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"1994年ヒマラヤ、チョー・オユー(8201メートル)の難ルートを無酸素単独で初登攀に成功、世界最強と称された山野井泰史さん(42)、そして、妻の妙子さん(51)。2002年秋、二人はヒマラヤの高峰ギャチュンカン(7952メートル)に挑戦した。下山途中、雪崩に襲われた二人は、生死の境をさまよいながら、奇跡の生還を果たした。しかし、凍傷で泰史さんは10本、妙子さんは18本もの手足の指を失い、クライマーとして致命的なダメージを負った。
それから5年、二人は残った身体機能を使い、リハビリとトレーニングを続けながら、クライミングへの夢を追い続けてきた。そして、2007年8月、二人は北極圏・グリーンランドにある、高さ1300mの未踏の大岩壁「オルカ」に挑んだ。様々な困難を前に、二人はどんな登攀を行ったのか。 「より高く、より困難に」挑み続けてきた山野井泰史・妙子のクライマー夫妻が今、「再びふたりで登る」ことで、自分たちの限界に挑み続ける姿を余すことなく記録したドキュメンタリー。
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怪我後、気持ちが沈むとTV取材番組『白夜の大岩壁に挑む』の録画を取り出して観ているのですが、まさか書籍になっているとは知りませんでした。山野井泰史さんが自ら書かれた「垂直の記憶」と違って、取材班による執筆は彼ら夫妻の暮らし向きや妙子さんのことなどにもページ数を割かれていて興味深く読み終えました。
泰史さんは世界に名をとどろかす著名なクライマー。それにも劣らない妙子さんの淡々たる強靭な生命力には改めて驚きます。手足指計2本しかないのに、泰史さんが指の切断間もなく痛みに呻っていたころに、彼女はベッドで腹筋をやりながら何気に「リハビリしないの?」と泰史さんにいうところなど舌を巻きます。頭の良い彼女のこと実はそうでもないようにも聞こえますが・・・。指を失った痛みを慰めあう2人の大男クライマーを前にして、「私って鈍いのよ、痛みはあまり感じなかった」へへと笑う彼女の屈託のなさ。飄々として、マイペースな彼女に“静”の強さを感じます。登らない日々は、奥多摩の山あいで畑の野菜作りに励み、地元の人々に惣菜をおすそ分けしたりしながら、2人で10万円の生活費で暮らすやり繰り上手な主婦です。飾り気のない人柄にますます惹かれ勇気をもらいました。何といっても泰史さんが一番でしょうが、妙子さんのファンは思いのほかかなり居るでしょう。泰史さんは「自分は一人では生きていけないが、妙子は一人でも生きていける!」とリスペクトする言葉があります。妙子さんは「ギャチュンカンで指を失ったことは悪いことだけではない。泰史はどんどん危険なコースに挑戦するタイプだから、あのまま行けば彼は帰らなくなる可能性が膨らんでいった」とも語っていました。
それにしても、彼らが遠征中ご両親は「無事に戻ってくるまで虫1匹殺さない」生活を過ごすと漏らしていらっしゃいます。
父親の山野井孝有さんも「いのち五分五分」を出版されていました
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それから5年、二人は残った身体機能を使い、リハビリとトレーニングを続けながら、クライミングへの夢を追い続けてきた。そして、2007年8月、二人は北極圏・グリーンランドにある、高さ1300mの未踏の大岩壁「オルカ」に挑んだ。様々な困難を前に、二人はどんな登攀を行ったのか。 「より高く、より困難に」挑み続けてきた山野井泰史・妙子のクライマー夫妻が今、「再びふたりで登る」ことで、自分たちの限界に挑み続ける姿を余すことなく記録したドキュメンタリー。
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怪我後、気持ちが沈むとTV取材番組『白夜の大岩壁に挑む』の録画を取り出して観ているのですが、まさか書籍になっているとは知りませんでした。山野井泰史さんが自ら書かれた「垂直の記憶」と違って、取材班による執筆は彼ら夫妻の暮らし向きや妙子さんのことなどにもページ数を割かれていて興味深く読み終えました。
泰史さんは世界に名をとどろかす著名なクライマー。それにも劣らない妙子さんの淡々たる強靭な生命力には改めて驚きます。手足指計2本しかないのに、泰史さんが指の切断間もなく痛みに呻っていたころに、彼女はベッドで腹筋をやりながら何気に「リハビリしないの?」と泰史さんにいうところなど舌を巻きます。頭の良い彼女のこと実はそうでもないようにも聞こえますが・・・。指を失った痛みを慰めあう2人の大男クライマーを前にして、「私って鈍いのよ、痛みはあまり感じなかった」へへと笑う彼女の屈託のなさ。飄々として、マイペースな彼女に“静”の強さを感じます。登らない日々は、奥多摩の山あいで畑の野菜作りに励み、地元の人々に惣菜をおすそ分けしたりしながら、2人で10万円の生活費で暮らすやり繰り上手な主婦です。飾り気のない人柄にますます惹かれ勇気をもらいました。何といっても泰史さんが一番でしょうが、妙子さんのファンは思いのほかかなり居るでしょう。泰史さんは「自分は一人では生きていけないが、妙子は一人でも生きていける!」とリスペクトする言葉があります。妙子さんは「ギャチュンカンで指を失ったことは悪いことだけではない。泰史はどんどん危険なコースに挑戦するタイプだから、あのまま行けば彼は帰らなくなる可能性が膨らんでいった」とも語っていました。
それにしても、彼らが遠征中ご両親は「無事に戻ってくるまで虫1匹殺さない」生活を過ごすと漏らしていらっしゃいます。
父親の山野井孝有さんも「いのち五分五分」を出版されていました
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イチローもそうですが、
世の中にはすごい人がたくさんいますね~
私はあまり本を読まないのですが(ちょっとはずかしい)
先日、息子と同じ病気から復活した方が本を出版したそうで、
息子に教えてあげたら、早速取り寄せて読んでいました
読後の感想は聞きにくいので、本人が話すまでそっとしておこうと思っています
恥ずかしいなんて思われなくて良いんじゃないでしょうか(笑)。
今夏リハビリ室で色んな方と知り合えました。
下半身麻痺で一生車椅子生活と云われ退院後車椅子を購入した男性が、違う病院(私が通っている病院ですが)でリハビリを受けていたら、歩けるようになられ車の運転もされています。車椅子は無駄になったと笑って話されました。
本当に皆さん凄いですね!
息子さんだってその中のお一人ですよ!
アチさんと話していました。
入院時にお借りしていた本も気になっています。
近いうちにお礼かたがたお会いできたらと思っております。