歩きながら 思うこと

充分大人だけど ココロは育ちざかり。営業女子のひとり言と 日々の気付きの覚え書き

大好きな人のひとり

2020-05-10 14:01:00 | 日記
糸井さんの本
届いた





糸井さん
いいなぁ
糸井さんのことばがどんどん心の中で広がってくる
懐かしさと
驚きと
新しいことへの興味と

言葉というのは不思議だ
そこにはただの文字の羅列しかないのに
頭の中には立体的に
または 心臓がドクドクするような
身体に影響を与えるものとしてしのびこんでくるから

文字の組み合わせで心を動かすことができるって
すごいね

そういうことをやりたい
と 自分できめて
または
そんなことをやってきたらどうだ?
と 神さまから任命されて

高ーい空の向こうからやってきた人なのでしょう

糸井さんのことは大好きで“ほぼ日手帳”も10月になると探しにゆく
ブイヨンちゃんの大ファンでもあった

ある日を境に本屋さんに行かなくなり
この本の存在自体知らなかったけれど
Facebookの友達のおかげさまで宝物が手に入りました

ありがとう

自粛の日々もありがとう、だね

母の日

2020-05-10 13:23:00 | 日記

何かについて想いを馳せるとき
どうも私は『ごめんね』が前についてしまう
今、それに気がついた
“ 母の日 ”
こう書いた次の瞬間、ごめんねお母さん、が頭に思い浮かんだよ
何がごめんね、なのか
 “ 母の日 ” の感謝の気持ちを形にしていない
母が喜ぶようなこと(こちらの勝手な想像だけど)もできていない

反省から始まる傾向にあるらしい



ひめちゃんに対してもそうだなぁ
心ゆくまで看たつもりだけど、やはり心の奥底には後悔のようなドロドロしたものも沢山ある

だから
つい『ごめんね〜』が出てくるよ

どちらかを選ぶことの連続が人生なんだと思うけど、どちらを選んでも反対側の体験がないから
それが後悔としてでてくるのだろうな
だとしたらそれは、いらないもの、なのかもしれない

だって右を選んだら左を選ばなかった後悔がでてきて、そのまた逆も同じなんだから

あぁ、そう
頭では理解できてる
わかってるつもり

失ったものに関してはやはり色々思ってしまう

晴れた空に急に入道雲が出てきて大粒の雨が降り始めるように悲しみがおそってくるから

愛していたものを失うということは
こういうことなんだろうね

母の日
母がこの世を去ってから11年

ひめちゃんがこの世を去ってからひと月

忘れることはない
永遠に

いのちというのは1度しか輝かない
タマシイは永遠というけれど

母もひとりだけ

ひめちゃんもそうなのだ

ごめんね〜
でも ありがとうね
大好きをありがとう