晴山雨読ときどき映画

“人生は森の中の一日”
山へ登ったり、本を読んだり映画を観るのは知らない世界を旅しているのと同じよ。
       

長崎街道を行く 嬉野~塩田 その1

2012年09月26日 | 
(鮮やかなマンジュシャゲの朱色が黄金色の稲穂に映える田園風景は懐かしく・・・)

そよ風さんに誘われて長崎街道の嬉野~塩田を歩きました。アスファルト歩きは得意でなく、私がそれ用の靴を購入する間もなくもう最終章を迎えようとしていた街道歩き(;≧皿≦)。゜°。ううううぅぅぅ。(ウォーキング用の靴を買うには買ったのですが足にあわずに・・・)

メンバー   福岡からhirokoパパさんhirokoさん ぼん天棒さん 長崎組は主宰のそよ風さん、ISさん、Mさんお2人様、みつばさん、ミシェルさん、bambooの9名 

今日の出発地点は嬉野の轟の滝公園からです。ここは塩田川と岩屋川内川、椎葉川の3つの川が合流しています。



恋物語はどこでも語り継がれているようで~。日本人は万葉集にしろ意外と恋心に憧れる民族なのかな?!




数分も歩いて裏手に回ると用水路には豊かな水が勢いよく流れ、温泉街には似つかわしくないような風情にまず驚きました。



香ばしいお茶の香りが漂っているのは、さすがにお茶の街です。清流に水車も音をたてて回っていました。 

 


もともと嬉野宿は長崎奉行や諸大名らが通過する、または小休憩する程度だったのですが、一つ手前の宿泊地だった牛津宿の火災により、急遽嬉野宿が充てられた経緯があります。そのため宿として設備が整わずに、公用者は安い宿泊料で利用できたので利益があがらなかったけれど、一般旅行者や湯治客などからの儲けで補い宿場が成立していたとのこと。



西構口跡と東構口跡は

 


長崎奉行や諸大名らの有力者の宿泊や接待には蓮池藩直営の建物で瑞光寺が充てられていたようです。
一般向けには浴場が上湯と並湯に別れ、入浴料の区別だけでなく身分に応じて区別されていて、足軽以下町民は並湯に入るとされていました。



その瑞光寺は↓。



街道歩き終了後、私らの入ったお風呂は昔公衆浴場だったのが改装された400円也のシーボルトの湯↓です。
泉質はしっとりとしてお肌がつるつるになりました。



茶所とあって御茶屋さんが横隣に軒先を並べています。その一角にある豊玉姫神社には肌が綺麗になるというなまず様もいらっしゃって、女子組は何度もご神体のなまず様にお水をかけて祈願。





お肌はつやつやになりましたがおみ足の方は?今まで足湯は見たことがありますが、蒸し湯は初めて!腰掛けて右画像の暗い部分に足を突っ込むとスチームで足が暖まるしかけになっていました。冬場はさぞ身体全体がホクホクするでしょう。

 


道中はにぎやかなおしゃべりが絶えません。そこへ思わぬサプライズ!欠席と聞いていたぼん天棒さんがいきなり橋の下から現れました!



その2へ続きます。



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
差別(格差)? (山馬鹿)
2012-09-28 18:49:04
こんばんは☆
まだ、麦1&芋1杯で御座います。

嬉野は、私の実家の近く・・・
昭和の初期、いや戦争直後まで、我が家のような
貧乏人(百姓あがりの庶民)が入れなかったお風呂
があったと聞いています。
その後嬉野は寂びれ、誰でもどこのお風呂でも入れ
るようになったとか・・・
返信する
そうどすか! (bamboo)
2012-09-28 22:13:03
今、どれぐらいに酒量はお上がりでしょうか?
明日は台風も近づき山はお休みなのでゆっくり飲めますね。v(。・ω・。)ィェィ♪

>その後嬉野は寂びれ、誰でもどこのお風呂でも入れ
るようになったとか・・

文献に『宿場中をあげての対応で発展と困窮を繰り返した』との一文がありましたが、山馬鹿さんのコメントが正にそれを物語っているようですね。
返信する

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