則子の脳内出血

2015-11-30 23:15:18 | 日記
ご無沙汰していました、パソコンの調子が悪くて投稿が出来ませんでした、
畑の野菜作りも慣れてきて、ブドウそれもマスカットが鈴なりに出来て
余りにも美味しいので近所の人にも上げて三味線の先生にも沢山持って行った
11月の3日の日に近くに住んでいる妹の則子にばら寿司を作ったので食べるかと
聞いたら食べると言ったので、健さんに持って行って貰ったが、直ぐに電話を
してきて(則子の様子が可笑しいと)言って来たので慌てて見に行くと
ホームこたつの前に座り、口からよだれを出していたので、直ぐに救急車を
呼んで病院に行ったが着いた時には、いびきを掻いていた、、脳内出血だと言われた
頭に8センチの出血が広がっているが10センチに広がったら危ないので直ぐに手術を
と言われたが、それをしたら治るんですかと聞くと一命は取り止めるけど
食物人間になるかも知れないと言われたので、それなら、何もしないで死なせて
やって欲しいと頼んだが、8センチで出血が止まった、発作が起きて後10分遅かったら
多分駄目だったと言われたが、助かったのが本人の為に好かったのか、疑問。

多すぎる収穫

2015-11-27 11:56:53 | 日記
良さんが亡くなってから健さんの元気が無くなって来ている、良く喧嘩を
しながらでも何時も一緒で仲が良かったのでショックなのだろう、黙って見ている
しか仕方が無い、工事の方は拓二に任せて二人で畑に行き季節の野菜を作っている
のが楽しみで悲しみも忘れると思う、夏にはキュウリ、ナスビ、南瓜、瓜、ゴーヤ
いちじく、ぶどう、葉っぱ物も一杯で、一番嬉しいのがスイカが沢山出来た、
毎日収穫ものを持って帰っても自分の処では食べ切れないので三味線の仲間にも
先生にも、近所の家にもみんなに配って回った、喜んで貰ってまた、頑張って畑に
行くけど良く考えたら、他所の畑より出来が好いと言われるけど二人で肥料を買うのに
奈良の方に行ったり、えんどう豆の冬越えのわらを買いに回ったり、
人以上に気とお金を使って居たので収穫時には何時も人以上に好い物が出来る
キュウリなんかは出来過ぎて畑の近くを散歩する人に10本づつ位配った、
こんなに取れるのなら昔の様に車で引き売りをしょうかと二人で笑った。

孤独死

2015-11-26 11:01:11 | 日記
良さんの死顔は穏やかで寝て居る様だった、慌てているから救急車を呼んだら
来た人にもう息が無いので、これは警察の管轄だと直ぐに警察に連絡してくれた
お巡りさんに二人の関係はとか良さんとうちの本籍と良さんに生年月日とか
色んな細かい事を聞かれてやっと兄弟だと認めて貰い証明書をくれたので
直ぐに1番上の兄に連絡を取って和泉市の兄の近くの会館で身内だけで葬儀をして
保険と300万程のお金を預けてこれで33年までの供養が出来るのでして欲しい
その代わりお参りに来てもご仏前は無しやでと一番下の妹が言った、、
大きな声も聞いたことも無く、穏やかで少し気が弱くて、結婚も出来なくて
1人で暮らしてきたが健さんと気が合ってうちが引っ越しをする度に何時の間にか
近くに住んで居た、大きな洗濯物とか、繕い物が有ったら、良く持って来ていたのに
多分死ぬ前の日に健さんに逢って居たのが少しは良かったと思う、でも葬儀が
済んで家に帰っても夜に成ると良さんの居た部屋の灯りを見ていた
当分はこの習慣は治らないと思う、寂しい孤独死だ。

畑と良さんの死

2015-11-25 07:03:57 | 日記
今までの普通乗用車から軽自動車に乗り換えてそれが健さんの足に成り
毎日リハビリの病院に通って居た、でも少しづつ歩き方がましに成って来た
手を動かさなくても歩けるのでリハビリを兼ねて、友達から畑を借りて
野菜を作る事に成った、大阪の町中育ちのうちは、初めての経験で何も
知らないので本を買って来て勉強をした、初めの土つくりからからして行くのに
小さな耕耘機を5万も出して買った、でも毎日車で15分位の畑に行くのが楽しみに
成って来て、日課に成って居た、其のころ、定年退職をした兄の良さんがうちの
家から見えるマンションに住んで居たので毎日寝る前には良さんの部屋に灯りが
付いているのか見る習慣に成って居た、ある土曜日の夕方健さんが道で良さんに
逢って(おぅ元気か)と声を掛けたと晩御飯を食べるときに、言って居た、日曜日も
部屋に電気が付いていたので安心していたら月曜日の朝に、良さんの隣に住む人が
何時も綺麗にしている人が昨日も今日も新聞が溜まって居るので可笑しいと
言って来たので直ぐに見に行くと奥の部屋で横に成って電気もテレビを付けている
ので(何や居るんやんか)と言いながら入っていくとテレビを見ながら亡く成って居た


アチャコ歩き

2015-11-24 11:52:37 | 日記
健さんの入院後は拓二が良く頑張ってくれた、今度2人目が産まれるらしい
上が男の子だから下は女の子が好いなと言って居る、忙しい仕事をこなして
帰って来たら食事の支度をしたりお風呂に入れたり、ミルクは12時まではママがして
それ以後は拓二が面倒を見ているらしい、3時頃に一度ミルクを上げたら朝まで
寝るらしい、一度(あんたそんな毎日を送って居たら寝不足で事故をするよ)と
言ったら、其の後が熟睡しているから大丈夫だと言って居た、今は二人の子供だから
2人で育てるのが普通に成って居ると言われた、解らん、うちには理解が出来ない
3か月で退院してきた健さんだが歩く姿は手術前と少しも変らず良く成って居ない
腰を曲げて両手を泳ぐ様に動かして体事歩いている様だ、古い人はお存じだと
思いますが、漫才師のエンタツ、アチャコが居てそのアチャコの様な歩き方をしてた
次の診察の時に先生にそれをゆうとうちでは此処までしか出来ないので嫌だったら
他所に行けと言われた、びっくり天下の大病院の先生がそんな事をゆうのか、
責任もって直したると言ったのに、せやから腰の骨の神経じゃ無いかと言ったのに。