コース 脊振山系 坂本峠~蛤岳
メンバー pole-pole&bamboo 途中からMr蛤
佐賀県の山ガイドブックより
東脊振ICを下りR385までは順調に走れたのだが、霊仙寺下から回り込む道が通行止めになっていてうろうろ。やっと坂本峠登山口を見つけられた。
(下山時午後5時には通行止めは解除されていたよ)
まもなく旧い林道にぶつかる。たぶんこれが先ほどの右側への車道から通じているのだろうか。里山のような樹林をだらだらと登り薄暗い杉の植林帯を抜けて一時間後に永山峠に到着。永山林道を横切ると水音が聴こえてきた。これがあの蛤水道?実は今日の目的はこの蛤水道にあった。以前熊本の通潤橋を訪れた際、治水工事に興味が湧いてブログに書いたのだが、それを読んだマッスルさんから蛤水道を紹介してもらっていたのだ。
佐賀県と福岡県の間に東西に延びる背振山系の山々は、その多くが山頂を両県の県境に置いてある。当然分水嶺も山の稜線をたどるのだが、この標高862.8メートルの蛤岳だけが完全に佐賀県に属しているために、昔から蛤岳周辺の村々は水の揉めごとが絶えなかった。
日照りが続き水に困った村人を見かね、成富兵庫茂安によって佐賀側が蛤水道を造り福岡側に流れていた水を自分たちの方に引き込んだのだった。分水嶺より北(福岡側)に佐賀県(肥後)の領地が入り込んでいるから可能になった工事ではある。
左U字コンクリートを流れるのが蛤水道。歩道は砂礫になった花崗岩が敷かれ、まるで砂浜を歩いているようでさくさくと心地好い。
雨量が増すとオーバーフローして福岡側へ流れるようにしてある。左水路の落ち葉が浮かんでいる方は大野川(福岡)へ、水を湛えている右水路は田手川(佐賀)へ流れこむ仕掛けだ。これが「野越し」だろうか?
”稚児落しお万が滝”の伝説を調べたら
日照りにより水不足となった福岡の村人達は蛤水道を破壊しようと企てるが男達は尻込みをするばかり。黙って話を聞いていたお万が自ら手を上げた。彼女は夫を亡くし乳呑み児を抱えているので村人は反対したが、お万は乳飲み子を背負った自分が行くことで却って怪しまれないと気丈にも言い放ち蛤水道を壊すと村人達に約束した。鍋島の地に潜入したも束の間子供の泣き声で役人に見つかってしまう。お万は赤ん坊を草むらに置き蛤水道を懸命に壊し続ける・・・ついに見つかってしまった。彼女は遂げられないまま「他人に殺されるくらいなら…」と滝壺に身を投げたのだった。知らせを聞いた茂安は心を痛め、後に福岡の村にも水が行くようにと蛤水道に「野越し」と呼ばれる改修を施したと云われる。泣き止まなかったお万の子も手をこまねいた男によって滝壺に落とされたそうだ。
伝説とは片付けられないほど身につまされる話ー、生計を立てるため近隣の村人どうしで熾烈な争いがあったのは想像が付く。
時代が進んでも治水にまつわる話はつきない。政権が変わった現在(いま)、ダム工事が着工される時に反対し、またもとに戻そうとすると反対が起きてしまう。自然の水はただただそのまま時代を超えて流れ続け、糧を得る人間は巨大な利権や人情に右往左往する。
湿地帯に残っていたオタカラコウ、シロバナサクラタデ。ツルウメモドキ
水道源流となる治水工事を讃えた水功碑がある辺りは紅葉が水面に映え日本庭園を造っていた。直進しても登れそうだがこれ以上のロスは避けたいので九州自然歩道路蛤岳への分岐へ引き返しすことにした。分岐から自然林を15分ほど登ると蛤岳山頂に着く。
山頂にある蛤岩は蛤の形をしていて真ん中に割れ目がある。岩に登ると展望が素晴らしかったが生憎霞んでいた。
昼食を済ませると背後から「坂本峠からじゃつまらなかっただろうに・・」と男性の声がかかる。彼は自嘲して自らを"蛤じじぃ”と名乗られたが私たちは”蛤氏”と呼ぶことにした。蛤氏は健康を損ね、それまでやっていた大掛かりな山行を止め、休んで山を再開。二十数年脊振山系を中心に近場を歩かれているらしい。
「明日の下見に来たんだが、花に興味あるかね」とおっしゃる。私は地図を手にして彼の傍に寄り、poleからのOKサインを確認し地図にないコースを案内してもらうことにした。
登山道を避けるとすぐ人の踏み入れない静かな紅葉が私たちを迎え入れた。蛤氏は植物に明るいだけでなく、彼らに愛情を注いでいた。それぞれの樹木を「こいつは今年は綺麗に紅葉していないんだけど」とか、「あいつは・・・」と呼んで説明された。しきりに感心しながら聞きもらすまいと耳を傾ける私に「奥さんの方が興味あるとは意外だったね、優しそうな御主人の方が感激すると思っていたよ」と、淡々としているpole-poleを横目で見遣り、するりと本音を漏らされた。彼の名付けた「黄昏の道」や読書する「のんびり岩」は飽きないほど美しかった!
