最近、感性が鈍って来ている。原爆の日には自分なりのアクションを起こそうと決めていたのに。。。せめて13年前の私を振り返ってみよう。以下は2013年8月9日の記事を拾いあげます。
爆心地から700㍍ほどの距離に位置する山王(さんのう)神社の境内に濃い陰影を作っている2本の楠木。ゆさゆさと大きな枝を風に揺らしているが63年前に5000度近い熱風を受け、樹皮にはガラスの破片がいたるところに突き刺さっていたという。ボランティアガイドの方が「取ったのだが今でも残っている」と説明された。思わず「直後の写真に写っているこのくすのきを実際に見られたのですか」と愚かな質問をしてしまった。当然との表情で応えてもらったが、それぐらい私にも原爆の惨禍は風化されてしまっている。ピース団体に所属し活動を続けていたこともあったが、いつの頃からか虚しく思えてきて遠ざかってしまった。せめて原爆が投下された日ぐらいはと個人でできる小さなアクションを起こしている数年。
被爆直後は幹がまっぷたつに割れて黒焦げになっていたが(右)、まもなく新しい緑の命がもくもくと芽吹き始めた(左)。半世紀近く世話されずに弱っていた木を樹木医が救ったのだ。樹齢500年といわれる幹は所々人工の樹皮で覆われ痛々しいが、空洞に酸素を送り込み定期的に肥料や活性剤を与えられている。
木のうろ、空洞には炭化した色んなものが外部から爆風に運ばれ渦巻いていた。
爆風で片方が飛んでしまった片足鳥居
私と夫は他県生まれなので、長崎に住み始めた頃、被爆2世や原爆手帳という言葉が日常の生活に存在するのにまず驚いた。長崎で生まれ育った息子たちは、平和教育が形骸化されているといわれながらも、小中、高校時代8月9日は登校日となり、語り部から話を聞き、「原爆許すまじ」や夾竹桃などの平和ソングを身近にして育った。息子らは、大学を機に他所に住み始めた1年目の夏休みに、口を揃えるように「他県では8月9日の日が特別な日でないんだね」と話したのだ。親である私達はまったくその逆バージョン。彼らには今現在原爆祈念日はどううつるのか帰省した折り訊ねてみよう。
な光景を想像するとき、戦争とはいえ、米国はあまり
にも、おまりにも ひどい事を致しました。
広島と長崎の両市長の核廃絶宣言を、特に米国の大統
領は何と受け止めているのか疑問に思います。
核の全廃は簡単には実現しないでしよう。
平和であれば、核爆弾の使用はないのですから、
各国がエゴを捨てて、努力すべきと思います。
そして最大の課題である温暖化防止に先ず第一に取り
組むべきです。地球の存亡と経済成長とを比較してい
る場合ではないと考えます。
る場合ではないと考えます
同感です。経済を優先したために人類は愚かなこと繰り返してきた。
その最たるものが戦争です。
最近のヒット作ハリソン・フォード主演「インディ・ジョーンズ4」の中に驚いた一コマがありました。主人公が軍の施設に逃げ込むのですが、そこには核の破壊力を試す砂漠実験場があったのです。街並みのセットが築かれ生活している家族が人形で作られていました。スイッチが作動して主人公ハリソンはとっさの機転で冷蔵庫に逃げ込み、冷蔵庫もろともにぶっとんで命が助かるという設定に驚きました。まったく空言ではないというのは本を読んでも分かります。まだ本気でやっているのかと思うと残念です。
どうしようもない愚かさに腹が立ちます