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おくんち祭りがある時期になるとダンギクの花が咲く季節、今年はコロナ禍でおくんちは中止となりましたがダンギクはいつものように花開き待っていてくれました。
県立長崎東中・高を左手に見る道路の上から登る登山口から入ろうとすると工事中の看板、ガードマンさんから迂回路を案内されました。山道は人工的な階段はあるものの、ほとんど人が通った形跡がなく薄気味悪い。登っていくと頑丈なトイレ施設にぶつかった。荒れた草地の向こう側に読み取れない文字のパネルが立てられ、うっそうとした森の先には原爆慰霊碑らしきものもあった。
薄汚れたパネルには、ここに高射砲陣地があり原爆投下時に訓練していた23名が被ばく、被爆した多数の市民らも金比羅山へ逃げ込んだと書かれている。手が全く入らず取り残されたかのようだ。展望台は立ち入り禁止となっていて原っぱは雑草が生い茂り、台風で折れた枝が散乱し倒木で下る道も所々遮られていた。家に帰りネットで検索しているうちに合点がいく記事を見つけた。その記事は一年前に長崎新聞に掲載されたもの。50年前に多大な総事業費を見込み金毘羅公園が計画されたが未完成のままで放置してあるらしい。
話によると今回の工事で車が乗り込めるように道を整備し駐車場を作るらしい。再び動き出したのだろうか。憩いの場にするのは賛成だが、すでにある樹を伐採して見目の良い桜などを植樹して自然林を破壊するような安易な緑地化はやめて欲しい。
長崎のダンギクは海岸地域の岩場に群れ咲いている。この花は日本列島が大陸と地続きだったことを証明する貴重な花と読んだ記憶がある。
金比羅神社
ナガサキシャジン
→賛成!
原爆慰霊碑は、かなり前からあります!
自分が初めて登ったのが約25年前、その頃から碑は歴史を感じさせるものでした。当時、トイレは綺麗に手入れされてました♪
昔々 ここは、芋山です。
なお 車が登る道ももう10年ほど前からあります 旗揚げ広場に、物資を運ぶためのもののようです。
砲台跡も、鹿児島同様 有名なものです。
造られた当時は手入れがされていたのに・・・という所は、山を登っていると多々ありますよね。
中途半端に開発するぐらいなら、そのまま山の状態だった方が何倍も良かったのに。冬場になり、帆場岳や普賢山などの里山へ久しぶりに廻り、道が四方にできていてびっくりです。