もしかすると蛤氏、蛤岳源流に広がる鮮やかな自然林は幻だったのかもしれない。
メンバー pole-pole&bamboo 途中からMr蛤
佐賀県の山ガイドブックより
東脊振ICを下りR385までは順調に走れたのだが、霊仙寺下から回り込む道が通行止めになっていてうろうろ。やっと坂本峠登山口を見つけられた。
(下山時午後5時には通行止めは解除されていたよ)
まもなく旧い林道にぶつかる。たぶんこれが先ほどの右側への車道から通じているのだろうか。里山のような樹林をだらだらと登り薄暗い杉の植林帯を抜けて一時間後に永山峠に到着。永山林道を横切ると水音が聴こえてきた。これがあの蛤水道?実は今日の目的はこの蛤水道にあった。以前熊本の通潤橋を訪れた際、治水工事に興味が湧いてブログに書いたのだが、それを読んだマッスルさんから蛤水道を紹介してもらっていたのだ。
佐賀県と福岡県の間に東西に延びる背振山系の山々は、その多くが山頂を両県の県境に置いてある。当然分水嶺も山の稜線をたどるのだが、この標高862.8メートルの蛤岳だけが完全に佐賀県に属しているために、昔から蛤岳周辺の村々は水の揉めごとが絶えなかった。
日照りが続き水に困った村人を見かね、成富兵庫茂安によって佐賀側が蛤水道を造り福岡側に流れていた水を自分たちの方に引き込んだのだった。分水嶺より北(福岡側)に佐賀県(肥後)の領地が入り込んでいるから可能になった工事ではある。
左U字コンクリートを流れるのが蛤水道。歩道は砂礫になった花崗岩が敷かれ、まるで砂浜を歩いているようでさくさくと心地好い。
雨量が増すとオーバーフローして福岡側へ流れるようにしてある。左水路の落ち葉が浮かんでいる方は大野川(福岡)へ、水を湛えている右水路は田手川(佐賀)へ流れこむ仕掛けだ。これが「野越し」だろうか?
