ぴあのさん☆ありがとう♪

可愛い生徒さん達がレッスンを通して心身共に健やかに成長していける様、お母様方へ☆

東京のお母さん

2015-09-24 | 

今日はレッスンに来る様になって11年目になるOさんの事を・・

Oさんは69歳の時に“70代を目前に何か心の張り合いなるものを!”と私の所にやってきました。
大手のピアノ教室で少し習ったそうですが、先生が若すぎて合わなかったそうです。

ものすごく熱心で一心不乱に練習なさる姿にいつも感心していました。
レッスンを始めて2~3ヶ月目のある日、ふっとOさんが打ち明けてくれました。
「先生、実は私には先生と同じ位の歳の娘がおりまして、子宮癌でずっと看病に通ってるの。
このまま看病だけで過ごすのも私の心が持たないからピアノに一生懸命打ち込んでるの でもここにきて本当によかった~」

いつも明るい話題ばかりのOさんからの言葉に、本当にびっくりしました。
そして数か月後に娘さんは亡くなりましたが、Oさんは一度もを見せることなく
一回レッスンをお休みしただけでまた一心不乱に練習に打ち込むようになりました。

その後5年でショパンを弾ける位の上達ぶり
いつも私を娘のようにかわいがって下さり、私も色々なコンサートにOさんをお連れしたりする仲となりました。
今では『東京のお母さん』だと思って接しています。

そんなOさんも80歳になり、昨年末に転んだのをきっかけに、あちらこちらに身体の支障が出
悲しいかなピアノが弾けなくなりつつあります。
それでも2~3週に一度、通って来て下さるのでOさんが弾けない時は、私の演奏を聴いていただいてます。
そして「あ~これでまた元気をもらえた!あと一週間頑張れるわ」と帰っていきます。

このように子供~シルバー世代まで、ピアノを通して様々な素敵なご縁に出会えることを本当に感謝しています。
皆様から学ばせていただくことも沢山あります。


ところで 私の実の母は・・といいますと
健在ですが、昔から酒乱で暴力暴言がひどく、そんな母に嫌気がさした父はあまり家に帰らず借金して遊びまくり離婚。
父のいなくなった家庭内では暴力の矛先が私に向けられるようになったため、私は20歳を目前に大学を中退して逃げるように東京に出てきました。
そんな母を恨む気持ちもまだ少しは残っていますが、貧乏でもピアノを習わせてくれたのは母です。
そういう意味ではメチャクチャ実母には感謝しないといけない・・と思っています。
しかし、なかなか心がついていけない愚か者の私です。
そんな自分を不甲斐なく思うこともありますが、ピアノを続けていく事で母や世間さまへの感謝・恩返しにかえたいと思います。


大阪帰省

2012-09-23 | 

9/20~23まで、娘と二人、大阪へ帰った。
5年前に脳梗塞を患い、麻痺が残る中も一人暮らしを頑張っている母が心配だったからだ


荷造りをしているといつのまにか「ゆず」が・・・

毎回、帰る度に少しずつ身体が弱っていく母だが、今回はどうも会話がかみ合わない
一日の中で頻繁にそれを感じる
もしかして・・もしかして・・認知症・・だろうな
放っておいたら どんどん進んでゆくにちがいないな

足腰も3月に会ったときより弱っている。
駅まで歩くのに私なら徒歩3分かからないが、私の腕につかまりながら13分

以前はよっぽどのことがない限り、私の腕をつかもうとはしなかったが、今回は自分からずっと私に摑まってきた。

キレイ好きを通り越して“潔癖症”の母であったが、掃除ができなくなり、それが恥ずかしい・・という気持ちが働くのであろう
母曰く、「あっちこっちど~んなにきれいに掃除しても、嫌がらせで汚していくヤツがおるねん」「どうしようもないヤツらや!!」・・・・・と
目には見えないけど、そういうヤツらが確実に家の中にいるらしい。

なんという理由だろうか?!
それを一日に何回も言うので、笑いをこらえながら「フンフン そうなの」と聴くしかなかった。

炊事も全く出来なくなり、一人の時はもっぱらスーパーのお惣菜。
お金の計算も??? 
銭湯に行くのも普段は一人だ。

弟が時々来ているものの もうこのまま一人で置いておくのは忍びなさ過ぎる。
とりあえず明日、弟と相談だ!

後ろ髪を曳かれる思いで、東京に戻ってきたが、母も泣いていた・・
「また来るからね!」と手を振ったものの 高3娘の進学あり、仕事あり、で頻繁には帰れない。

複雑な気持ちで乗った新幹線の窓から見えたのは、大きな富士山と天空にまっすぐ伸びたデカイ虹の柱であった。
まるで母と私のために「がんばれ!」と励ましてくれているようであった。



22日心斎橋にて グリコ看板&くいだおれ人形