は食べられるから怖がることはない。甘くてうまいのだ」と教えてくれました。食べはしませんでしたが、見るとなかなかに、まるまるしゴニョゴニョ動く、可愛らしいものでした。
母方のいとこに「東京もんは虫が怖いんだ」とバカにされていたこともあって、私は虫を好きになるココロのシュギョーをして、今ではけっこう虫が好きです。
さて、懇意にしてくださる小父さんから、栗をたくさん頂いたので少しずつ茹でて食べることにしました。たいへんおいしい栗で、ほのかな甘みが上品です。すぐに全部茹でればよかったのです。
ほとんど甘栗しか食べたことのない私は、知らなかったのです。栗の虫は外から穴をあけて栗に潜り込むのではないことを…。
数日後、大勢の可愛い栗の虫が、外に出てきて、私のガッキュー的好奇心の対象と、転がして遊ぶ玩具になりました。そのうち・・・数が増えると、どうして可愛いはずの虫が怖くなってしまうのでしょう?
好奇心と怖さは、人間が生きるために身に付いたものですが、このように同時に進行せねばならぬ時に、どちらの方に立ち位置を持っていくかで、その人間の人格が形成されていきます。
・・・私はバカです。