”稚児落しお万が滝”の伝説を調べたら
日照りにより水不足となった福岡の村人達は蛤水道を破壊しようと企てるが男達は尻込みをするばかり。黙って話を聞いていたお万が自ら手を上げた。彼女は夫を亡くし乳呑み児を抱えているので村人は反対したが、お万は乳飲み子を背負った自分が行くことで却って怪しまれないと気丈にも言い放ち蛤水道を壊すと村人達に約束した。鍋島の地に潜入したも束の間子供の泣き声で役人に見つかってしまう。お万は赤ん坊を草むらに置き蛤水道を懸命に壊し続ける・・・ついに見つかってしまった。彼女は遂げられないまま「他人に殺されるくらいなら…」と滝壺に身を投げたのだった。知らせを聞いた茂安は心を痛め、後に福岡の村にも水が行くようにと蛤水道に「野越し」と呼ばれる改修を施したと云われる。泣き止まなかったお万の子も手をこまねいた男によって滝壺に落とされたそうだ。
伝説とは片付けられないほど身につまされる話ー、生計を立てるため近隣の村人どうしで熾烈な争いがあったのは想像が付く。
時代が進んでも治水にまつわる話はつきない。政権が変わった現在(いま)、ダム工事が着工される時に反対し、またもとに戻そうとすると反対が起きてしまう。自然の水はただただそのまま時代を超えて流れ続け、糧を得る人間は巨大な利権や人情に右往左往する。
湿地帯に残っていたオタカラコウ、シロバナサクラタデ。ツルウメモドキ
水道源流となる治水工事を讃えた水功碑がある辺りは紅葉が水面に映え日本庭園を造っていた。直進しても登れそうだがこれ以上のロスは避けたいので九州自然歩道路蛤岳への分岐へ引き返しすことにした。分岐から自然林を15分ほど登ると蛤岳山頂に着く。
山頂にある蛤岩は蛤の形をしていて真ん中に割れ目がある。岩に登ると展望が素晴らしかったが生憎霞んでいた。
昼食を済ませると背後から「坂本峠からじゃつまらなかっただろうに・・」と男性の声がかかる。彼は自嘲して自らを"蛤じじぃ”と名乗られたが私たちは”蛤氏”と呼ぶことにした。蛤氏は健康を損ね、それまでやっていた大掛かりな山行を止め、休んで山を再開。二十数年脊振山系を中心に近場を歩かれているらしい。
「明日の下見に来たんだが、花に興味あるかね」とおっしゃる。私は地図を手にして彼の傍に寄り、poleからのOKサインを確認し地図にないコースを案内してもらうことにした。
登山道を避けるとすぐ人の踏み入れない静かな紅葉が私たちを迎え入れた。蛤氏は植物に明るいだけでなく、彼らに愛情を注いでいた。それぞれの樹木を「こいつは今年は綺麗に紅葉していないんだけど」とか、「あいつは・・・」と呼んで説明された。しきりに感心しながら聞きもらすまいと耳を傾ける私に「奥さんの方が興味あるとは意外だったね、優しそうな御主人の方が感激すると思っていたよ」と、淡々としているpole-poleを横目で見遣り、するりと本音を漏らされた。彼の名付けた「黄昏の道」や読書する「のんびり岩」は飽きないほど美しかった!
もしかすると蛤氏、蛤岳源流に広がる鮮やかな自然林は幻だったのかもしれない。
蛤氏も、植物に興味深々のbambooさんに説明できるのが楽しかったのでは~
蛤水道の源流域は、素晴らしい景観ですよね~
(リーフの知っている場所は、ここではないかも~)
そこに咲く花を見るためです。
脊振山系も奥深いですね。
アップは避けましたが、イチヤクソウミヤマウズラ、クモキリソウ、春になるとショウジョウバカマ、サイハイラン、ワサビ、エビネの花が咲き揃いそうです。立派な葉がたくさんありました。
気根は膝根、ペンギン水族館の前で似たような根を持つ植物を見かけたのを思い出しました
蛤水道について、そのような出来事があったのですね。昔の村人のご苦労がこちらにも伝わってまいります。
私も子供の頃、田圃の水の争奪戦を他のの子供たちと、毎夏していました。これこそ“我田引水”そのものでしたね。
水は地球上に生息するすべてのものとって、まさに命の源ですので、雨が降るとそのような意味から、感謝の気持ちでいっぱいになります。
bambooさんの素晴らしいレポを拝見して、蛤水道、蛤岳行ってみたくなりました。
yanさんの経験からのお話に思わずうなってしまいました。農家の方は身を持って体験なさっているのですね。工事を設計した成富兵庫茂安氏は鍋島藩にとっては救いの神でしょうが・・・
役所で調べた蛤氏によると、蛤水道に関する工事の資料はあっても史実はほとんど残っていなかったそうです。消されたのでは・・・と語られていました。
>蛤水道、蛤岳行ってみたくなりました
永山峠に車をあげれば時間短縮になります。帰りにシチメンソウやリーフさんが紹介されていた千石山の白山茶花を訪ねられたら盛りだくさんですよ。385線東背振トンネル前左手前に車窓から山茶花の白い花が雪のように降り積もっていました。