ボーリング

2015-09-29 06:43:24 | 日記
当時ボーリングが流行って来て、会社の隣の方にもボーリング場が出来た
会社の人達もみなハマっていって、帰りには遊びに行って居た
うちは、そんな事をしている暇も余裕も無いので仕事が済んだら
直ぐに帰り、子供の世話と晩御飯の準備に必死だった、
今考えたら遊びたい盛りなのに、(お母ちゃんが帰る頃には家に居て
洗濯物の取り込みぐらいはする様にと)言われていたので
背が竿に届かないので置いてある踏み台に上り直してくれていた、
そんな毎日の中で健さんが朝の出勤の時に、(今日は6時には帰るから
先に子供にご飯を食べさせておけ、ボーリングをしに行こう)と言ったので
うちも子供も大喜びで6時にはご飯を食べて準備して待って居たが一向に
帰って来ない、結局9時頃に酔っぱらって帰って来たので、ついうちが
何で子供と約束をしたのに早く帰って来なかったのかとゆうと
なにっと怒りストーブの上に乗せていたやかんをうちに投げてきたのが
壁にあたり、後ろに居た、希美のズボンに掛かった、泣き叫ぶ希美を
風呂場に連れて行く時に健さんが立って居たので邪魔っと叫んだら
目から火が出る位に殴られたけどその時は自分の事など考える余裕がなく
風呂場で足に水を流し掛けて急いで近くの病院に連れて行った

夜のない国に行きたい

2015-09-28 11:59:18 | 日記
裕ちゃんの夜泣きも半年位で収まってきた、健さんもあれから帰って来ても
子供の所には行かなくなった、ある日子供達二人が(何で夜が有るの、
夜の無い所に行きたい)と言った何でと聞くと(昼ばかりだと、お父ちゃんが
優しいけど、夜に成ったら怖く成るから、夜は嫌い)と言われた
それから(お母ちゃんと3人でこの家を出て行こう、3にんやったら
何処に行っても好い)と言われて何も言えない、うちに甲斐しょうが
無いからこの子供もこんな事で胸を痛めて居たのかと思うけど
子供に(堪忍んやで、家を出て何処に行くの、お祖母ちゃんの処や、
伯母ちゃんの処に行ってもお父ちゃんが追いかけて来て、
みんなに迷惑が掛かるやろ、遠くに行くにしてもお金がひとつも無いし、
どうしょうも無いのや)とゆうと裕ちゃんが(大丈夫やお母ちゃん
僕はもう負けへんし、泣かへんけど、大きく成ってもお父ちゃんの
面倒は絶対に見たらへん)と小学校1年生できつい顔で言った、

裕ちゃん、御免な

2015-09-27 06:57:22 | 日記
希美のおたふく風邪も治り、みなが元の様に生活をしていったけど
健さんだけは何時もの様に午前様でで帰るけど、帰ると直ぐに
子供が寝ている処に行き、裕ちゃんの顔を叩いて(おい、起きろ
お父さんが帰って来たから、起きろ)とするので必死で止めても駄目、
(何で寝ている子にそんな事をするの)とゆうとまた殴られた
自分が持てなかった家庭を持って、可愛い子供に恵まれて愛情の表わし方が
解らないのだろうとは思うけど子供にしたら、迷惑な話だ、
毎夜飲んで帰っては同じ事をするので、何もされえ無くっても
同じ時間になれば、良く寝ていても急にガバッと起きて夢遊病者の様に
泣きながら部屋の中を走り回る、大丈夫だからと必死で抱きかかえても
凄い力で突き放して走る、如何して好いのか分からないから、
抱いて背中をさすり大丈夫、大丈夫と言いながら一緒に泣いた、
次の朝にこんな事が有ったので(今夜からは帰っても絶対にせんといて)と
頼んで居たら、その日は12時頃に帰って来ても何もせずに居たが、
また、急に裕ちゃんが起きて部屋を泣きながら走る、その様子を
初めて見た、健さんも吃驚して(裕と言って)抱いてやるがやまらないので
またおぃと言って顔を叩くので今度は本格的に泣く、(何で何も分からん子に
叩くのか)とゆうとお前が悪いのだと殴られる、またパンダで会社に行く?

本当に好い子供達

2015-09-26 06:10:33 | 日記
お祖母ちゃんが帰ったので仕方が無く希美も幼稚園に入れた、
裕ちゃんも1年生に成ったけど1と月間は早く帰るので
会社の給食は食べずに昼は家に帰り裕ちゃんと食べて
昼からは会社に連れて行き、仕事の邪魔に成らない様に
遊ばせていた、小さい時からそんな環境で大きく成って来たので
大人しく自分に出来る事は手伝だったりして、結構楽しくしていた、
でも困った、希美がおたふく風邪を幼稚園から貰ってきた、仕事は
春休み、夏休み、冬休みと貰っていたので間の日は休めない
家で寝かせて枕元にぬりえの本とか鉛筆、クレヨン、お菓子、飲み物
等を置いて会社に行き昼にはご飯を食べさせて、お兄ちゃんが
帰って来たら出て行かずに、一緒に遊ぶように頼んで置いて
仕事に行った、気に成るけど、仕方が無いと思い、定時の5時に
成ると走って帰ったが親が心配することも無く、二人で仲良く
遊んでいた、本当に好い子供に恵まれて好かった、神様有難う。

小さくとも我が家

2015-09-24 06:35:12 | 日記
頑張ってやっと20万貯めた時に住んで居た家主から家の明け渡しを言って来た
文化住宅でも借りてと思って居たら近くに小さな10坪位の家が建てられていた
せめて、こんな処にでも住めたら好いなあ、と思って居たら
健さんが売値が200万の所、50万の頭金が要るのでそれは会社で借りて
此処に決めようと言った、当時のうちにしたら、夢の様な話だった
4軒長屋の端が15万高く必要だったけど、もう都合が付かないので
2件目に決めた、結婚する時に大阪で自分の家を持てたら成功した方だね
と言って居たので小さくても自分の家なのでこれで満足だ
会社の借金は毎月天引きで払って、家のローンは月の25000円払っていく
うちの給料が当時少し残業をして28000円なのでローンは払って行けた
でも、子供が可哀想なので実家のお祖母ちゃんに来て貰ったけど
健さんの夜中に飲んで帰り、寝るまでのうるさいのに吃驚して2か月で
帰ってしまった、帰るときに(あんた、ようこんな暮らしに我慢してるな)と
感心して居た(仕方がないやん、自分が好きに成った人やもん)と答えた。